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2013年9月19日木曜日

それは美学です

 最近、自分で着替えができるようになった息子。得意気に着替えるが、まだ親の手が必要なことも多い。「ほら、Tシャツの裾がズボンの中に入ってる。出さないと」「でも、おなかが冷えちゃうよ?」。
 実に正しい疑問を発する息子。大丈夫だよ、まだ暑いし。というか、それより大事なことがあるだろう、と口を開く私。「だって、カッコ悪いじゃん」。

 それ以来、「Tシャツはズボンから出さないと、カッコわるいからね」と復唱しながら着替えるようになった息子である。何だか世間様の視線が冷たい気がするが、だってカッコ悪いんだもん。寒くなったら「下着はズボンの中!」と教えればいいし。
 ちなみに息子、お風呂上がりには「髪の毛ときときして〜」とねだることもある。めんどくせー、と思いつつブラシで梳かしてやる母(←ヒドイ)。女の子はきっともっと大変なんでしょうねえ……。

 まあ、その大変さも、服を着せたり髪を整えたりするたびに「わあ、カワイイ〜」なんて言い続けてきたことを思えば、ある意味で当然の帰結ではある。
 その「カワイイ〜」の中には、「だから大人しくしてて」とか「それ安いんで買っときたいからよろしく」とか「もう諦めて帽子かぶってくれ頼むから」とか、いろんな下心が入っていたりするわけだが、一方で子どもの側にも「どんなときにカワイイと言われるか」という経験則が蓄積されるに違いない。
 それが子ども自身の美意識や価値観の形成につながると思うと、やっぱ親の影響って良くも悪くも大きい。ちょっとコワイ。とゆうか自信ない(笑)。

 美的センスはともかく、世の中には「善か悪か」「正か誤か」「好きか嫌いか」といった基準のほかに、「カッコいいか、カッコ悪いか」という判断基準がある。「美しいか醜悪か」と言い換えてもいい。
 弱いものイジメは「するべきじゃない」と同時に「カッコ悪い」。公の場で騒ぐのもカッコ悪いし、困難や面倒から逃げるのもカッコ悪い。倫理やモラルは外的基準だけど、自分なりの「カッコよさ、美しさ」すなわち「美学」は、自分の中に持つ基準だ。
 何を美しいと感じるかは人それぞれだけど、正しく美しい「美学」は、選択に迷ったときの重要な指針、支えになる。自分の信じた美しさを、貫ける人間であってほしいと思う。もちろん私自身も。

 身だしなみとしての「カッコ良さ」も大切だけどね。相方は若い頃、ヒゲ面で帰省して、驚いた義母に「家から一歩も出るな!」と厳命されたそうな。
 まあ自分を省みても、親には理解できない格好をするもんですよね子どもって。もし息子が将来「シャツはイン!」「上着は肩掛け」「靴は素足に!」と、どこかの俳優さんのような美学を持つようになっても、甘んじて受け入れるよう努力します……。

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