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2013年9月30日月曜日

泣くということ

 悲しいことがあって泣いた。泣きながら、「泣くこと」について考えた。
 実は私は、かなり涙もろい。テレビや映画を見て泣き、本やマンガを読んで泣き、己の不甲斐なさに泣く。ただし一人か、せいぜい家族の前で。さすがに人前では制御する。皆さまと同じように。

 以前から仕事柄、家に一人きりでいることが多かった。感情が動いても、受け止めてくれる他者はいない。激昂しようが号泣しようが誰も慰めたり共感してはくれないが、変な目で見られることもない。
 そのせいか、家では安心して(というのも変だけど)泣くクセがついてしまったのかもしれない。

 「できなくてもいいけど、泣いちゃダメだよ」。最近、私が息子によく言う台詞だ。叱られてもいないのに、着替えがうまくできないと言っては泣き、ブロックが上手に外せないと言っては泣く息子は、どちらかといえば泣き虫かなあ、と思う。
 でも、どうして「泣いちゃダメ」なんだろう。どうして私は息子に「泣いちゃダメ」と言うのだろう。自分が泣きながら、そんな疑問が湧いてくる。

 そのとき家には家族がいた。彼らは「悲しいこと」には無関係で、理由が分からず戸惑っている様子だった。泣きながらも様々な感情に襲われる。私は何かを求めているんだろうか。慰めてほしいのか、放っておいてほしいのか。それは、甘えではないのか。
 家族を戸惑わせて泣き続けるのは、気持ちのいいものではない。でも涙が止まらない。申し訳ないと思いつつ、この場で流してしまわなければいけない感情があるのだろうな、と思ったりする。
 話はそれるが、少し前に「涙活」という言葉を聞いて、ひっくり返った私である。いまは泣くにも「活動」が必要らしい。泣ける本などで意識的に涙を流してスッキリ、ということらしいが、それなら私は『ガラスの仮面』の、主人公マヤの母親が亡くなるシーンが鉄板だ。展開も全部覚えているのに、何度読んでも号泣する。特にスッキリはしないけど。

 私に「(泣くことで)その場で流したい感情」があるのなら、息子にだってあるはずだ。小さな身体で泣き続けるのは体力も相当に消耗するはずで、それでも泣き止めない何かが、彼の中にもあるのだ。たとえ、外からはまったく理解不能だったとしても。
 泣くのは幼いし、恥ずかしいし、うるさい。男の子だし、感情を制御することも覚えてほしい。そんな思いもあって、つい「泣くな」と口にしてしまう。
 でも「泣くのは赤ちゃんだからね」と言いながら歯を食いしばる息子を見ると、「泣いてもいいよ」と言ってあげられる場面だってあるのではと、少し反省する私である。母ちゃんも泣き止めないんじゃねえ。そりゃボクにはムリだよねえ……。

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