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2013年10月31日木曜日

食卓の記憶

 私が育った家庭には、「出された食事に文句を言う」という文化がなかった。そう躾けられたというよりは、「そういう文化がなかった」のである。
 思うにこれは、父の態度が関係している。父は、食べ物に文句を言わない人だった。何を出されても食べる。子どもの残したおかずも全部たいらげる。

 父の姿を見て、そういうものだと思って育った。だから私は今でも、他人が作ってくれた食事に対し、マイナス評価や文句を口にすることはない。しないというより、できないのだ。
 ところが相方の家は、なんと真逆なのである。母親が作ってくれた食事に「まずい」「塩が足りない」「味がぼやけている(!)」と文句を付ける小学生男子。……それもどうなのか。

 相方は言う。そうやってハッキリ伝えることで、母親は試行錯誤を繰り返し、料理の腕も上がったと。味付けを批評するのは、だから悪いことではないと。
 なんだ、その上から目線は。子どものくせに(まったく)。義母がどう感じていたかは不明だが、ただ少なくとも彼にとっては、それも母との大事なコミュニケーションだったように思われる。次男の彼は、そうやって母親の気を引こうとしたのかも、なんて想像する未来の嫁たる私。ちなみに彼は料理ができる(本職ではない)。私よりずっと上手だ。

 子どもの頃の授業参観で、「みなさんの『おふくろの味』は何ですか」という質問があった。母親たちの前で、子どもたちは張り切って答える。ハンバーグ、オムライス、みそ汁……。「コーンスープ」。私が答えた瞬間、教室内が微妙な空気になった。
 コーンスープといえば、レトルトや粉末だと思われたのかもしれない。私は下を向いた。母に悪いことをした、という思いで一杯だった。違うのだ。小麦粉を炒めてホワイトソースを作るところから始まる母のコーンスープは、本当に本当に美味しいのだ。
 私はこのスープが大好きで、よくリクエストした。母は「あれは大変なんだけどねえ」と言いながらも作ってくれた。私の「おふくろの味」は、今もあのコーンスープ。もう面倒がって作ってくれないけど。

 息子は私の父に似て、何でもよく食べる。しかし最近は味覚が発達してきたのか、料理によっては明らかにペースが落ちる。「おいしくない?」と尋ねると、必ず「ううん、おいしいよ」と答える。そういうところは「私にそっくり」だと相方は言う。
 「ママにごはん作ってあげる」という息子の言葉につい「嬉しいなー」と反応してしまうと、ママゴト遊びが待っている。油断大敵(?)なのだが、いつか本物の食事が出てくる日を、母は首をスパゲッティにして待っている。うどんでもいいけど。

2013年10月30日水曜日

わたしミキ

 (トゥルルルー トゥルルルー)

 (もしもし わたしミキ)
わあ ミキちゃん
 (すきなたべものは なあに?)
かぼちゃと さつまいも!

 (もしもし ぼくショウ)
・・・
 (きみは なんさい?)
えっと さんさい!
 (ぼくは ごさい)
 (おしえてくれて ありがとう)
・・・
 (おはなし たのしかったね)
 (バイバーイ)
・・・ガチャン!

 (もしもし わたしマイ)
マイちゃんか・・・
 (すきなのりものは なに?)
・・・ぎゅうにゅう!
 (じょうずにいえたかな)
まあまあかなー
 (また おはなししようね)
 (バイバーイ)
・・・ガチャン!

 (もしもし わたしミキ)
ミキちゃん!
 (すきなどうぶつは なあに?)
パンダさんと ネコちゃんと くまさん!
 (じょうずにいえたかな?)
いえたー
 (おはなし たのしかったね)
うんたのしかったねー
 (じゃ またね)
うん またね バイバーイ

 (もしもし ぼくショウ)
・・・ガチャン!

2013年10月29日火曜日

秋晴れの公園で

 秋晴れの公園。子どもたちが駈けていく。これだけの広さの、しかも芝生の公園は、都内では数えるほどしかない。あっという間に豆粒サイズになる息子の姿を目で追いながら、屋外でこんなに息子と距離が離れたことがあったっけ、とぼんやり考える。
 息子と公園へ行くのが、あまり好きではなかった。今もそうだ。公園遊びは、パパに任せてしまう。だから息子は週末になると、パパと公園へ行きたがる。私に公園行きをねだることはもう、ほぼない。

 公園が苦手な理由の一つは、かつてそれが義務だったからだ。誰が強制するわけでもないが、赤ちゃんを連れて散歩に行くべしと、どの育児本にも書いてある。孤独な都会の新米母としては逆らいにくい。
 住宅街を抜けて近所の公園へ行く毎日が、私には辛かった。「公園デビュー」という言葉が昔流行ったが、公園で出会うママさんは皆、笑顔で親切で、だからそれは理由ではない。

 「今日はどこへ行こうか……」。朝起きるとすぐ、こんな思いが頭をよぎって憂鬱になった。雨の日は、雨を理由に外出しなくて済むと思うとホッとした。近所の児童公園を三つほどローテーションで回して、それでも本当に飽き飽きして、とはいえ気晴らしに頻繁に遠出するほどの気力やお金はない。
 そこまで公園が辛かったのには、もう一つ大きな理由がある。息子は、公園遊びが苦手な子だった。行きたがるのに、遊べない。遊ぼうとしない。

 遊具の側にいても、他の子が来たら逃げてしまう。先客がいれば遊具に近寄ろうともしない。滑り台もブランコも、一人では怖がってやろうとしない。どう見ても息子より小さな子が、勢いよく滑って遊んでいるのに、親にしがみついて離れようとしない息子。一体、何のために公園へ来たのか。
 息子より明らかに小さな子が、よちよちと楽しそうに歩いている。息子はまだ歩く気配もないのに。比べたくもないのに他の子と比べてしまう、そんな自分にも心底ウンザリして、私は次第に公園から足が遠のいた。買い物帰りに息子が寄りたがっても、「どうせ遊ばない」と思うと寄る気になれなかった。

 クラスメート数人と訪れた秋の公園で、息子は友だちの背中を追って走り回った。友だちとボールを取り合い、名前を呼ばれて滑り台に駆け上り、「せーの」で滑り降りる。苦手なブランコも一人でこぐ。
 こんな息子は初めて見た。入園して、まだ半年なのに。園生活ってすごい。おともだちってすごい。親のことなど一顧だにせず、一目散に駈けてゆく息子の背中を、私はどれほど見たかったことか。
 夢が叶った一日だった。沢山の後悔と反省と申し訳なさを覚えながら、少しでも長くこの光景を見ていたい、と思った。

2013年10月28日月曜日

バラの檻作戦

 もう20年近く前の雑誌の記事。関西の、とある名門お嬢様学校の卒業生たちの「その後」を追ったレポートなのだが、あまりに強烈というか印象的な内容に、この雑誌、今でも捨てずにとってある。

 記事によれば、この学校は地域でも有数の「社長夫人養成学校」。結婚相手の家格で、すべての価値が決まる。サラリーマンと結婚するのは、どんなに一流企業で高給取りだとしても「負け組」だという。
 そんな学校に娘を通わせる、とある医師の家。跡取り息子に恵まれずに親族から嫌味を言われた母親は、娘を「親の都合のいい相手」と結婚させるべく方針を立てた。それが「バラの檻(おり)作戦」。

 それはひとことで言えば「贅沢で自由のない生活」(記事より)。親の財力により生活レベルは相当に高く、広い自室にブランド物、高級レストランにエステの日々。ただし旅行は母親同伴で、門限は六時。デートや夜遊びの入る余地はない。
 反発した娘は合コンで知り合った男とデートしたものの、店の安っぽさに幻滅してアッサリ母親の元へ戻った。贅沢な生活をキープしたければ、親の勧める相手と結婚するしかない。こうして親の築いた「バラの檻」の外では生きられない娘が出来上がる。

 娘に苦労させまいとした親心と、母親の虚栄心が「バラの檻」を生んだ。これが息子でも同様だろう。親の価値観に取り込んで、逃げる気力を失わせる。そこが「檻」なのは、簡単には抜け出せないからだ。
 自分のためだけに用意された檻の中は快適で、最も心地よく生きていける場所だ。その檻は、親の愛情という名の鎖でできている。人は憎悪からよりも、愛情から抜け出すほうがずっと難しい。憎悪なら反発すれば済むが、愛情は鎖となって心身に絡み付く。抜け出そうにも多大な自責の念が邪魔をする。
 娘は結局、檻の中の暮らしを選んだ。親の価値観の内側で生きる人生を。当然、どんな選択も当人の自由だ。大事なのは当人にとっての幸せなのだから。

 バラ製ではなくとも、見えない「檻」は私たちの心身に絡み付いている。それは自分が属する社会や組織の秩序だったり、自分が感じる世間からの役割期待だったりする。いずれも、そこに属さない人から見れば檻のように狭い世界だ。
 檻の中で生きるうち、いつしか外へは出られなくなる。ただ、鎖に巻かれるのは悪いことばかりじゃない。私たちの精神は不安定すぎて、拠り所がなければ形を保っていられない。きっと誰もが、何らかの檻にしがみついて生きている。
 親の作る檻なぞ蹴破って生きてほしい反面、自分の価値観に背いてほしくないとも思う。せっせと檻を作る親に、私もなるのだろうか。その答えは、きっと子どもが教えてくれる。

2013年10月25日金曜日

夢中になりたい

 ライブやコンサートが好きで、事情が許せば足を運ぶ。最近は人気アーティストが複数出演する形式のイベントが本当に多い。おかげでお目当て以外の、いろんな「旬の人たち」に出会えるのが楽しい。
 会場ではそれぞれの出演者のファンが、ファンであることをアピールするグッズを手に待機する。お目当てが登場すれば、まばゆいステージを見つめて叫び、手をふり、飛び跳ねる。そんな人たちの姿に、ああ、好きなんだなと、なぜか嬉しくなる私。

 「頑張る人は大好き」。以前、スキューバダイビングにハマったとき、インストラクターに言われた言葉だ。スキューバは初心者でも楽しめるレジャーだが、上手くなろうと思えば奥行きは半端なく深い。
 中性浮力を保ち、海中をスムーズに移動する、その難しいこと! 上手になりたくて、せっせと海へ通った。ボートではなく漁船で沖へ出ることもあった。「(漁業と)共存共栄ですね」とインストラクターに言ったら「違います。こちらがお邪魔してるんです」。世の中、いろんな事情があるものだ。
 海で会うダイバーには若い人もいたが、巨大な撮影機材とタンクとウエイト、総重量ウン十キロを背負って海から悠然と上がり、陸では女子会モードで大はしゃぎの、どう見てもアラ還(?)な女性も多かった。いやはや、いろんな世界がある。世の中は広いなあと思うとき、私はいつも幸せな気分になる。

 服作りを始めて以来、道ゆく人の服に目が行くようになった。手持ちの服も、どんな布でどう作られているのか、改めて眺めると意外な発見がある。
 以前は服といえば既製品、つまり完成して店に並んでいるものだった。でも実際は、服は布を裁って縫うことで作られている。布は糸を織って(または編んで)できているし、糸も元は植物などの繊維だ。
 どの糸をどう織ればどんな布になり、それをどう裁って縫えばどんな服になるのか。趣味で何着か作った程度なのに、衣服というものを見る目が全く変わっている自分に気づく。
 布のネットショップには小さな会社も多い。西方の住所が多い気がするのは紡績業との絡みだろうか。ネットでは他にも型紙や資材ショップ、手づくりファンが作品を投稿する掲示板やブログが盛況だ。ハマる前には知る由もなかった世界がここにもある。

 初めて誰かのファンになったのは中学生のときだった。地味な性格だった私が、ファンクラブに入ってせっせとファン仲間を作った。そのうち色々な音楽を聴くようになり、いつしか自分でも訥々と作り始めた。最初の情熱が、今の私に繋がっている。
 人はそう簡単に夢中になれるわけじゃない。夢中になること、夢中を生きることは、人生でも最も幸せなことの一つだ。誰もが何かに夢中になりたくて、その「何か」を探している。
 夢中な人には引力がある。その情熱が新しい世界の扉を叩き、出会いや運を引き寄せる。何かに夢中になることで、人生がダイナミックに展開していく。そんな体験が、息子の人生にもきっと待っている。

2013年10月24日木曜日

ママとカバン

ねえママ
なにしてるの
かばんつくってるの
ようちえんのかばんなの
ぼくがようちえんにいくかばんなの

ママがかばんつくってるとこで
ぼくはでんしゃであそんでいます
ママ かばんつくるのたいへん?
ママ がんばれー
かばんつくるのがんばれー

ママがかばんつくってるとこで
ぼくはおおきな紙にえをかいています
これは でんしゃなの
おっさんがのるでんしゃなの
まもなくドアがしまります
ごちゅういください

ねえママ かばんもうすぐできる?
これ もうすぐかばんになる?
えー? まだー?

ねえママ
きょうもかばんつくる?
じゃあ ぼく
きょうはブロックあそんでてもいい?


2013年10月23日水曜日

妊婦ダイエット

 タイトルに掲げといて何だが、妊婦にダイエットは厳禁である(当然)。では「ダイエット」本来の意味における「妊婦の食事管理」についての話ね、とお思いの方、残念ながら半分しか当たっていない。
 妊娠出産を通じて「痩せる」。これが今回のおはなしである。いやマジですって。私、妊娠後期のとき、偶然会った友人(←妊娠を知らない)に「痩せたね〜」と言われたんですから。

 当然ながら、体調不良で痩せては意味がない。妊婦は健康第一。きちんと健診を受けて経過を把握し、医師の指示を守って適切な食事をとる必要がある。
 実は私には妊娠前、自己流の食事と運動で八キロ痩せた経験があった(←一応ホント)。「バランスの良い食事」には密かに自信があった。妊婦として、ちゃんと適切な食生活を送っているという自負が。

 なので妊娠中期、糖スクリーニングで引っかかり、「栄養相談を受けるように」と言われたとき、とても心外だったのだ。相談では普段の食事内容と、いかに自分が気を使っているかを一気にまくしたてた。
 胸に「管理栄養士」の名札をつけた若い栄養士の女性は、私の話を聞きおわると開口一番に言った。「ご飯が少ないと思います。もっと食べましょう」。

 は!? もっと食べろ? 糖が出てるのに? 「良質の炭水化物は一定量とってください。これは糖尿病の方も同じです。あなたの必要量は、このくらいですね」。え、そんなに!? 思わずうろたえる私。
 実は前のダイエットのとき、おかずを沢山食べたいがために、ご飯の量は極力減らしていた。それではいけない、とプロは言ったのだ。「目からウロコが落ちる」とは、きっとこういうときに使うのだ。

 ご飯を増やすとお腹にたまる。高カロリーのおかずが必然的に減ったせいか、私の体重は増加を止め、横ばいになった。腹の中には日々巨大化する生命体がいるのだ。体重が横ばいということは、腹の子以外すなわち私自身は、痩せていることを意味する。
 当時の写真を見ると、確かに細い。寒い季節で、服装を工夫すればお腹はかなり目立たなくできた。食事はバランスよくしっかりと、産院のマタニティビクスにもせっせと通った。おかげで腹の子は順調で、最終的な体重増加は+5キロ。先生に「手本にしたいくらい理想的」と褒められたのが自慢だ。

 もちろん個人で事情が異なることはくれぐれも了解いただきたい。意図したわけではないが、とにかく私は子を産んで痩せた。出産後に凹んだ腹を見て、このままお腹ぺったんこになれるかも、と期待した。
 そこで引き締め運動や体操に意欲的に取り組んでいれば、今とは違う未来があったのだろうか(涙)。体力が戻れば、食欲も戻る。子育ては体力勝負。気づけば見覚えのある姿に戻った自分の腹を眺めて、ため息をつく私。こんな体験、少しは妊婦の皆様のお役に立てますか? ちょっと心配……。

2013年10月22日火曜日

つぼみが咲いたら

つぼみが咲いたら
旅に出ようと思ったのです
遠い遠いところへの旅に

私がいなくなっても
咲いたつぼみが笑っていてくれるでしょうから

人が旅立とうと思う理由
病 絶望 無気力 孤独
その多くを 私は持っていました
だから迷いはないのです

一日目
つぼみはまだ咲きません
旅には準備が必要ですが
私の旅は持たざる旅
詰めるものなどありません

二日目
つぼみはまだ咲きません
とりあえず水をたっぷりやってから
ゴロンと横になりました
なに 寝るのも旅も似たようなものです

三日目
つぼみはまだ咲きません
もしかすると
肥料が必要なのかもしれません
旅にもいくばくかの気力が必要なように

四日目
私は旅に出たいのです
こうしているのは辛いのです
なのに
つぼみはまだ咲きません

五日目
つぼみが咲いた夢を見ました
黄色い小さな花でした
そういえばどんな花が咲くのか
私は知りません

六日目
つぼみは咲いていないのに
もうひとつ新しいつぼみができました
小さな瑞々しいつぼみです

七日目
つぼみが下を向いているように見えました
まるで つぼみでいるのが
そろそろ疲れたかのように

私は焦りました
水やりは欠かしていないのに
肥料は適切なはずなのに
病気でしょうか
それとも寿命なのでしょうか

私は家を飛び出しました
家の前で車に轢かれそうになり
「バカヤロー」と叫んでから
近所の花屋へと向かいました
何かアドバイスをもらうために

「花を助けてください」
私が花屋でそう叫んだ頃
家の中では黄色い花と赤い花が
ニッコリ笑って咲いていました


2013年10月21日月曜日

死にたいくらいに

 子どもが生まれると「地域」が存在感を増してくる。出生届に母親学級、乳児健診に児童館。生まれた土地を離れ、根無し草のようにフラフラ生きる余所者気質の私にも、「地域」は容赦なく立ち現れる。

 私にとって現在の「地域」である東京(の某区)は、車は多いが車社会ではないので、近隣への移動は徒歩か自転車だ。商店街では昔ながらの魚屋や肉屋、豆腐屋が、バリバリ現役で営業している。
 子連れで歩けば、顔見知りの商店主が声をかけてくれる。スーパーの店員さんが皆、子どもの顔を知っている。近所の幼稚園に入ってからは、園を通じて地元の同世代や若い人たちとの交流も増えた。
 こんなに「地域」に近い暮らしは初めてだ。まるで昭和の映画の中にいるみたい。しかもここは大都会TOKYO。何だか不思議な気分だ。

 私は就職で東京に来た。ある職場に、原宿の実家に暮らす女の子がいた。隣接地に所有するアパートは、1Kで七万円だという。彼女は言った。「七万も出して、あんな狭いところに住む人もいるのね」。悪気はなさそうだった。けれど「あんな狭いところ」を必死で目指す側にいた私には、胸が痛かった。
 「地方から出てくる人間のパワーには敵わない」。そんなふうに言った友人がいた。彼女も東京の、誰もが憧れる街の出身だった。知らない土地で生きていくのは、どんな土地でも大変だ。持たざる者が必死で手に入れようとする居場所を、最初から労せず持っている人たち。冷厳に横たわる差が生み出す力。

 東京で生まれ育った人には、東京は大切な自分の故郷だ。東京には東京の方言や風習があり、ドメスティックな日常がある。東京は、東京でしかない。そのことを最も知っているのは東京人だろう。
 「死にたいくらいに憧れた」とまで歌われた花の都・東京は、それを欲する人々に支えられた幻想にも見えてくる。幻想だからこそ、パワーは甚大になるのかもしれない。今も昔も多くの人が何かを求めて東京を目指す。もちろん私もその一人なのだけど。

 「仕事のために住んでるだけだよ。いつか田舎へ帰りたい」。時折、こんなふうに言う人に出会う。私は東京が好きだ。多様な人がいる故に他人に比較的寛容で、必要以上に干渉しない、それでいてフレンドリーな「地域」の残る東京が好きだ。だから住んでいる。幸せ者だな、と思う。
 私も相方も田舎で育った。都会での子育てに不安もあったけど、「地域」は思いのほか温かい。都会にだって自然はある。花も咲くし虫も這う。子どもの歩幅で道を歩けば、容易に見つけられるほどに。
 ここで育つ息子は、どこを目指すのだろう。しばらくはこの「ケツの座りの悪い都会」の隅で、見守っていようと思う。追い出されなければの話だけど。

2013年10月18日金曜日

愛と勇気だけが

 テレビアニメのスタートが一九八八年というから、お茶の間への登場は思いのほか新しい。私も子どもの頃に見た記憶はない。けれど、あの赤鼻の丸い顔と、テーマ曲の[愛と勇気だけがともだちさ♪]というフレーズは、いつしか脳裏に棲みついている。

 アンパンマンについて思うとき、まず浮かぶのはその名前の凄さだ。「あんぱんまん」は言えるけど「パパ・ママ」は言えない、そんな子の話をよく聞く。息子も「あんぱんまん」の方が早かった。子音の繰り返しである「パパ・ママ」は、意外と難しい。
 作者であるやなせ氏が「幼い子にとっての言いやすさ」まで考慮したのかはわからない。けれども「アンパンマン」は「あんぱんまん」であったからこそ、ここまで人気者になった、そんな気がする。

 アンパンマンは静かに深く速やかに、子どものいる家庭に現れる。我が家にも、気づけば沢山のアンパンマンがいる。人形、ハンカチ、オモチャのバス、パジャマ、DVD。そのほとんどが頂き物だ。
 スーパーへ行けばアンパンマンの描かれた商品が、子どもの目線にビッシリ並んでいる。子どもが「あ、あんぱん!」と指差すので「え、どこ!?」と周囲を見回すと、道の反対側にあったファミレスの幟(のぼり)に、アンパンマンとその仲間たちがいた。
 「すごい、よく見つけたね」。思わず言う母。まだ言葉もおぼつかない子は、母の反応が嬉しくて、見つけるたびに大喜びで指差す。「あ、あんぱん!」
 病院や施設のキッズエリアで流れる映像は大抵、アンパンマンだ。アンパンマンがいれば、子の機嫌はしばらく持つ。「母たちのノーベル平和賞」がもしあれば、アンパンマンに進呈したいくらいだ。

 アンパンマンと仲間たちのネーミングはわかりやすい。食パンならしょくぱんまん、カレーパンならカレーパンマン。見かけも名前もそのまんまだ。子どもも大人もお年寄りも、一度教わればすぐわかる。
 だから、子どもとのコミュニケーションの場に、簡単に仲間入りできる。余計な知識は必要ない。アニメも絵本も知らなくても、アンパンマンは困っている人を助ける、子どもたちの味方。それで十分だ。

 誰も傷つけない世界観について、私などが語るまでもないだろう。アンパンマンは、はっきり言って弱い。歌にもあるように「やさしい」ヒーローであり、愛と勇気「だけ」が友だちなのだ。
 なぜ「だけ」と敢えて入れたのか、つい深読みをしてしまう。やなせ氏は、何を「ともだちじゃない」と言いたかったのだろう。アンパンマンになくて、他のヒーローにあるもの。何らかの「力」……?
 もちろん、そんな思索は野暮なことだ。アンパンマンは困っている人を助ける、やさしいヒーロー。それで十分なのだから。

2013年10月17日木曜日

タイムスリップな日々

 ふと見ると、小さな男の子がいるのだ。家中ドタバタ走り回り、つたないながら言葉を喋る。朝から晩まで歌って踊って、床に寝転がって何やらつぶやく。かと思えば突然、抱きついてきてニマーと笑って「ねえママ、きょう寝て起きたら、きのう?」
 ……ヘンだ。なんでウチにこんな生き物が!?

 「産んだじゃん、育てたじゃん、大変だったじゃん!!」と相方から猛烈なツッコミがきそうだが、いや、痛い思いをして産んだのはよく覚えているのだが(そりゃそうだ)、そういうことではなくて。
 出産から数年、ある意味で心身ともに「非日常な」乳児期を過ぎ、精神的にも身体的にも妊娠前の状態に戻ってきたせいか(年はとったが涙)、日常でもふと「子を産んだ」ことを忘れている瞬間がある。
 そこへ息子が「ばあ~」と駈け寄ってきて、あれ、ウチにこんなんいたっけ(笑)、みたいな。まあ錯覚なのだが、けっこう不思議な気分になる。まるで未来へタイムスリップしたような感覚というか。

 それまでは、好きなように生きてきた。好きな仕事をし、好きな場所に住んで、好きな人と付き合ってきた。もちろん、うまくいかないことも沢山あったけど、悩む主体はいつも自分だった。自分の人生の主人公は自分で、それが当たり前だと思っていた。
 それが、妊娠・出産で一変する。精神的にも身体的にも社会的にも、常に「子どもと二人連れ」。やりたくないことも「子どものため」に、やらなくてはならなくなる。子どもの事情、子どもの機嫌、子どもの体調に振り回され、自分の時間は激減する。

 けれどもそのことが、それほど不快ではない自分がいる。時間を自由に使え、余計なしがらみや制約のない、自分だけが主人公の人生を生きることは、それほど幸せなことだろうか、と考えたりもする。
 自由を制限されても、誰かと一緒に暮らしたい。しがらみや面倒が増えたとしても、子どもと一緒に次の世代を見てみたい。心のどこかでそう思っていたからこそ、今こうしているのだろうな、と思う。

 私が「妊婦」となり、母ではなかった自分と別れを告げたのは、二〇〇九年のことだった。もう四年前! 超音波写真の「点」を眺めながら「しばらく酒は飲めんな……」とつぶやいたのが昨日のようだ。
 「自分が高校に入ったと思ったら、もう娘が高校に入った」という名言(?)を吐いたのは私の母だが、本当に時が経つのはア然とするほど早い。自分の背を超えた息子を見上げて「あれ、ウチにこんなん(以下略)」とタイムスリップ感に目眩する日も、すぐであろう。ああ怖い。
 「このペースだと、あっという間に棺桶の中かも」と相方に言ったら、「そんな人生なら幸せじゃない」と言われた。そうかもしれないな、と思った。

2013年10月16日水曜日

あなたが好き

車窓に映る自分の顔に
老けたな と小さくため息をつく
あなたが好き

したくもない料理をして
したくもない掃除をして
行きたくもない公園へ出かける
あなたが好き

泣きわめく子に手を焼いて
しばし別世界へ逃避する
あなたが好き

悩む暇もなく
夢見る暇もなく
今ただこの瞬間を生きる
あなたが好き

心ない声に笑顔で応え
何かを必死で守ろうとする
あなたが好き

「手伝うよ」と言われて
「はあ!?」という台詞を飲み込む
あなたが好き

疲労を忘れ
ダイエットを忘れ
美容クリームを忘れて
今日を慌ただしく生きる
あなたが好き

「若く見えますね」と言われて
「若くないってバレてるわけね」と
思っても言わない
あなたが好き

泣きわめく子を引きずって
商店街をもりもり歩く
あなたが好き

良い人になんてなりたくないのに
人からは良く見られたい
そんな自分が嫌いな
あなたが好き


2013年10月15日火曜日

正しい母

 正しい母でありたいと思う。私が思う「正しい母」は、「完璧な母」や「理想的な母」とは似ているようで、だいぶ違う。
 完璧を求めて自分を追い込むタイプの人は、私のような考え方は合わないかもしれない。私は放っておくとグダグダになりがちな自堕落な人間なので、ある意味で曖昧な「正しさ」という指標が役に立つ。

 子どもと過ごす日々の中で、自分の行為は「正しい」のか「正しくない」のか、と自分の心に問いかけてみる。悪さをしたら叱るのが「正しい」が、面倒で黙認するのは「正しくない」。疲れていても話は聞くのがどちらかといえば「正しい」し、絵本読みをねだられて面倒がるのはあまり「正しくない」。
 危ない行動は厳しく止めるのが「正しい」し、自分の不機嫌を子にぶつけるのは「正しくない」。モラルや法律、自分の中のポリシーなど根拠は様々だが、迷ったときに「それは正しいか」と自分に問いかけてみると、意外と答えが見えてきたりする。

 大事なのは「自分の中に」問いかけること。他力本願では振り回されてしまう。自ら「正しい」と選択し行動することは、自ら責任を取ることでもある。
 人はいつも正しくはいられない。私が「正しさ」を求めるのは、自堕落な自分を叱咤する目的もあるが(涙)、言ってみればメンタルコントロール術のようなものだ。正しいことをしたと思えば、人は安心できる。私は心安らかでいたいのだ。結果として良い母でいられれば、それはもちろん歓迎である。

 「正解はないが、流行はある」。以前に読んだ育児本の、離乳食に関する部分で見た表現だが、これは子育て全般に言えるのでは、と常々思う私である。
 子育てに正解があれば、どれほどラクだろう。けれども現実には、自分が属する社会において、多くの人が選択する「流行」が存在するに過ぎないことは、歴史を見れば明らかだ。
 流行にも意味があるけど、過度に振り回されるのは「正しくない」。迷い悩みながら手探りで進むしかない、子育てという営みは、「自ら責任を取る選択」の連続なのだな、と思ったりもする。

 言うまでもなく世の中は、正誤で測れるほど単純にはできていない。でも息子はまだ、何が正しいのか、学び覚えていく時期だ。子どもと一緒に、私も考える。正しいこと、間違っていること。
 常に正しくあることなど不可能だ。完璧を目指しても無理がくる。たとえ不可能だと分かっていても、心に常に「正しさ」の指標を持つことは、実はかなり大切なことではないかと、最近よく思う私である。
 人は間違える生き物だけど、正しくあろうとするのは大切で、そして気持ちのいいことだ。そう、子どもに伝われば。それで十分、そんな気もする。

2013年10月11日金曜日

夢 〜another side〜

ぼく今日はねえ
うんどう会の夢みるんだ
あと ゆうすずみ会と
おすなばあそびと
おおだまころがしの夢もみるんだよ

それから
ばいきんまんと
プーさんとピグレットと
はらぺこおつきさまの夢もみるの

ママはなんの夢みるの?
ぼくの夢?
そっか

ぼく今日はねえ
おいしいりんごとかきとくりと
ぶどうさんの夢にしようかな
おじいちゃんちにいくときにのる
しんかんせんの夢もいいな

あ! やまのてせんわすれてたよ
けいひんとうほくせんの夢もみなきゃ
あとペネロペと リサとガスパールと
しょうぼうしのスモールさんと
ようちえんのおともだちと
それから パパとママの夢もね

ねえ パパはなんの夢?
ぼくの夢なの?

ねえ おじいちゃんは?
おじいちゃんも ぼくの夢かなあ?
おばあちゃんも ぼくの夢なの?
じゃあ せんせいは?
せんせいも ぼくの夢?
え? ちがう夢?

そっか
楽しみだね うん
おやすみなさい

2013年10月10日木曜日

気丈な父

 交通事故で亡くなったタレントさんのお父さまの振る舞いが、立派だ、気丈だと話題になった。「気丈な父」を、私は以前にも見たことがある。
 大学生だった20歳の時、同級生の男の子を交通事故で亡くした。小さな大学街で、はねたのも同じ大学の学生と聞いた。やりきれない事故だった。

 病院へ駆けつけた私たちは、まっすぐ霊安室へ案内された。線香の匂いに包まれて、生気の失せた彼が横たわっていた。現実を受け入れられず、茫然としたまま外へ出る。病院の駐車場には、学生たちのすすり泣きが響いていた。
 しばらく経って、病院にご家族の方々が到着した。彼を地元へ連れて帰り、そちらで葬儀をするのだという。出発に先立って学生たちの前に現れたお父さまは、居ずまいを正し、集まってくれた礼を述べてから言った。「息子は21年の人生でしたが、みなさんはこれからもしっかりと勉強して、立派な社会人になってください」。

 「うわあああああ」。突然、叫び声が上がった。見ると妹さんらしき若い女性が、遺体に取りすがって泣き叫んでいた。横にいたお母さまも、立っているのがやっとに見えた。唇を噛みしめて穏やかに語る気丈な父と、我を失い泣き叫ぶ家族。その対比。
 人が死ぬというのは、どういうことなのか。平和な時代に有り難くも平穏に育ち、死とは無縁だと思って生きていた20歳の私が、初めて目の当たりにした「死の悲しみ」の場面だった。

 遠方の大学へ期待を込めて送り出した長男は、ご家族にとって誇りであり希望であっただろうし、何より愛する家族の一員だっただろう。
 ご家族の悲しむ様子からは、彼らがいかに息子さんを愛していたか、どれほど大切な存在であったかが切々と伝わってきて、涙せずにはいられなかった。
 誰もが誰かの大切な人であり、失われていい命などないのだと、これほど痛烈に教えてくれた体験はなかった。まさに「命の教育」であったと思う。

 気丈だ、立派だと言われて、父たちはどう思うのだろうか。そんな賞賛は要らないから、とにかく生きていてほしかったに違いないのに。
 かのタレントさんのお父さまは、報道によれば息子さんの顔を見て号泣したという。「気丈」の裏に隠しがちな、失った人への愛情と悲しみを公にしたこの部分が、私はいちばん印象に残った。この世から一人でも「気丈な父」が減るといい、そう思った。

2013年10月9日水曜日

すてきなこと

ぎゅってしたり
ちゅってしたり
ほっぺ合わせたり

なんてすてき
だけどすてきは
それだけかな?

にこってしたり
てへってしたり
そっとそばにいたり

それもすてき
もっとすてきを
さがしにいこう

かぜがはしる公園で
はっぱのかげで
太陽みたいに わらったよ
ぴかぴか ともだち

すてきなこと しよう
すてきなこと みつけよう
すてきな ともだちと
すてきを あつめよう

ブランコして
ゆずりあって
じゅんばんこをして

ほらねすてき
どこにすてきは
かくれてる?

なかよしさん
おやつをわけて
いっしょにもぐもぐ

それはいいね
それがいちばん
すてきかな

かけっこなら1とうしょう
きせつはめぐる
だけど どこへも行かないよ
おもいで ともだち

すてきなこと しよう
すてきなこと みつけよう
すてきな ともだちと
すてきを あつめよう

てをつないで
声あわせて
げんきにあいさつ

となりにいた
それがいちばん
すてきなこと

2013年10月8日火曜日

続・私が服を作る理由

 近所のリサイクルショップでは、古着のブランド子ども服が五百円以下で買える。シミや毛玉があるB級品なら百円だ。息子がベビー時代、ブランド物ばかり着ていたのは、家が裕福なわけでも頂き物が多かったわけでもなく、散歩ついでに寄れる距離にこの店があったからである。
 入園後の息子が、裏へ返せばヘタな縫製が丸わかりの手作り服ばかり着ているのは、母ちゃんがもう「服を買いに行くのが面倒くさい」からである。「欲しいと思う服は高くて買えない」からでもある。

 最初はパンツ(ズボン)だった。入園を控え、自分で脱ぎ穿きしやすい形のパンツを複数枚、用意する必要に迫られた。休日のたびに街へ探しに行ったが、納得できるデザインと価格の品が見つからない。
 ネットで偶然、イメージに近い形のパンツの型紙を見つけた。安い布をネットで買って、型紙どおりに布を切って縫い合わせて、作ってみたらすぐできた。なんだ、これでいいじゃん。

 なので私の中では、「なぜ服を作るのか」の答えのひとつは「(探して買うのが)面倒だから」なのだが、やっぱ理解されにくいかしらん? 作るほうが面倒でしょ、って思うよね普通は(笑)。
 どんなに高価な子ども服も、値段を見ないで気楽に買える身分だったら、作ろうとは思わなかっただろう。面倒はないからね。でも、そうはいかない。
 気に入った形の型紙が一枚あれば、布を変えて印象の異なる服を何枚も作れる。ユ○クロの子ども服も、よく見るとパターンは同じで、色や柄や素材を変えて別の商品に仕立ててあったりするけど、似たようなことが自分でもできる。しかも自分の好みで。

 これで、布や型紙を探すのが面倒だったら意味がないけど、今はネットショップがちょっとビックリするほど充実している。座ったままで深夜に朦朧としながらでも(笑)買えて、家まで届けてくれる。
 直に触れないデメリットは、種類の豊富さが補って余りある。布以外の資材、ゴムや糸、ボタン等が一緒に購入できる店もあって、本当にラクチンだ。

 一昔前の「ソーイング」の面倒なイメージは、私の中からはすっかり払拭されてしまった。ただし、ラクをするために避けている部分は多々ある。難易度の高いものには手を出さないし、そもそも本格的に「洋裁」をやろうと思えば面倒どころではない。
 「趣味」としての服作りは、実用的だし世間ウケもいい。最近は自分の服もよく作る。もうね、買いに行くのが面倒で。「これ、自分で作ったの」と言うと世間様はけっこう感心してくれるので、ちょっといい気分になれたりして嬉しい。
 金持ちじゃなくて面倒くさがりで見栄っ張り、それが私が服を作る理由。うん、合ってるな(笑)。

2013年10月7日月曜日

といれの神様

 二歳を超えた頃から喋り始めた息子。言葉を一生懸命、唇に乗せようとするさまは大変に可愛いらしいのだが、朝から晩までくっちゃべっているので、相手をするのがとにかく大変だった。
 「でも可愛いんでしょ? いいじゃない♪」とお思いの夢見るプレママさんのために、今回はその大変さの一端でもお伝えできればと思う次第である。何事も心の準備が大切ですからね。いや本当に。

 最初は「おいしい」攻撃だった。たとえばコンビニで。「これなに?」「パンだよ」「おいしい?」「うん、美味しいよ」「これは?」「……さきイカ」「おいしい?」「うん、まあ、美味しいかな(酒飲みにはね)」「これは?」「……電卓」「おいしい?」「……(食えねえよ)」「おいしい? おーいーしーい?(←しつこい。しかも声デカイ)」「食べられないから美味しくないっ」「ねえ、これは?」「タバコ! 美味しくない!!」以下延々。
 次にやってきたのは「のる」攻撃。一日中「電車のる?」「バスのる?」「のった?」。同じことを何度も何度も聞かれ続けて正直本気でグロッキー寸前(……わかって、この辛さ)。いや、キツかった。
 これも「おいしい」同様、乗れないモノにも容赦なくかましてくる。「あれ、おうち?」「そうだよ」「のる?」……どうやって乗るんだ、どこに乗るんだ。聞く気力も起きん(とほほ)。

 理の通じない相手に、言葉という「理」で相対せざるを得ないこの状況は、想像以上にストレスがたまるものだった。「食べられないからわからない」と「理」を説いたところで「おいしい?」と繰り返されて脱力するのがオチなのだ。
 とはいえ、言葉は使うほどに上手になり、状況を読んで先回りするような言動も増えてくる。子の成長はあっという間で、そして理が通じれば、次は理の戦いが待っている。先は長い。ムリせずぼちぼちやるしかなさそうだ。ちなみに今の息子は我が強くて口が達者で、誰に似たのか。私だな(涙)。

 ちょうどこの当時、お腹の調子が悪くて「いたた……トイレトイレ」とトイレに駆け込む日が続いたことがあった。そして、そんなことも忘れた頃、今度は腰が痛くて「いてて……」とやっていたら、息子が元気な声で言ったのだった。「といれ?」。
 ……腰痛でトイレ行ってどうすんねん。あれかい、トイレの中でスゴ腕の整体師が指バキバキ鳴らしながら「奥さん、凝ってますね。グキグキッ」ってか。そいつはいいや、あはは……あー腰いてぇ(涙)。
 その後も「肩いたいー」だの「寝不足で頭いてー」だの「足の指ぶつけたいででー」だの漏らすと、すかさず「といれ?」。何でも治る魔法のトイレ。やっぱトイレには神様がいるんだよ、と思ったのも今は昔。オムツも何とか外れました神様ありがとう。

2013年10月4日金曜日

うそでもいい

あいしている
うそでもいい
だいすきだよ

その手で
なにもかもこわさないで
だいすきだよ

振り上げたその手を下ろす
ほんの少し手前の時間
スローモーションで渦を巻く
想い

本当のことなんて
誰にも絶対わからない
ただ涙と叫び痛み怒号だけが
現実

人が優しくなれるのは
人の残酷さを知っているから

あいしている
うそでもいい
だいすきだよ

その手で
なにもかもこわさないで
だいすきだよ

その渦に負けないで

胸から唇へと噴き出す
ほんの少し手前の時間
瞳閉じてゆっくり息を吸って
吐いて

どこでもいいどこか遠くへ
意識をうんと飛ばしてみる
過去でも未来でも
辿れなかった現在でも

人の弱さに溺れたとき
人であることを見失う

あいしている
うそでもいい
だいすきだよ

その手で
すべてをおわらせないで
だいすきだよ

その渦に逆らえる
支えが欲しい

神話なんて幻
みんなわかってるよ大丈夫
ただ目の前のかけがえのない人を
見ていて

2013年10月3日木曜日

さわる母親

 今夏大ヒットしたTVドラマに、怒ると人のコカンを掴むお役人がいたらしいが(←見てないので伝聞調)、コカン掴みなら母だって得意である。家でも外でも唐突に、ギュッと掴んで「濡れてない!?」。

 ……さすがに男の子ママだけかもしれない(私だけじゃないよね?)。時には電車内などでも平然とやってしまうので危ない。オモラシを案ずるあまり、世間感覚が麻痺してしまうのか。いかん自重せねば。
 今はされるがままの息子も、数年後には激怒すること必至であろう。てか捕まるって。いやマジで。

 夏によく触る部位といえば「首の後ろ」。汗の有無を見極めるのが目的だ。子どもが汗をかいているか否か。それは世間様が思う以上に重大問題である。
 夏の汗は子どもの大敵、ひいては母の大敵なのだ。汗をかいたまま放っておくと、冷房で冷えて風邪を引くし、あせももできやすくなる。風邪もあせもも、なってしまうと実に面倒……じゃなくて可哀想なので、できれば避けたい。それには予防が肝心だ。
 こうして、気づけば息子の首の後ろに手を差し入れ、せっせと「汗チェック」に励む母。サラッとしてればオッケー、湿っていれば即シャワー&即着替え。ちなみに首の後ろは「発熱チェック」にも使えるので、何かと触る機会が多い部位である。

 触って楽しい部位といえば、やはりホッペだろうか。息子のホッペをつんつんする皆さまの嬉しそうな様子を見るにつけ、ヒトの中にある「子どものホッペをつんつんしたくなる」DNAを感じてしまう。もちろん、誰よりもつんつんしまくるのは私である。
 触るといえば、オシリを外すわけにはいくまい。人気アニメ『おしりかじり虫』の替え歌を歌いながら近づくと、息子は大喜びで逃げていく。
 我が家によく出現するのは「おしりさわり虫」と「おしりもみもみ虫」。ときどき「おなかさわり虫」や「おなかもみもみウンチ出ろ出ろ虫」も登場する。そういえば赤ん坊の頃、笑顔の写真を撮るために、よくおなかをコショコショしていたっけ。

 出産直後の産院で、息子の体を眺めながら、これが人間の新品なのだなあ、としみじみ思ったものだった。シミもシワもほくろもない、産まれたての皮膚というのは、こんなに美しいものなのか。オシリの穴までピカピカだあ、と思ったのを覚えている。
 あれから四年近く。今では肌も、何となく薄汚れ……日に焼けて、ほくろや虫さされの痕も増えた。言ってみれば、この世に馴染んできたわけだ。誰しもいつまでも、新品ではいられない。
 けど、まだ手足はつるつるすべすべで、触れているだけで幸せな気分になる。嫌がられるその日まで、成長して弾力の失せるその日まで、堪能しておこうと思う母である。そう、毛が生え揃う前にね(涙)。

2013年10月2日水曜日

また会える

春はふわふわ やってくる
わたげのように やってくる
うすいピンクの ふくをきて
ほほえみながら まいおりる

夏はドカンと やってくる
いきなり ジャンプで やってくる
打ち上げ花火は めくらまし
気づけばじりり 焼かれてる

秋はじんわり やってくる
しみこむように やってくる
赤や黄色の クレヨンで
描いた葉っぱが よく似合う

冬はしみじみ やってくる
あきらめ顔で やってくる
白い世界は いつだって
色がつく日を 待っている

春がふわふわ してる間に
夏がジャンプで 駈けてゆく
秋がじんわり しみるころ
人待ち顔の 冬がくる

いまはサヨナラ したけれど
ちっともさみしく ないんだよ
ひとつおとなに なったころ
春夏秋冬 また会える

元気な顔で また会える



2013年10月1日火曜日

ママのたんじょうび

 自転車の後ろに息子を乗せて、幼稚園へ疾走する朝。信号待ちの間に、バッグの中で携帯電話が鳴る。信号が変わる。とてもじゃないが出られない。
 園門で息子を見送って、伝言メッセージをチェックする。近所のフラワーショップだ。「あ!」と思わず声が出る。そうだ、私、誕生日だったんだ。

 進学で家を出た19歳のときから、誕生日には毎年、両親から花が届く。「素敵ねえ」なんて言っていただいたりするが、今やルーチン化しており、お礼の電話をかけたら旅行で留守だった。……いいけど。
 自分の誕生日とは不思議なもので、同じ日にイベントがあると「あ、私その日、誕生日」なんてつい口にしたくなるし、デジタル時計の数字が誕生日と同じ並びだと嬉しくなる。自分の名前と同様に、特別な響きで胸に届く何かがあるのだな、と思う。

 誕生日が嬉しい年頃はとっくに過ぎてしまったけど、それでもここ数年だって、やっぱり特別な日だったように思う。「おめでとう」の言葉は嬉しかったし、プレゼントやケーキに心躍らせたものだった。
 それが、今年はどうだろう。何だか心底「どうでもいい」のだ。「年を取るのが嫌」というのは、これもある意味、誕生日を特別視してこそ出てくる台詞であって、そうした感情すらあまり湧いてこない。
 お迎えの時間は何時だっけとか、保護者会費の〆切いつだっけとか(生々しくてすいません)、とにかく毎日、いろんなことで頭が一杯で、今日は誕生日だよと言われても「……ああ、そう」としか言いようのない自分に、何だか少しビックリする。

 帰宅した息子は、さっそくテーブルの上の花を見つけて大はしゃぎ。「これ何?」「ママの誕生日のお花だよ。おじいちゃんとおばあちゃんが送ってくれたの」「ママ、きょう、たんじょうび?」
 途端にテンションが跳ね上がる息子。「ママきょう、たんじょうび!」「これは、たんじょうびのおはな!」「ねえ、ケーキは?」……なくて悪いねえ。
 しかし興奮は冷めず、今度は歌の流れる絵本を開いて「ハッピーバースデー」を一緒に歌い始める。「ハッピバースデー、トゥーユー、ハッピバースデー、ディア、……おかあさーん!」。おお! ちゃんと応用できてるじゃないか。スバラシイ。これは家族に見せねばと、慌ててビデオカメラを回す私。
 歌の次はブロック遊び。「ねえ見て!」と呼ばれて見ると、レゴブロックでできた小さなお花畑が。「これ何?」「ママの、たんじょうびの、おはな!」

 さすがに感激しましたよ。いやあ、子ども産んでよかった、とまで思った。相方にもらったプレゼントは、革製の素敵なソーイングボックス。これまで使っていたプラスチック製の、5年○組と書いてある裁縫箱を、さすがに見かねたらしい。ありがとう。

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