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2017年4月26日水曜日

二年目の春の嵐

 とある教育施設で働く知人に聞いた話。知人の職場には毎年、多くの新一年生がやってくる。幼児気分の抜けない子らに「自分のことは自分でやろうね」と優しく諭す知人。素直に頑張る子どもたち。
 ところが迎えに来た親の顔を見た途端、「ママー、カバン!」と荷物を突き出す子どもたち。「あーはいはい」と何の躊躇もなくカバンを受け取る親……。

 「せめて『ママ、カバン持って』までちゃんと言え! 親もそれくらい自分で持たせろ!」とオフレコで叫ぶ(笑)知人に、あーわかるわかる、ごめんね、と何故か謝る私。
 幼児の頃は「重いものを持たせたら可哀想(=ふらついたら危ないし疲れて文句言ったり色々面倒)」だったのが、小学生になった途端、あの重いランドセルを背負って毎日ご登校だ。幼児気分ならぬ「幼児の親気分」が抜けず、つい世話を焼いてしまう。
 今では腕やランドセルの金具に色々ぶら下げて、まるでポールハンガーのような姿で元気に登校する息子は二年生。小学生ぶりも板についてきた感じ。

 「ねえ、こんど家に友だち呼んでいい?」と息子が訊いた。家に来たがっている友だちがいるという。いいよと言うと「せっかくだから、ほかにも何人か呼ぼうかな」。うんそうしなよ、と答えながら、頭の中で算段する母。お菓子は多めに用意しておいたほうがいいかな、ジュースも補給しないと……。
 幼稚園までは、友だちを家に呼ぶ行為には「おもてなし」の側面があった。幼稚園児は必ず大人である親と一緒に来るからで、大人を家に招くのに最低限の礼儀というのはやはりある。
 しかし今回は子どもだけ。遊ぶ場所とお菓子とジュースがあれば十分だろう、とノンキに構えていた。そして当日。何人くらい来そう? と尋ねた私に息子は指を折りながら言った。「うんと……10人!」

 は!? じゅ、10人!? アンタのクラス30人しかいないのに10人て!!
 「こんにちわ!」「おじゃまします!!」チャイムが鳴り、雪崩のように家へ駆け込む子どもたち。千手観音のように伸びる手によってお菓子はあっという間になくなり、1リットルパックのジュースも瞬殺。玄関を埋め尽くす10足の子ども靴と三台のキックスケーター。4対6で女の子が多く、通知表の通信欄に「男女隔てなく仲良くできる」と書かれただけのことはあるというか何というか……。
 息子の思わぬ動員力(?)に、自分で言うのも何だがマイペースで友人の多いほうではない(涙)母は口をあんぐりしつつ、まあ物珍しさもあったんだろう、次からはきっと減るはず。いつも息子がお邪魔しているおうちの皆さま、有り難うございます。六畳間で10人が一斉に菓子を食べると部屋がキョーレツに菓子臭くなるんですね初めて知りました……。

2017年2月20日月曜日

七歳のバレンタインデー

 私の母は、二月十四日が誕生日である。母が子どもの頃は、さすがにバレンタインデーなどというものは「なかったと思う」。
 しかし私が物心ついた頃には、母からお小遣いをもらい、近所のスーパーへ家族の分のチョコレートを買いに行っていたのを覚えている。ウィキペディアによると、日本社会への定着は70年代半ばらしい。中高生ともなると周囲がキャッキャと盛り上がっていた記憶はあるが、私は傍観者でしかなかった。

 チョコレートは甘くておいしいし、ピンクや赤のパッケージは見ているだけで華やかだ。若いムスメだから、もちろん告白したい相手だっている。でも、どうしてもムスメ心に引っかかる。「どうして『好きな子にチョコをあげる』必要があるんだろう?」
 私はクラスに一人や二人(?)はいた、そういうことを疑問に思ってしまうタイプのコムスメで、「なぜチョコ? なぜこの日に?」というモヤモヤからどうにも逃れられず、とはいえチョコは甘くておいしいので(←二回目)、相手がいるときはあげたりもしたし、昔よくあった組織的義理チョコにも特に抵抗もなく参加していた。
 百円しか払ってないのに、五百円はするブランドハンカチをお返しにもらったこともある。いや、ヘンな時代だった……今なら速攻で売られそう……。

 成長してからは、バレンタインデーと聞くと「お母さんに『おめでとうコール』しなきゃ!」と慌てふためく日になった。孫(息子)が生まれてからは、「おばあちゃんに『お誕生日おめでとう』って言うんだよ」と言い含めて電話を渡してしまう。カワイイ孫の声におばあちゃんも大喜び。気づけば息子が自分のことばかり喋っているのはご愛嬌だ。
 図書館で見つけた、小学校低学年向けの手作りチョコの本を見て、息子と挑戦する。紙コップに板チョコを割り入れてレンジでチン。溶けたチョコをアルミホイルの上に流し、何となくカタチを付けて飾りを散らし、冷蔵庫で固めれば完成だ。こんなものでもラッピングすれば結構サマになる。

 そしてバレンタイン当日。女の子がチョコをくれるというので(!)公園に行く息子が、なぜか件の手作りチョコを持っていくという。「アンタ(一応)もらう側じゃないの?」「でも持ってきてって言われた」。そして夕方、今度は手ぶらで帰ってきた。
 聞けば公園に女の子はおらず(!!)、いたのはクラスの男の子たちで、みんなで持ってきたチョコを交換して仲良く食べたらしい。いや、友情が深まってよかったじゃないか(わはは)。
 結局、家のポストに入っていたりして、何とか面目は保った七歳のバレンタインデー。皆さまお気遣い有り難うございます。これでホワイトデーもできると思うとイベント好きの母は嬉しい。

2016年11月22日火曜日

空き箱の王国

 残暑厳しい初秋のある日。インターホンが鳴って、汗まみれでドロドロのイキモノがモニターに映った。
 両手には、何故か巨大な紙袋が二つ。黄色い帽子の下から目をランランと輝かせ、生え代わりで前歯の抜けた口をニカッと開けて「ただいまー!!」……何だろう、もう嫌な予感しかしない(涙)。

 ドアを開けるなり「おやつはー」と騒ぐ汗だくの息子を、ドアツードアで浴室に放り込む。余談だが暑い季節は、合間合間に「シャワーを浴びさせる」時間を考慮して予定を立てないと大変なことになる。
 持ち帰った紙袋の中を覗き込む私。「……これ、ゴミ?」「えー!! ゴミじゃないよ」。
 空き箱やラップ芯をセロテープで合体させたような、そんな謎のガラクタ……じゃなかった工作物が、紙袋の中にわさわさ詰まっている。
 「……ゴミだよね?」分かっちゃいるが認めたくはない母に再び問われた息子は、さすがに不満そうに言った。「ゴミじゃない! ぼくがつくったの!!」

 工作好きの子どもは微笑ましい。発想豊かだ、クリエイティブだと世間ウケも悪くない。そんな息子の「作品」が、我が家には山ほど転がっている。
 ウキウキ飾る親バカ心は、もちろん私にもある。とはいえ所詮は小一の工作、作りは強固とは言えず、テープが劣化して剥がれ、家族にうっかり蹴飛ばされて壊れかけた工作物が、みるみる家中を浸食する。
 子どもたちの制作物の扱いに困るのは学童でも同じらしく、時々、息子はこの日のように、大量の工作物を家に持ち帰ってくる。意気揚々と。「ぼくがつくったもの」を、ぜひ親に見せようと。わかってますって。もちろんわかってますとも……(涙)。

 世間ではこのようなとき、「写真に撮ってから捨てる」「何年か寝かせてから捨てる」「子ども自身に判断させる」あたりが定番らしい。なるほど。
 今はまだ親バカ新米母の私も、躊躇なくポイできる日がきっとくるであろう。巨大な蔵のある家に住まない限りは。そう考えると、ガラクタ工作にあふれた我が家も悪くないかなあ、なんて思う母である。もうね、捨てるのも面倒くさいの(←本音)。

 夏休みの自由研究は、家にある日用雑貨で作った「ぼくのまち」。段ボールの大地にビニールの川が流れ、空き箱の電車が走り、フェルトの木々が茂る。学校での評判は上々だったらしい。
 夏に育てたアジサイのツルは、クリスマスリースになる予定だとか。みんなで絵の具まみれになって学校の壁画を描いたり、近隣の幼稚園と共同でドングリ工作をしたり。学芸会の大道具小道具も子どもたちの手作りだ。小学校の日常は、何だかやたらと「作って」いる。図画工作がずっと「2」だった私は、楽しそうに話す息子が本当は少し羨ましい。

2016年9月7日水曜日

いのちのふるさと

 夏休みにお世話になってから、まさか二週間も経たないうちに再訪することになるとは思わなかった。泣き崩れる私を、息子が不思議そうに眺めている。
 一報を受け深夜バスですっ飛んでいった相方が到着したときには、義母はすでに意識がなかったという。誰もがいつかは親を送る。けれど、こんな形で送ることになろうとは思わなかったに違いない。

 「我が家の男ども」。二人の男の子の母である義母は、よくそういう言い方をした。「まったく我が家の男どもはダメねえ。ねえ○○(私)さん」。
 その「我が家の男ども」三人(義父含む)が、憔悴した表情で顔を突き合わせている。いや現実には、残された家族には憔悴する暇もない。
 「敢えて考えないようにしてるみたい」。親族の誰かが言った。そうかもしれない。「服はどれ着たらええか……」。いつものようにトボケた口調の義父に、親族の一人が慌てて走り寄る。

 通夜の日の朝、ひとまず息子を学校へ行かせ、早退して現地へ向かうことになった。その旨を記した連絡帳をランドセルに入れ、「もう帰るの?」と友だちに聞かれたら「おばあちゃんが亡くなったから」って言うんだよ、と言い聞かせて送り出す。
 問題は息子の服装だ。さすがに幼稚園の制服は使えない。結局、サイズが大きくてまだ着られない頂き物のスーツのズボンだけを無理やり穿かせ、上は濃紺のシャツで何とか格好を付ける。
 息子は六歳にして、もう葬儀は四回目だ。前回はまだ三歳だったが、今回は小学生。しかも亡くなったのは、ほんの二週間前に大好きな煮豆をたくさん作ってくれた、優しいおばあちゃんだ。

 家族みんなで装束を着せ、お棺に遺品と花を入れて、フタに石で釘を打つ。促されて息子もトントン、と石を打つ。無言で横たわるおばあちゃんを前にした息子の表情からは、特に何も読み取れない。
 進行役の方々の、大仰なほどの声音。「どうしてみんな黒い服を着てるの?」三年前にはしなかった質問を、六歳になった息子は口にする。「悲しい気持ちを表すためだよ」。こんな答えで合ってるかしら、と少しどぎまぎしながら答える私。
 葬儀が始まる。お経にお坊様のお話。仏様の弟子、命のふるさと。そんな言葉が耳に残ったらしい。
 「いのちのふるさとって、どこ?」。息子の問いかけに、さすがに息を飲んだ。「……天国じゃない?」「ふうん」。息子は腑に落ちないのか、葬儀の後も、急いで帰京した新宿駅のエスカレーターでも、思い出したように口にした。「いのちのふるさとって、どこなの?」

 人のいのちはそこから来て、そこへ帰るんだと思うよ。生きてる人には場所は分からないんだよ。「ふうん」と呟いた後、息子は「ふるさとは、ジャジャジャポン……」と歌い出した。ああ、それでか。少し拍子抜けした後、妖怪ウォッチの世界も天国も、息子には地続きなのかもなあ、とぼんやり思う。

2016年7月29日金曜日

星を観る人

 「すいきんちかもくどてんかい、と覚えてね」。解説のお姉さんがそう言うたびに、脳裏に「え、めい(冥王星)は?」というセリフが浮かぶ。
 小さな違和感に囚われていると、隣席の息子の手が触れた。生まれて初めて見る真暗闇の星空(疑似ですが)は、やはり少し怖いらしい。

 冥王星が「太陽系第九惑星」の地位を失ったのは2006年。ヤマト世代の相方が「ガミラスは、デスラー総統は!?」と叫んだあの日から、もう十年。
 ぼくらの太陽系、と題された子ども向けプログラムに、冥王星は一切、登場しなかった。そうか、我が家の小学一年生は惑星・冥王星を知らずに育つのか。星空(疑似)を見上げながら、ぼんやり思う。
 区のプラネタリウムは数百円で楽しめて、冷房も効いていて図書館もある。庶民には有り難い場所だ。子ども向けのこの時間は「おしゃべりOK」。でも星空に圧倒されてか、子どもたちは案外おとなしい。

 金星まで13年11ヶ月、地球まで19年、火星まで29年2ヶ月。天空のスクリーンに数字が浮かぶ。太陽から飛行機で行った場合にかかる時間だという。子どもにも分かりやすく、という配慮であろう。
 生まれたときに出発しても大人になっちゃうね、と笑っていられたのはこの辺までで、木星まで98年11ヶ月、土星まで181年4ヶ月、海王星まで570年9ヶ月(!)となると、もう絶句するしかない。
 壮大な宇宙のロマン。さすがにピンと来なさそうな息子の両脇で「そんなに燃料、もたないよ」「そもそも空気がないと飛行機飛ばないし」と心の中でツッコミを入れる、ロマンのかけらもない大人たち。

 プラネタリウムに足を運んだのは、息子が学校の図書館で借りた本がきっかけだった。宇宙の謎を子ども向けにクイズ形式で紹介したその本に感化され、にわかに我が家で宇宙熱(?)が盛り上がる。
 施設内の図書館で「銀河系・最新版」を謳う雑誌に見入る私の横で、相方が「アポロ11号」本を読みふけっている。色鮮やかな星雲の写真、遠い星々をめぐるストーリー。そう、私も「宇宙の本」が大好きな子どもだった。残念ながら「大好き」で終わってしまったけど(文系……)、子ども向けのSF小説を胸躍らせて読んでいたのは、よく覚えている。

 いつか人類が気軽に宇宙に行ける日が来るのだと、子どもの頃は思っていた。今はもう、思わないけど。
 発展ではなく衰退への道を歩み出しているのかもしれないこの星の上で、私より先の時間まで息子は生きる。90歳まで生きたとすれば22世紀だ。そのとき息子は、何を見るのだろうか。
 冷房の効いた図書館で、星々の写真を眺めながら、そんなことをぼんやり思う。まさか宇宙人は攻めて来ないと思うけど。いや、まさかね……。

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