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2013年10月17日木曜日

タイムスリップな日々

 ふと見ると、小さな男の子がいるのだ。家中ドタバタ走り回り、つたないながら言葉を喋る。朝から晩まで歌って踊って、床に寝転がって何やらつぶやく。かと思えば突然、抱きついてきてニマーと笑って「ねえママ、きょう寝て起きたら、きのう?」
 ……ヘンだ。なんでウチにこんな生き物が!?

 「産んだじゃん、育てたじゃん、大変だったじゃん!!」と相方から猛烈なツッコミがきそうだが、いや、痛い思いをして産んだのはよく覚えているのだが(そりゃそうだ)、そういうことではなくて。
 出産から数年、ある意味で心身ともに「非日常な」乳児期を過ぎ、精神的にも身体的にも妊娠前の状態に戻ってきたせいか(年はとったが涙)、日常でもふと「子を産んだ」ことを忘れている瞬間がある。
 そこへ息子が「ばあ~」と駈け寄ってきて、あれ、ウチにこんなんいたっけ(笑)、みたいな。まあ錯覚なのだが、けっこう不思議な気分になる。まるで未来へタイムスリップしたような感覚というか。

 それまでは、好きなように生きてきた。好きな仕事をし、好きな場所に住んで、好きな人と付き合ってきた。もちろん、うまくいかないことも沢山あったけど、悩む主体はいつも自分だった。自分の人生の主人公は自分で、それが当たり前だと思っていた。
 それが、妊娠・出産で一変する。精神的にも身体的にも社会的にも、常に「子どもと二人連れ」。やりたくないことも「子どものため」に、やらなくてはならなくなる。子どもの事情、子どもの機嫌、子どもの体調に振り回され、自分の時間は激減する。

 けれどもそのことが、それほど不快ではない自分がいる。時間を自由に使え、余計なしがらみや制約のない、自分だけが主人公の人生を生きることは、それほど幸せなことだろうか、と考えたりもする。
 自由を制限されても、誰かと一緒に暮らしたい。しがらみや面倒が増えたとしても、子どもと一緒に次の世代を見てみたい。心のどこかでそう思っていたからこそ、今こうしているのだろうな、と思う。

 私が「妊婦」となり、母ではなかった自分と別れを告げたのは、二〇〇九年のことだった。もう四年前! 超音波写真の「点」を眺めながら「しばらく酒は飲めんな……」とつぶやいたのが昨日のようだ。
 「自分が高校に入ったと思ったら、もう娘が高校に入った」という名言(?)を吐いたのは私の母だが、本当に時が経つのはア然とするほど早い。自分の背を超えた息子を見上げて「あれ、ウチにこんなん(以下略)」とタイムスリップ感に目眩する日も、すぐであろう。ああ怖い。
 「このペースだと、あっという間に棺桶の中かも」と相方に言ったら、「そんな人生なら幸せじゃない」と言われた。そうかもしれないな、と思った。

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