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2013年9月17日火曜日

空飛ぶアザラシ

 上京した父が、息子にお土産でシールブックを買ってきた。シールブックというのはシール本体と、それを貼るための背景イラストが描かれたページが冊子状になったもので、子どもの多くが夢中になる、こそだて界では大変にポピュラーな商品である。
 大喜びで早速、シールを貼ろうとする息子。その横で、父がやたらと口を出す。「ほら、そこじゃないよ」「それはこっちだから!」。何とか「正しい箇所」に貼らせようと躍起になる父。「いいじゃん、どこに貼っても」。つい口を挟んでしまう私。

 「正しい箇所」というのは、たとえば魚なら水中、クレーン車なら工事現場、電車なら線路の上。シールブックには「貼り方の見本例」が載っており、確かにこれが「正答、正解」だと理解できなくもない。
 実際、幼稚園でも「シールを適切な箇所に貼る」練習をするらしいし、「知育シール」なんて名前の商品もある。世界の成り立ちを理解して、あるべきものを、あるべき場所に。もちろん、理屈はわかる。

 でも、子どもにとって、シールブックは遊びだ。だったら、好きな場所に貼ればいい。「どこにあるべき」「どこが正解」なんて考えなくていい。
 世界の成り立ちなんて、そのうち嫌でも覚える。魚が空を飛んでいたらヘンだと思うようになるのだから、せめて今は自由な発想で楽しんでほしい。
 「どこに貼ろうかな……」とうきうき考えている息子の思考を中断して「ここが正解!」と決めつけることは、発想の幅を狭めてしまうようで、むしろ知育的にも好ましくないような気がしないでもない私なのだが、もしかして少数派? ……いいけどさ。

 子どもの言動の「シュールさ」は一歳代がピークで、自力で体が動かせるようになる反面、世界の秩序は理解していないので、気づけば傘立ての中に積み木がギッシリだったり、鞄からニンジンが出てきたり、電子レンジの中にくまさんが鎮座していたり。
 秩序に縛られた大人には、何をやらかすか想像もできず大変なのだが、その突拍子もなさすぎる行動に、思わず笑ってしまうことも多かったりする。
 これが二歳代になると、少しずつ「シュールな」言動は減ってくる。それは成長で、そうでないと困るが、身近に異次元のボケをかます人間(=子ども)がいた、大変ながらも愉快な生活は終焉へと向かう。

 そうはいっても、三歳の今も「ママさ、ちっちゃくなったらぼくのイス座っていいよ」とかワケの分からんことをぬかしているので、しばらくは楽しめそうだけど。子どもだけに許された世界を、今はまだ存分に生きてほしいと願う母である。
 (父の誘導によって)正しく破綻なく貼られたシールブックを眺めても、ちっとも面白くない。空をアザラシが飛んでたっていいじゃん。ねえ。

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