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2013年8月16日金曜日

空気を変える力

 最近、好きでよく見ている映像がある。どこかのショッピングセンター内の、人気歌手のイベント会場。簡易に組まれたステージと、傍らに貼られたポスターでそれとわかるが、背後には行き交うエスカレーターが映りこんでいる。いわゆる「ミカン箱」とまではいかないが、正直、ステージを披露するのに適した場とは言いにくい。
 そのステージに、二人の男性ダンサーが登場する。場はまだ日常の喧噪の中にあり、彼らの派手な衣装と濃いメイクは、滑稽なほどに浮いている。
 俯いた姿勢のまま、じっと静止している。音楽が始まる。身体が動く。瞬時に、空気が変わる。

 腕のひと振りで、肩のひと回しで、場の空気を日常から非日常へと変えてしまう力は、どうしたら身に付くのだろう。肉体表現とは縁遠く生きてきた私は、そんなことを考えながら何度も見入ってしまう。
 日々の鍛錬、持って生まれた資質。加えて人前で魅せるプロとしての経験。彼ら自身の目に映るのは退屈な日常であるはずなのに、彼らは仮面を崩さない。時に挑むように笑い、時に無表情で立ち止まる。日常に不躾に佇む、何のセットもないステージで、プロの凄まじさを見せつける。私はただ圧倒される。

 プロであれば誰もが「プロの凄み」を発揮できるわけではない。だから、こうした場面に出会えるのは本当に貴重だし僥倖だ。
 そしてエンターテインメントには、生で味わえる凄みがある。生の舞踏、生の演劇、生の演奏、生の歌。そこに生きた人がいて、自分と同じ肉体を持つ人がいて、彼らの到達点を惜しげもなく見せてくれる。それは見る者にとって、ほとんど奇跡に近い。

 歌う、話す、という営みは、誰にとっても身近であるが故に「プロ」を想像しにくい部分があるかもしれない。書く、という営みもそうだろうか。まあ、それはいいとして。
 絵本を朗読する、という体験を持つママさんは多いだろう。私も息子にせがまれて、よく絵本を読む。自分で言うのも何だが結構、上手なほうだと自負している。とはいえ、母が子に読み聴かせる場合、上手下手を云々することに、あまり意味はないけれど。
 しかしこの春、代官山の書店で開かれたイベントで、聴衆に向かって絵本を読む彼女の声を聞いた瞬間、私は気づいたのだった。「上手」と「プロ」は違うという、当たり前のことに。そこには全く別の文脈があり、別の到達点があることに。
 長年の友人でもある彼女は、歌手・ナレーターとして人前で声を発してきた「プロ」である。その魅力的な発声と、自ら選んだ絵本によって紡ぎ出される、そこにしかない空気の中を、生きる機会を与えられた小さな言葉たちは、本当に幸せ者だと思う。


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