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2013年7月24日水曜日

笑う母親

 私の母が、街で泣きわめく子どもを強い態度で叱りつけている母親を見かけたという。母親は見るからに疲弊しており、心配になった母はつい「大丈夫?」と声をかけた。すると母親はキッと振り向いて、こう叫んだという。「虐待じゃありませんから!」

 ああ、気持ちがわかりすぎて胸が痛い。もちろん母親のほうの、である。公の場で泣き叫ぶ子どもに神経をすり減らす体験は、親にとって通過儀礼のようなものかもしれない。
 叱ろうがなだめようが、どうにもならない時というのはあるわけで、そうなったらもうその場を立ち去るか、子が泣き飽くのを待つしかない。意に沿わない子への苛立ち、周囲の視線に対する居たたまれなさ、苛立ってしまう自分への嫌悪。それらがないまぜになって、親を苦しめる。
 ギャン泣き状態の子を連れて歩く商店街は、さしずめ花道だ。こちらに向けられた顔は一様に、目元に苦笑いを浮かべている。買い物中の老若男女、コンビニ前で一服中のサラリーマン、建築現場で休憩中の作業員や警備員、通りがかりの若者や小学生。
 皆が見ているのは、泣き叫ぶ子どもではない。人々が苦笑混じりに見つめるのは、子どもではなく親である。皆は親を見ているのだ。その子の保護者であり管理者,責任者であるはずの親を。

 そのことに気づいてから、私は意図して笑うようになった。どのみちそう簡単に泣き止みはしないのだ。親が感情的になっていては、周囲に与える印象も悪くなる。逆に親が「しょうがないなー」という感じで余裕を見せていれば、周囲も余計な心配をしなくて済む。ブチ切れそうな心を隠して笑うのは大変だが、ここは女優さながら演技あるのみだ。
 時折、私の母のようなお節介、じゃなかった親切な方が話しかけてくる。飴玉を差し出したり、「○○なのかしら?」「○○したらどう?」と助言してくださったりする。余計なお世話と感じることもあるわけだが(すいません)、これも笑顔でやり過ごす。そのうち、子がギャン泣きしても、かなりのレベルで平常心を保てるようになる。親としての階段を、少しは上ったかもしれないなあ、なんて思う。

 商店街の自転車置き場で、泣き叫んでいる子どもがいた。お母さんは冷静かつ根気強く諭しているが、子どもは完全にパニック状態。自転車のチャイルドシートに乗るのを嫌がり、今にも脱走せんばかりだ。
 「ほら、おともだちはいい子で乗ってるよ」。お母さんが息子を指差す。いえウチの子も大変なときはホントに大変で、なんて台詞が胸に浮かぶが、口には出さない。この状況で他人に話しかけられることは、たとえ気遣いの言葉であってもお母さんには負担になるだろう。軽く会釈して、そっと立ち去る。
 しばらくして同じ場所を通ったら、まだ親子の攻防は続いていた。お母さんは相変わらず冷静な口調である。何気なく通り過ぎながら、私は心の中でつぶやいた。がんばれ、お母さん。

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