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2013年6月28日金曜日

こどもの仕事

 「なーむーなーむー、ちーん♪」。ついに息子がお経の真似ごとを始めた。さすがにこの半年で三回の葬儀参列は多すぎたらしい。ちなみに息子は結婚式にはまだ出たことがない。誰かそろそろ結婚していただけませんでしょうか、周囲の皆さま。

 息子は葬式が嫌いではない。なぜなら沢山の人に可愛がってもらえるから。先日、私の祖父が亡くなったときも、控えの和室で不謹慎にも走り回る息子を、誰もが目を細めて眺めていたどころか、息子が転ばないよう座布団を片付けてしまったほどだった。
 「あんた、あの葬式のときの子け? 大きくなったなあ」。私もかつてよく、そんなふうに言われたものだ。幼い私はひとり大声で歌って場を和ませていたのだという。会った記憶もない遠縁の人から、親しげにそう言われて困惑したのを覚えている。

 私の曾祖父は私が一歳のときに亡くなった。晩年は寝たきりだった曾祖父は、目覚めるたびに私に会いたがり、「○○ちゃん連れて来い!」と叫んだという。私が何も覚えていないと言うと、母や祖母から「あんなに可愛がってもらったのに!?」と驚かれるのだが、一歳では仕方がないと思う。私が覚えているのは仏間に掲げられた、明治男らしい威厳をたずさえた白黒の遺影だけだ。
 祖父は春先に倒れ、見舞いに行こうと算段していた矢先の訃報だった。息子が七ヶ月のときには盛大に米寿のお祝いもした。翌年の秋には祖父自慢の葡萄畑で穫れた葡萄をモリモリ食べて祖父を喜ばせた。
 通夜で号泣する私に「どうして泣いてるの?」と声をかけ、お棺に花を入れて最後のお別れもしたけれど、それでも息子の記憶に祖父の姿が残るかどうかは微妙だ。あとは写真に期待するしかない。

 祖父の葬儀に参列した親族たちは、控え室で走り回っていた小さな男の子をきっと覚えているだろう。無邪気さで人の心を和ませるという、幼い子どもに宿命的に課せられた仕事を、息子もキッチリと果たしたのだ。そして十年、二十年後、また誰かの葬式で再会したとき、皆は成長した息子に言うのだろう。「あんた、あんときの子け? 大きくなったなあ」。
 そう言われた息子はどんな顔をするのだろう。しばしニンマリと想像してから、そのとき横にいるのは十年、二十年ぶん年を取った自分だと気づいた。少しげんなりした。


 

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