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2013年10月15日火曜日

正しい母

 正しい母でありたいと思う。私が思う「正しい母」は、「完璧な母」や「理想的な母」とは似ているようで、だいぶ違う。
 完璧を求めて自分を追い込むタイプの人は、私のような考え方は合わないかもしれない。私は放っておくとグダグダになりがちな自堕落な人間なので、ある意味で曖昧な「正しさ」という指標が役に立つ。

 子どもと過ごす日々の中で、自分の行為は「正しい」のか「正しくない」のか、と自分の心に問いかけてみる。悪さをしたら叱るのが「正しい」が、面倒で黙認するのは「正しくない」。疲れていても話は聞くのがどちらかといえば「正しい」し、絵本読みをねだられて面倒がるのはあまり「正しくない」。
 危ない行動は厳しく止めるのが「正しい」し、自分の不機嫌を子にぶつけるのは「正しくない」。モラルや法律、自分の中のポリシーなど根拠は様々だが、迷ったときに「それは正しいか」と自分に問いかけてみると、意外と答えが見えてきたりする。

 大事なのは「自分の中に」問いかけること。他力本願では振り回されてしまう。自ら「正しい」と選択し行動することは、自ら責任を取ることでもある。
 人はいつも正しくはいられない。私が「正しさ」を求めるのは、自堕落な自分を叱咤する目的もあるが(涙)、言ってみればメンタルコントロール術のようなものだ。正しいことをしたと思えば、人は安心できる。私は心安らかでいたいのだ。結果として良い母でいられれば、それはもちろん歓迎である。

 「正解はないが、流行はある」。以前に読んだ育児本の、離乳食に関する部分で見た表現だが、これは子育て全般に言えるのでは、と常々思う私である。
 子育てに正解があれば、どれほどラクだろう。けれども現実には、自分が属する社会において、多くの人が選択する「流行」が存在するに過ぎないことは、歴史を見れば明らかだ。
 流行にも意味があるけど、過度に振り回されるのは「正しくない」。迷い悩みながら手探りで進むしかない、子育てという営みは、「自ら責任を取る選択」の連続なのだな、と思ったりもする。

 言うまでもなく世の中は、正誤で測れるほど単純にはできていない。でも息子はまだ、何が正しいのか、学び覚えていく時期だ。子どもと一緒に、私も考える。正しいこと、間違っていること。
 常に正しくあることなど不可能だ。完璧を目指しても無理がくる。たとえ不可能だと分かっていても、心に常に「正しさ」の指標を持つことは、実はかなり大切なことではないかと、最近よく思う私である。
 人は間違える生き物だけど、正しくあろうとするのは大切で、そして気持ちのいいことだ。そう、子どもに伝われば。それで十分、そんな気もする。

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