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2013年7月31日水曜日

すき

きみはママがすき
それはどんなきもち
とおくへいってしまうと
不安で泣きそうになるね

ママはきみがすき
それはどんなきもち
きみのいない人生を
思うだけで泣きたくなる

ほかのどこにもいないふたり
代えがたい喜び甘いせつなさ 苦しさ
みんなきみが
教えてくれた
すき

きみはだれがすき
それってどんなきもち
すきな色のクレヨンで
描いたらわかるかな

ママはだれがすき
それってどんなきもち
伝えるのはむすかしいね
パパならわかるかな

いくつも見た朝焼け色の空
いくつもの夜をこえ辿り着いた
今日をともに
笑いあおう
すき

ほかのどこにもいないふたり
代えがたい喜び甘いせつなさ 苦しさ
みんなきみと
わかちあった

くりかえす季節のなかふたり
すこしずつ離れてゆくせつなさ 見つめて
愛は消えない
消せはしない
すき

2013年7月30日火曜日

ジコチューのススメ

私はジコチューな人間です
自分のことだけが大切な人間です

だから私が帰宅後すぐに手を洗うのは
自分が病気になりたくないからです
結果として人にうつすこともないですが
そんなのは単なるオマケです

私が人にお金を貸さないのは
お金なんか貸したくないからです
「貸さないほうが本人のため」
そんなのは表向きの詭弁です

私は自分だけが大切なので
恋人も私だけを大切にしてくれないとイヤです
だから暴力浮気は論外
傲慢な人やお金にルーズな人
私より友人や趣味が大切な人もノーサンキューです
おかげでいい人と結婚できました
これもジコチューの成果です

まったく私の周囲には
優しくて気配りのできる人が多すぎます
ジコチューの私は
自分の気持ちを偽りません
したいことしかしないのです
だから気遣いは無用です
こんな私ですから
人への配慮に欠ける面があることは自覚しています
なるべく努力もしています
嫌われたくないというジコチューな努力ですが

私はジコチューなので
自分のことはよく知っています
心にはいつも嫉妬や差別が渦巻いています
嫉妬や差別はいつか自分に返ってきます
ジコチューな私としては
むき出しにしてもメリットはありません

思い通りに行かない人生を他人のせいにしても
自分が辛くなるだけです
私はジコチューなので
自分が辛くなることはしたくありません
自分の人生は自分で選んだ結果です
それは立派な人生観とかではなく
そう思ったほうがトクなのです

私はジコチューな人間です
自分のことだけが大切な人間です
みんなもっとジコチューになればいいのに
ジコチューは人を殺しません
人を殺しても
自分にとっていいことは何ひとつないからです

2013年7月29日月曜日

大事な言葉

 まだロクに話さなかった一歳半頃、息子が理解できる三大ワードは「くつした」「とけい」「ガーゼ」だった。それぞれ彼にとって、とても役立つ言葉だった、というのが興味深い。

 室内では裸足だったので、「くつした」とはお出かけの前に履くものだった。つまり「くつした」と聞こえたら、それは楽しいお出かけの合図なのだ。
 「くつした持ってきて」。こう言うと、息子はいそいそと自分の衣装箱へ向かい、中から靴下を引っぱり出す。左右違ってようが片方だけだろうが、靴下以外の服が周囲に盛大に散らかっていようが、「よくできたね」と頭をなでなでするのが、やる気を削がない子育てのコツである。ほんとか(涙)。

 「とけい」は便利なものだ。息子は毎朝、家族の誰よりも早く起きる。以前は親が起きるまで寝室内でひとり遊びをしていたのだが、「とけい」を覚えてからはそんな必要はなくなった。
 親たちは起きるとき、「時計は……?」と言いながら枕元の「とけい(目覚まし時計)」に手を伸ばし、目をこすりながらしぶしぶ起き上がる。つまり「とけい」を手に取りさえすれば、彼らは起きる。そう気づいた息子は、起きるとすぐに親の枕元の「とけい」を掴み上げる。
 「あい!」。「とけい」を押し付けられた親は、文字盤を見て目をひん剥く。「ご、5時! もうちょっと寝かせて……」。再び寝ようとする親。すかさず「とけい」を黄門様の印籠のごとく振りかざす息子。「あい、あい!!」。以下、根負けした親が泣く泣く起きるまで続く(た、助けて)。

 「ガーゼ」は、さらに素晴らしい。彼がこの世の何より大好きな「ごはん」の合図なのだ。テーブルの上に料理が並び出すと、気配を嗅ぎ付けた息子がやってくる。食事の前に親がこう言うのを、彼は待っているのだ。「ガーゼ持ってきてくれる?」。
 「あーい」と返事もそこそこに、ガーゼを取りにいく息子。時々は待ちきれず、まだ支度中なのに「あい!」とガーゼを差し出す。まだ食べられないとわかると「ギャー!!」。ガーゼを振り回して大激怒。そんな毎日。大変だったなあ……(遠い目)。

 当時、すでにいろんな言葉を理解していたが、まだ意味のある言葉は話さなかった。理解はできても、なかなか自分から口には出さない。そのあたりも、大人が新しい言語を覚えるのと似ている気がする。単に相当、慎重な性格だというのもあるけど。
 この頃は「意味不明な音を喋りまくる」のが、とても可愛い時期でもあった。息子も日本語の音では表現できない、摩訶不思議な宇宙語をくっちゃべっていた。いったい何語を学べば君と会話ができるのか、と途方に暮れたのも、今では良い思い出である。

2013年7月27日土曜日

どうして

ママ どうして泣いてるの
ほらみて!
つみきのおうちをつくったよ
ことりさんのおうちだよ
こっちはぶたさんのおうち

ママ どうして泣いてるの
まもなくのぞみしんかんせんがまいります
2ばんせんをとっきゅうれっしゃがつうかします
まってまって のりまーす
はやくしてくださーい

ママ どうして泣いてるの
ママが泣くなら ぼくも泣くよ
ぼく 泣いたらうるさいよ
ママ知ってるよね?

それでもいいの?
ねえママ ぼくも泣いていい?

2013年7月25日木曜日

産後の睡眠不足考

 珍しくストレートなタイトルにしたのは、その辛さを広く世間さまにアピールしたいがためである。というのは大げさだが、些か過小評価されている気がして、どうもお尻の据わりが悪いので書いてみる。
 「睡眠不足」の経験のない人は、おそらくいないだろう。多くの人にとって、ある意味でとても慣れ親しんだ(?)状態といえる。だから「産後のお母さんは睡眠不足で辛い」と言われても「ふーん、そうなんだ」と流してしまいがちではないだろうか。
 私は経験者の端くれとして、ここで微力ながら主張してみたい。「産後の睡眠不足」は、未経験の方が体験し得るそれとは、少しばかり違うことを。

 出産というのは一般に、数時間〜十時間以上かかる。徹夜で陣痛に耐えることも珍しくない。一睡もできないまま迎える歓喜の瞬間。これで休める、と思いきや、残念ながら多くの場合、そうはいかない。
 母子同室であれば尚更、出産直後から問答無用で赤子の世話へ突入する。ヘトヘトのフラフラで倒れそうに眠くても、おちおち寝てはいられない。
 通常、病気で体調が悪い人は「ゆっくり休んでね」と言ってもらえる。しかし産後の母親は、たとえ体調が戻らなくても、そうそう休ませてはもらえない。赤子がいつ泣くかと神経をすり減らす日々が、何ヶ月も、時に一年以上続く。いつになったら夜通し眠れるようになるのか。先が見えないのがまた苦しい。

 産後の睡眠不足が一般的な睡眠不足と最も異なるのは、眠れないのが自分の意志ではない、という点ではないだろうか。たとえば「徹夜なら平気」という人も、その徹夜は「自分の意志による徹夜」だ。「仕事のせいで寝たくても眠れない」としても、そこで「眠らない」選択をしているのは自分である。
 泣く子を無視して眠るという選択肢は存在し得ない以上、産後の睡眠に母の意志が入る余地はない。そこには我が子の命がかかっており、仕事等による睡眠不足(もちろんこれだって辛いが)とは、言ってみれば質が違うのだ。やっと寝かしつけて自分もまどろんでも、耳をつんざく泣き声に暴力的に揺り起こされる。それが日に何回何十回と続く。ほとんどパンチドランカー。過酷な「細切れ睡眠」である。
 ロクに眠った気がしないまま、朦朧と乳をやりオムツを替えて日々が過ぎる。最初の数ヶ月はほとんど記憶がない、と話すママさんもいるほどである。

 「体が辛くても休めない」「終わりが見えない」「自分の意志じゃない」そして「暴力的に起こされ続ける」。産後の睡眠不足のハードさを、少しはイメージしていただけただろうか。渦中にある方はぜひ無理をなさらず、周囲の方はいっそう労っていただければと思う。また今後、出産を迎える可能性のある方も、心の片隅に留めていただければ嬉しい。
 そしてこんなことを書いてる私は目下、睡眠不足である。ただし夜泣き故ではなく自分のせい(涙)。これを深夜に読んでくださっているアナタ、睡眠不足は万病の元、眠れる有難さを噛みしめつつ、とっとと寝ましょう。私も寝ます。おやすみなさい……。

2013年7月24日水曜日

笑う母親

 私の母が、街で泣きわめく子どもを強い態度で叱りつけている母親を見かけたという。母親は見るからに疲弊しており、心配になった母はつい「大丈夫?」と声をかけた。すると母親はキッと振り向いて、こう叫んだという。「虐待じゃありませんから!」

 ああ、気持ちがわかりすぎて胸が痛い。もちろん母親のほうの、である。公の場で泣き叫ぶ子どもに神経をすり減らす体験は、親にとって通過儀礼のようなものかもしれない。
 叱ろうがなだめようが、どうにもならない時というのはあるわけで、そうなったらもうその場を立ち去るか、子が泣き飽くのを待つしかない。意に沿わない子への苛立ち、周囲の視線に対する居たたまれなさ、苛立ってしまう自分への嫌悪。それらがないまぜになって、親を苦しめる。
 ギャン泣き状態の子を連れて歩く商店街は、さしずめ花道だ。こちらに向けられた顔は一様に、目元に苦笑いを浮かべている。買い物中の老若男女、コンビニ前で一服中のサラリーマン、建築現場で休憩中の作業員や警備員、通りがかりの若者や小学生。
 皆が見ているのは、泣き叫ぶ子どもではない。人々が苦笑混じりに見つめるのは、子どもではなく親である。皆は親を見ているのだ。その子の保護者であり管理者,責任者であるはずの親を。

 そのことに気づいてから、私は意図して笑うようになった。どのみちそう簡単に泣き止みはしないのだ。親が感情的になっていては、周囲に与える印象も悪くなる。逆に親が「しょうがないなー」という感じで余裕を見せていれば、周囲も余計な心配をしなくて済む。ブチ切れそうな心を隠して笑うのは大変だが、ここは女優さながら演技あるのみだ。
 時折、私の母のようなお節介、じゃなかった親切な方が話しかけてくる。飴玉を差し出したり、「○○なのかしら?」「○○したらどう?」と助言してくださったりする。余計なお世話と感じることもあるわけだが(すいません)、これも笑顔でやり過ごす。そのうち、子がギャン泣きしても、かなりのレベルで平常心を保てるようになる。親としての階段を、少しは上ったかもしれないなあ、なんて思う。

 商店街の自転車置き場で、泣き叫んでいる子どもがいた。お母さんは冷静かつ根気強く諭しているが、子どもは完全にパニック状態。自転車のチャイルドシートに乗るのを嫌がり、今にも脱走せんばかりだ。
 「ほら、おともだちはいい子で乗ってるよ」。お母さんが息子を指差す。いえウチの子も大変なときはホントに大変で、なんて台詞が胸に浮かぶが、口には出さない。この状況で他人に話しかけられることは、たとえ気遣いの言葉であってもお母さんには負担になるだろう。軽く会釈して、そっと立ち去る。
 しばらくして同じ場所を通ったら、まだ親子の攻防は続いていた。お母さんは相変わらず冷静な口調である。何気なく通り過ぎながら、私は心の中でつぶやいた。がんばれ、お母さん。

2013年7月23日火曜日

ちっちゃくなったら

ぼくねえ
ちっちゃくなったら
ママのおっぱいのむんだ
ごくごくごくってのむんだよ
それでね
ママのおひざでねんねするの

ぼくねえ
ちっちゃくなったら
ほにゅうびんでミルクのむの
ちゅうちゅうってのむんだよ
だって
あかちゃんはそうなんでしょ?

だって
ちっちゃくなったら
あかちゃんなんだもんね

ぼく ちっちゃくなれないの?
えー うそだよー
ちっちゃくなれるよー
おおきくなったら
こんどは ちっちゃくなるんだよ
そしたら あかちゃんになるの

ぼくねえ
ちっちゃくなったら
じてんしゃの前の席に乗るの
じてんしゃの前は あかちゃんの席なんだよね
今は ぼくはちょっとおおきくなっちゃったから
ようちえんのおにいちゃんだから
ちっちゃくなってから乗るんだ
それでいいよね!

ママ わかった?
ねえママ それでいい?

2013年7月22日月曜日

アゴに願いを

 「小さいアゴだねえ。今の子は柔らかいものばっか食べて、よく噛まないから」。子どもの頃に通っていた矯正歯科の医師は会うたびに言った。私の歯並びが悪いのは、医師によれば「アゴが小さすぎて、歯が生えるスペースが十分にないから」なのだった。
 医師が言うならその通りなのだろう。ただ「小さなアゴだ」と言われても、それは親からもらった骨格であり自分ではどうしようもない。加えて「今の子」云々と言われては、正直いい気分はしなかった。
 私の母は子どもの食べ物に厳格な人で、おやつといえば手作りか生協の「そばボーロ」だった。母の名誉のためにも断言するが、決して「柔らかいものばかり食べて」いたわけではない。医師の言葉がいちばん腑に落ちなかったのは母だったに違いない。

 今でも時折「現代人は柔らかいものばかり食べるから、昔の人と比べて噛む力が衰えている」なんて話題が出たりする。けれど、その場合の「昔の人」って誰だろう。食事が西洋化する前、庶民の口には白い米など入らなかった時代の人のことだろうか。
 そんな時代と比べれば、そりゃ現代人は噛む力が弱いだろう。西洋文化が流入し、庶民の食生活が激変して以降、何世代かの時間をかけて、この国の人々の骨格も変わってきたのかもしれない。
 遺伝もある。もちろん個性もある。複合的な要素から、私のアゴは小さくなった。背が低いのが本人のせいではないように、アゴが小さいのも私のせいではない。牛乳を飲めば多少は背が伸びるかもしれないが遺伝を凌駕するほどではないだろう。アゴも幼少時から硬いものだけをひたすら食べ続ければ違うのかもしれないが、今の時代にそれは無理がある。

 一歳半の歯科検診で、息子は「将来、歯がガタガタになる」と宣告された。今はきれいな歯並びだが、乳歯にしては隙間が空いておらず、永久歯が生える十分なスペースがないという。医師は私の口元をチラリと見て「お母さんに似たんだね」とつぶやいた。……すいません。まあ私のことはいいとして。
 そんな息子は将来、やはり歯科医に言われるかもしれない。「小さいアゴだねえ。今の子は柔らかいものばかり食べて……」。そのときは猛然と反論してあげようと、今から固く心に誓っている母である。
 君のアゴが小さいのは遺伝であり、時代の流れであり、決して君のせいではない。ましてや柔らかいものばかり食べたせいでも噛まなかったせいでもない。現に息子は煎餅もかりんとうもバリバリ食べる。
 高校生の時に病気をした相方は、医師から「君は一生、運動はできない」と宣告されたという。しかし今は普通に生活し、もちろん運動もできる。有り難いことである。スポーツ選手にはなれなかったかもしれないが、それはたぶん病気のせいではない。

2013年7月19日金曜日

絶対に語学が上達する方法

 なんだか情報商材のようなタイトルで自分でも可笑しいが、とりあえず看板に偽りはない予定である。ただし切実に何か特別な上達法を求めている方は、今のうちに回れ右をされたほうが良いかもしれない。ヒトが言葉を習得する過程を間近で観察できるのも親ならではの得難い体験かもしれない、というお話。

 息子の口から言葉が出始めたのは、二歳を少し過ぎた頃だった。小さな口から少しでも言葉らしき音が出れば、親は大喜びである。褒めておだてて、せっせと話しかける。何か口に出せば褒めてもらえるので、子どもも一生懸命話そうとする。
 まだ聴く力も話す力も発達途上なため、愛らしい言い間違いが頻発する。その様子は大変に可愛らしく、子育ての醍醐味だとすら思うほどだ。息子も「地下鉄」が「ちかつつ」、「路面電車」は「おめめでんしゃ」。いちばん笑ったのは「おもちたたたた」。どうやら「おもしろかった」であるらしいと気づいたのは随分後になってからだった。
 親も子どもに合わせて「ほら『おめめでんしゃ』だよー」と言ったり。コミュニケーションが取れる(ような気がする)のが、とにかく楽しい時期だ。

 どんなに間違えようが「可愛い」でOK。決して責められず、時には優しく間違いを正してもらえる。誰もが笑顔で話しかけてくれ、どんな反応も喜ばれる。そんな環境で子どもは最初の数年間を過ごす。
 聞いて真似て形から覚えて、とにかく使ってみる。たくさん間違えながら、適切な意味と使い方を身につける。自分の言葉を熱心に聞いてくれて、積極的に話しかけてくれる人がいる。日々多彩な言葉を浴びて、表現は豊かになり、世界は広がってゆく。
 息子の様子を見ていると、大人の場合も同じでは、と思うのだ。大人も同様の状況に置かれれば、間違いなく上達するに違いない。しかし残念ながらそうはいかない。大人は間違えたら恥ずかしいし、世間も「可愛い」で済ませてはくれない。浴びる言葉の質も量も圧倒的に足りない。こればかりは仕方ない。

 ある日唐突に「ママ、風邪が治ったらブランコに乗っていい?」……は? 一人でブランコ乗れないのに? つうか風邪引いとらんがな。何のことはない、絵本に出てくる文章を真似しているだけである。
 息子の言葉は時々、妙に芝居がかっている。まだ「自分の体験」が少ないために「自分の言葉」がないのだ。たくさん話すけど、その多くは親や絵本からの借り物である。それらをベースに、人生経験を加味しつつ、自分の言葉を獲得していくのだろう。
 ところで息子は「エレベーター」が「エベレーター」になるのだが、つい親もつられて「エベレーター乗るよー」と言ってしまう。もしそんな親子を見かけたら、温かく見守っていただければ幸いである。

2013年7月18日木曜日

きみのたんじょうび

きょうはこれから
ゆうなちゃんとともやくんの
おたんじょうびかいをします

ふたりは六月うまれですね
あじさいのはながさく
すてきなきせつです
ゆうなちゃんはなんさいですか
よんさいです
ともやくんは?
よんさいです
ぼくはねえ さんさいなの

おおきくなったら
何になりたいですか
わたしはまほうつかいになりたいです
わー すてきー
ぼくは うんてんしゅさんになりたいです
おー かっこいい
なにをうんてんするのかな?
でんしゃです
ぼくもねえ
でんしゃのうんてんしゅさんになりたいんだよ

それでは
おたんじょうびのおいわいに
みんなでハッピーバースデーのうたを
うたいましょう
わー ぱちぱちぱち

うん そうなの
ゆうなちゃんとともやくんが
おたんじょうびだったの
ようちえんで みんなでハッピーバースデー
うたったの

ねえママ
ぼくのたんじょうびは?
ぼくのたんじょうびは あした?

ぼくのたんじょうびは いちがつ?
ねえママ いちがつって あした?

2013年7月17日水曜日

ケイちゃんのピアノ

 「ピアノやりたい?」と母に訊かれて「うん」と答えたのは五歳のときだった。訊かれたから返事をしたものの、よく意味がわかっていなかったように思う。その証拠に数日後、居間の一角を占拠したアップライトのピアノを見て、「何だかエライことになっちゃったな……」と困惑したのを覚えている。

 母が通わせてくれたのは、近所に住む女性が自宅で開いているピアノ教室だった。子どもの目には「おばあちゃん」に見える年齢の、上品で優しい先生。しかし初歩のバイエルは退屈で、上手に弾けなくても先生は怒ったりしなかったから、私はすぐに飽きて練習をしなくなった。先生の家の前には公園があって、友達に誘われるままによくレッスンをサボって遊んでいた。小学生になると「勉強が忙しくて……」なんて小賢しい言い訳も覚えた。
 近所に住んでいたケイちゃんもピアノを習っていた。しかしケイちゃんの先生は近所のおばあちゃんではなく、音大から教えに来る若い女の先生だった。

 ケイちゃんの先生は、それは厳しかった。レッスンが始まっても、ケイちゃんがあまり練習していないことがわかると、鍵盤を「バーン!」と叩いて、なんとそのまま帰ってしまうのだ。
 ピアノの音はご近所中に響き渡る。ケイちゃん宅から音色が流れてきたと思ったら「バーン!」と鍵盤を叩く音、そして後に続く「ウワァ〜ン」というケイちゃんの泣き声。「♪♪♪」「バーン!」「ウワァ〜ン」。これがケイちゃんのレッスンだった。
 「可哀想だよねえ」。大人たちは噂した。「よかった、ウチの先生は優しくて。サボっても怒らないし」。私は心の中で安堵した。こんな調子だったから、ピアノはたいして身には付かなかった。ケイちゃんはその後、音大へ進んでピアノの先生になった。

 身に付かなかったとはいっても一応は楽譜も読めるし、簡単な曲なら練習すれば弾くこともできる。学生の頃はバンドを組んでキーボードも弾いた。どれも母がピアノを習わせてくれたおかげではある。
 スイミングに体操にリトミック。今は幼稚園児にもいろんな習い事がある。英語やヒップホップダンスも流行らしい。どれも子どもの世界を広げてくれるだろう。おとなしい息子に「体操はどう?」と勧めてくれる人もいたが、まだ特に何もしていない。
 苦手を克服したり目的のために鍛錬するのも人生では大切だ。けれどあまり幼いうちから「できなくて辛い」体験を重ねるのも可哀想な気がしてしまうのは、私自身のヘタレな体験からだろうか。もし今、習い事をするなら、好きで得意なこと、ほめられる体験がたくさんできるような、そんな習い事がいい。
 夢中で取り組めて、人生を彩ってくれるような。それが何かはわからないけど、そんな出会いが息子にもいつか訪れる。急ぐことはないかな、と思う。

2013年7月16日火曜日

信じて努力すれば
きっと夢は叶うよ
君にならそう言える
そう君に言えてうれしい
そう言える君がいてくれてうれしい

甘い残像の中で
努力が逃避に変わる前に

信じて努力すれば
きっと夢は叶うよ
大丈夫 必ず叶う
生半可じゃダメだよ
限界を超えていくんだ
その先に光が見える
どんな色かはわからないけど
大丈夫 必ず見える

信じて努力すれば
きっと夢は叶うよ
君にならそう言える
そう君に言えてうれしい
そう言える君がいてくれてうれしい

可能性という重荷に
押しつぶされる前に

君の無垢な笑顔に
今ならまだ心から言える
今のうちに伝えよう
母の夢も運も絶望もすべて込めて伝えよう
信じて努力すれば
きっと夢は叶う
君の夢が君の人生が
光に満ちてあらんことを

大丈夫 必ず叶う
君にならそう言える
そう君に言えてうれしい
そう言える君がいてくれてうれしい

2013年7月12日金曜日

空に青

空は青くなくていい
雲は白くなくていい
太陽は赤くなくていい
燃えて消えてなくなっていい

人の言うことは聞かなくていい
やりたいことだけやればいい
嫌なことから逃げればいい
逃げ足くらい磨けばいい

空に青
きみとぼく
だいじょうぶ
そばにいる

空は青くなくていい
鳥は迷子になっていい
見えないものは見なくていい
瞳を閉じてしまえばいい

きみを責める人たちは
誰もきみを守ってくれない
だから何も気にしなくていい
どこまでだって飛べばいい

空に青
ぼくはここ
探してる
きみのこと

空は青くなくていい
雲は白くなくていい
見えないものは見なくていい
自由の怖さを知ればいい

当たり前を恐れない
陳腐だろうが構わない
勘違いならすればいい
意味なんてどこにもなくていい
空に青
ぼくはここにいる

2013年7月11日木曜日

箱の中の住人

 少し前から三浦大知くんという歌い手さんのファンで、家にCD やDVD が転がっていたのだが、まさか二歳そこそこで息子が真似して歌い始めるとは思わなくて、けっこう唖然としている母である。
 和製マイケルと称される彼だが、当然ながら子ども向けの音楽ではない。どのあたりが息子の琴線に触れたんだろう? そういえばマイケルも、男の子たちがみんな股間を押さえて真似してたっけなー。

 とはいえ、言葉もおぼつかない頃から「あどけないしぐさでベイベ〜♪」などと歌われても、いやベイベーはアンタやがな、と心の中でツッコミを入れつつ「よく覚えてるねえ……」と思わず感嘆してしまう。レパートリーは現時点で軽く10曲を超える。
 息子のお気に入りはライブの模様を収録したDVD で、鑑賞中はとにかく食い入るように見ている。歌手が椅子に座れば自分もテレビの前に椅子を持ってきて座り、ピアノを弾けば自分もピアノ(のオモチャ)を持ち出して叩き始める。ブロックで階段状のステージを作り、人形で再現していたこともある。
 歌だけでなく曲間のMC まで覚えている。しかし言葉の理解は未熟なので、しばしば「空耳アワー状態」になるのが面白い。例えばライブ終盤、「これがラストチューン!」と歌手がキメ台詞を叫ぶと、息子は大喜びで自分も叫ぶ。「おれ、ピカチュウ!」……なぜピカチュウ。チューしか合っとらんがな。
 「おっさんテルミー、テルミー♪」と腰をフリフリ歌う姿は大変に可愛いが、もはや原曲をとどめていない(ちなみに英語)。今は成長して「おれピカチュウ!」は言わなくなった。ちょっと残念である。

 マイク代わりにいろんなものを握りしめて、気分はポップスター。きっと全国、いや全世界のご家庭で見られる光景だろうな、と思うと微笑ましい。
 こういう話をすると「将来が楽しみだね」と言っていただいたりするのだが、私も幼い頃は某女性アイドルグループに夢中で、テレビの前で熱心に踊っていたらしいのだが、記憶には全く残っておらず、その後も特にダンスに親しむ人生は送っていない(見るのは好きだけど)。つまり、そういうことなのだろう。とりあえず、今を楽しんでおこうと思う。

 息子と一緒に川崎へ足を運ぶのは昨年末のリリースイベントに続いて二回目だ。小さな子ども連れで無料で観られる、こういう機会は本当に有り難い。
 普段はテレビという箱の中にいる「お兄ちゃん」が目の前にいるのに、本人は興奮するでもなくじっと見つめている。現実とファンタジーの境界が曖昧な年頃だ。大音量の中、何を感じているのだろう。
 生身の人間が歌い踊る迫力を少しでも感じてほしくて、抱き上げる手に力がこもる。今日のことは記憶には残らなくても、感じた何かは残るかもしれない。私が結局は音楽の近くを歩いてきたように。

2013年7月10日水曜日

しあわせ/ふしあわせ

しあわせなひとたちは
しあわせにしかなれないのです
だからどちらかといえば
あなたのほうが勝ちなのです

しあわせなひとたちは
一生しあわせにくらします
それは基本的にそうです
あなたが妬むとおりです

しあわせなひとたちに
あなたもなりたいのでしたら
とりあえず来世に託しましょう
とりあえず今世はむりです
いま しあわせでないのなら

だって しあわせなひとたちは
そんなことでなやみません
じぶんのしあわせをうたがわない
それがしあわせの条件です

わたしはふしあわせですが
それでよかったとおもってますよ
しあわせなひとたちは
しあわせにしかなれないのです
わたしは何にだってなれます
だからわたしの勝ちなのです



2013年7月9日火曜日

We are a family.

 学生の頃、長期の休みになるとよく海外へ短期留学に出かけた。留学といっても大したことはない、せいぜい一ヶ月ほど現地の語学学校に通う程度である。目当ては英語習得よりも異文化体験、すなわちホストファミリーとの交流だった。それが楽しくて、バイト代のほとんどをつぎ込んでいたほどだ。
 渡航先は主にアメリカとイギリスだったが、お世話になったホストファミリーの中で、日本で家族といえば一般的にイメージされる「初婚同士の両親と、その実子」のみで構成された家族というのは、見事に一組もいなかった。ものの見事に一組も。

 偶然だとは思う。どのファミリーも仲が良く、そして幸せそうだった。けれどホストマザーに何気なく「あなたのハズバンドは……」と話しかけたら「私にハズバンドはいないわ」と返されるのだから気が抜けない。じゃあ一緒に住んでいる、子どもたちが「Daddy 」と呼ぶあの男性はいったい誰!?
 別のファミリーの中学生の長女。「今日はロンドンへ私の家族に会いにいくの」。え!? いま一緒に暮らしているのはあなたの家族じゃないの? ロンドンの家族は、あなたの小さな弟にとっても家族なの? それとも……。

 とてもじゃないが短期の居候の分際で、しかも拙い英語力で聞くにはあまりに個人的な質問で、多くの場合は会話から推測するしかなかった。子連れ同士の再婚だったり、同居しているのはパートナーの実子で、週に一度だけ自分の実子が泊まりにきたり。最後にお世話になった70代のご夫婦ですら、「明日は『妻の息子』が会いに来るんだ」という夫の言葉に「ああ、やっぱり……」と思ったものだ。
 こうした環境では、家族に関する話題にはどうしても慎重になる。一緒にいるから実の両親とは限らないし、離れて暮らす家族もいるかもしれない。誰を自分の家族と認識しているか、そこにはアイデンティティの問題も絡む。家族にはいろんな形があって、それはたぶん日本でも変わらない。

 セサミストリートのポッドキャストで「Family」をテーマにした回が以前にあって、そこで流れている曲が好きだ。サビの歌詞は、こう繰り返される。

[We are a family / We love each other.]

 私たちは家族。お互いに愛し合っている。素敵な歌詞だな、と思う。ここでも番組のラスト、少女が幼子を抱いた傍らの女性を指して「彼女は私の妹のお母さん」と紹介する場面がある。「私のお母さん」は別の女性なのだ。家族にはいろんな形があって、でも確かで大事なことは、お互いに愛し合っている。

2013年7月8日月曜日

三人の母

 『ホットロード』(1986 )という漫画作品は「暴走族漫画の金字塔」などと紹介されることが多いのだが、私はこれは「母の物語」でもあると思っている。もちろん、そう思うようになったのは大人になって読み返してからである。作中には三人の母が登場する。主人公少女の母、その親友エリの母、そして主人公のボーイフレンドであるハルヤマの母。

 主人公少女の母は「弱い母」だ。出産早々に夫を亡くし、以降は働きながら少女を育ててきたのだから、世間から見れば立派な母である。しかしまだ35歳と若く気分屋で、辛いときに恋人の元へ逃げ込んでしまうような弱さがあり、反抗を始めた少女に戸惑うあまり正面から向き合うことができないでいる。家出した少女を捜して回っても「世間体を気にしているだけ」としか少女には受け取ってもらえない。
 親友エリの母は「正しい母」だ。ロクに登校してないのに三者面談で「美容学校へ行きたい」と言ったエリを教師の前で張り倒す。家出した少女(エリの母から見れば娘の悪い仲間だ)を自宅に預かり「お母さんが待ってらっしゃること、忘れちゃダメよ」と諭す。心配されていることを感じた少女が「おばちゃん、ごめんね」と口にすると「どうしてそれをお母さんに言えないの」と叱る。そんな彼女に少女は思わず本音を吐露する。娘からも「根性がある」と評される、揺るぎなき「正しい母」である。
 ハルヤマの母は「強い母」だ。一見、この母が最も弱く見える。ハルヤマを連れて今の夫と再婚したが、その環境に反発して家を出、暴走族に入ってしまった息子と、やはり向き合えないままでいる。

 しかし実家の電話を借りたときに「電話代」として三万円を置き残した息子(もちろん「拒絶」の意味である)に、この母は腫れ物に触るような態度から一転、かたくなに金を返そうとするのだ。息子に突き飛ばされても「お母さん、あなたのほうが心配なのよ」とすがりつく。惨めで弱々しい姿を晒して。
 この母は、息子を愛している。そして息子は、そのことを知っている。拒絶のサインとして出した紙幣を、少年が再び手にして家を飛び出すシーンは象徴的だ。グレてしまった息子への愛を、変わらず持ち続ける「強い母」。表面上は非行を繰り返す少年だが、腹の底では親の愛を知っている。そして、そのことが作品後半、主人公少女の救いになっていく。

 少女がついに「自分は母に愛されている」と感じることができた瞬間。その胸にようやく届いた母の言葉は何だったのか。ここでは言及しないが、かつて少女だった一人として、また新米ながら親として、様々な思索のきっかけを与えてくれる物語である。
 将来、自分はどんな母でいられるだろうか。「強い母」でいる自信はまだ持てないが、少なくとも「正しい母」ではありたい、と思う私である。

2013年7月5日金曜日

乳やりソングのススメ

 我が家は親子三人暮らしの、いわゆる核家族だ。お互いの両親は遠方で、近所に友人もいない。入園前は、密閉度の高い都会のマンションの一室で、理屈も常識も通じない赤子と、たった二人だけの毎日だった。産後うつや虐待のリスクも高いとされる孤独な子育て、いわゆる「孤育て」である。

 息子が生まれたのは寒い冬だった。窓の外はどんよりと薄暗く、体調は戻らず、赤子は昼夜問わず泣き続ける。ホッとできるのは、授乳のときくらい。
 一心に乳を飲む息子の姿はとても愛おしいが、心身ともに疲れ果てているせいか、どうしても気分は沈みがちになる。マズイ。これは良くない徴候だ。どうしよう。そうだ、歌おう。歌うしかない。

 「飲ませて〜、ください〜♪」

 口から出てきたのは何故か演歌だった。飲む、というワードがおそらく脳内でリンクしたに違いない。歌ううちに興が乗って、つい声を張り上げてしまう。

 「外はふ〜ゆの〜あめぇ〜♪」

 誰もいないマンションの一室で、乳飲み子を抱え、ひとり演歌をうなる新米母。「孤育て」だからこそできる芸当といえよう。味をしめた私は「乳やりソング」として使えそうな歌を探したが、やはり「飲む」といえば演歌系が強い。あまりテンポの速い曲は疲れるので、そういう意味でも演歌はピッタリである。『氷雨』『酒と泪と男と女』『男と女のラブゲーム』……他にもあったら教えてください(笑)。

 大切なのは、母親自身が少しでも元気になること。歌うという行為は心を癒す効果がある。自分が心地よくなるために、鼻歌気分で少しコミカルな歌を選ぶのも、気持ちが明るくなって良いと思う。
 泣く子をあやすときに私がよく歌ったのは『サザエさん』。赤子を左右に軽く揺らしながら「今日もいいてんき〜♪」。もちろん伴奏は赤子のギャン泣き。明るくなけりゃやってられない、というのもまた真実だ。「ひみつのアッコちゃん」の『すきすきソング』もよく歌った。歌詞の「アッコちゃん」の部分を子どもの名前に替えて「○○ちゃーん、すきすき〜♪」とホッペをスリスリするのもイイ感じだ。
 寝不足で朦朧とした頭で、珍しく泣きもせず穏やかな息子を腕に抱えながら、ぼんやり窓の外を眺めるときに似合うのは、こんな歌だろうか。

 「きみとで〜あ〜えた奇跡が〜♪」

 ずっと家の中で、子どもと二人きりで過ごしていると、だんだん現実感が薄れてくる。未来を生きるこの子なら、空も飛べるような気がしてくる。

2013年7月4日木曜日

この世にうまれてきたことを

この世にうまれてきたことを
そんなに悲しまなくていい
だってほら
きみは呼吸をしているよ
ここがきみの属する世界

この世にうまれてきたことを
そんなに怖がらなくていい
きみを脅かすものはいない
きみは受け入れられている

さあ 力を抜いて
きみを支える腕に
早く気づいて

この世にうまれてきたことを
そんなに悲しまなくていい
だってほら
きみは乳の匂いを知っている
きみのしあわせはここにある

眠りから覚めて
すべてを拒絶して
手足を突っ張って 怯えた目で
その小さな全存在をかけて
泣き叫ぶきみ

この世にうまれてくるまでは
きみはしあわせだったんだね
手足で掻いても動かない
冷たい空気に満ちた世界
怖いのかな
怖いんだね
きみを包む柔らかな水は消え
きみを包む温かな鼓動は遠ざかり
きみを呼ぶ内なる声はもう響かない

この世にうまれてきたことを
そんなに怖がらなくていい
ここがきみの属する世界
ここできみは生きていく

この世にうまれてきたきみを
悲しませるつもりはないよ
さあ 瞼を開けて
きみを見つめる眼差しに
早く気づいて


2013年7月3日水曜日

泣き顔

泣いてるきみを見てる
泣いてるきみを見てる
赤鬼のようだなと
思いながら見てる

泣いてるきみを見てる
涙がまるく頬をつたう
鼻水と混じりあい垂れ下がる
つららのようだなと思う

泣いてるきみを見てる
「泣いてるな」と思いながら見てる

泣いてるきみを見てる
母はただ きみを見てる
きみはますます泣き声をあげる
目の前に母がいるのに
「ママどこ?」と言いながらしゃくり上げる

そう 母はここにはいない
泣いてるきみを見てる母は
ただ きみの泣き声を聞き
泣き顔を眺めているだけの容器
容器に向かって泣くきみは
空しさを募らせ ますます声を上げる
母はどこかへ行ってしまった
ここにはただ容器があるだけ

容器の中に涙がたまる
容器の中に泣き声が満ちる
容器がきみの涙と嗚咽でパンパンになる
泣いてるきみを見てる
泣いてるきみを見てる
きみの涙と嗚咽の海に
母はしばし解き放たれる

泣いてるきみを見てる
いつ泣きやむのかなと思いながら見てる
般若のようだなと思いながら見てる
泣いてるきみを見てる母を
求めてきみはひたすらに泣く

2013年7月2日火曜日

甘くておいしい○○の話

 松谷みよ子さんの絵本「ちいさいモモちゃん」シリーズに『ぽんぽのいたいくまさん』という作品がある。風邪を引いたモモちゃんが飲んでいたクスリが、自分も欲しくなった「くまさん」は、モモちゃんのベッドに入り込んで「ぼく、かぜひいたらしい」と主張する。同情したモモちゃんの頼みでママが出してくれたクスリは、しかし「おなか」のクスリだった。途端に「かぜはなおった、ぽんぽがいたい」と主張を変更(!)するくまさん。訝しがるママとモモちゃんの前で、くまさんは叫ぶ。「モモちゃんの あまいおくすり、ほしいよう」……。

 この作品の初版は一九七五年。もう四十年近く前だ。私が読んだのは九六年発行の新装版だが、ところで一体いつごろから、子どものクスリは「甘く」なったんだろうか。
 初めて息子に薬を飲ませたのは生後二ヶ月のときだった。こんな赤ちゃんが薬なんて飲めるのか、と不安がる私に、先生は「大丈夫。甘い薬だから」とあっさり言った。薄桃色の粉薬を水で溶いて唇に乗せると、嫌がることなく口を開けてゴクンと飲んだ。こうして息子の人生初服薬はあっさり終わった。
 その後もいくつか内服薬のお世話になったが、いずれも「甘い」薬だった。薬というのは当然ながら普段は飲まない。飲むのは病気などの「特別なとき」だ。そして子どもは「特別」が大好きだ。
 「ごはんのあとは、おくすり?」息子がせがむ。スポイトで琥珀色の液体をコップに入れる。風邪のときによく出される混合シロップだ。待ちかねたように口を付け、愛おしそうにチュパチュパ味わいつつ飲み終わると、満面の笑みで言う息子。「おくすり、おいしかった! もっとのみたいなあ」……。
 違う。何かが違う。

 もちろん、喜んで飲んでくれるに越したことはない。ネットには「薬を飲まなくて困る」というママさんたちの声があふれているし、薬局にはさまざまな服薬支援グッズが並んでいる。親としては「薬は苦くあるべきだ!」と主張する気には到底なれない。
 しかし世の中には、親として子どもに伝えるべきこともあると思うのだ。たとえばモノの善悪、ルールを守ること。人としてのモラル、この世の理(ことわり)。赤信号は守るべきだし、悪いことをしたら謝るべきだ。春の次には夏がくるし、雨が降れば植物が喜ぶ。みんなで食べるごはんはおいしい。病気のときにのむクスリはニガイ。
 薬とは「甘い」ものだと思っている息子は、いつどうやって真理を知ることになるのか。息子にうつされた風邪を葛根湯(←苦い)であしらいつつ、思い巡らす母である。ちなみに冒頭の絵本は後半、なかなか驚きの展開を見せる。大先生ならではのフリーダムさが炸裂して実に楽しいのだが、図書館等にはあるものの、すでに絶版とのことで残念である。

2013年7月1日月曜日

最低限の任務

 自慢じゃないが料理はあまり得意じゃない。全くできないわけじゃないけど、できれば面倒なことは避けて通りたい。結婚してから毎朝、旦那さんの弁当を作っているという友人の話を聞いて「うへえ、アタシにゃ到底できんわ……」と思ったものだ。大人ふたり暮らしの頃は、それでもよかった。

 当然ながら子どもには、三食きちんと食べさせなければならない。親として何をすべきかなどサッパリわからない新米だが、少なくとも飢えさせないのは最低限の任務のはずだ。相方は昼間は仕事に行ってしまう。私がやるしかないじゃないか!!
 ビックリマークをつけるほどのことかと思わなくもないが、子どもに三食食べさせるという、今後も延々と続く壮大な親の仕事のスタートである。まずは離乳食。手にした育児本のレシピに従ってドロドロのおかゆを作り、ちょんと舌に乗っけてみる。べええ、と出してしまう。しかし次の日にはペロペロ食べた。料理というよりは理科の実験みたいだ。
 最初は一日一回。おろし金やすりつぶし器で何でもドロドロにすればいいのだが、慣れないうちはそれなりに大変だ。そして次第に回数も増え、食べ物もカタマリ状になっていく。ちょうどこの頃、電子レンジ用のミニサイズのシリコン鍋が大流行して、随分お世話になった。小さく切った野菜を入れてチンすれば柔らかくなるのだから実にラクチンである。

 いわゆる離乳食はおおむね一歳半頃に終わる。この頃になると食べる量もかなり増え、栄養バランスも求められてくる。ここでも頼りは育児本だ。「一汁二菜」「赤黄緑を揃えて」等々、書いてあるとおりに「ふわーい」と言いながらタラタラ作る。とにかく面倒なことはしない。材料の多いレシピ、手間の多いレシピは作らない。このあたりは大人の料理を作るときと一緒である。
 二歳、三歳になってくると食べられるものも増える。時々は総菜も使うし外食もできる。スペシャル感があるので子どもも喜ぶし親はラクができる。何せ先は長いのだ。息切れしないためにも「ラク」の追求は重要である。

 そして入園を迎え、気づけばなんと今は毎朝、子どものお弁当を作っている私である。いやもう自分にビックリだよ。おかゆを必死にすりつぶしていた頃は、こんな日が来るとは思いもしなかった。なんというか、人間ってうまくできてるなあ、というか。
 毎日、空になった弁当箱を見る幸せ。自分が作った料理を子どもが喜んで食べてくれる。嬉しいものだなあ、と思う。とはいえ面倒なことは苦手なので、できればキャラ弁とかは勘弁してほしいけど。そして入園をきっかけに毎朝、節約のため弁当箱にご飯と練り物を詰め込んで家を出るようになった相方の弁当を作る予定は今のところない。

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