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2013年10月21日月曜日

死にたいくらいに

 子どもが生まれると「地域」が存在感を増してくる。出生届に母親学級、乳児健診に児童館。生まれた土地を離れ、根無し草のようにフラフラ生きる余所者気質の私にも、「地域」は容赦なく立ち現れる。

 私にとって現在の「地域」である東京(の某区)は、車は多いが車社会ではないので、近隣への移動は徒歩か自転車だ。商店街では昔ながらの魚屋や肉屋、豆腐屋が、バリバリ現役で営業している。
 子連れで歩けば、顔見知りの商店主が声をかけてくれる。スーパーの店員さんが皆、子どもの顔を知っている。近所の幼稚園に入ってからは、園を通じて地元の同世代や若い人たちとの交流も増えた。
 こんなに「地域」に近い暮らしは初めてだ。まるで昭和の映画の中にいるみたい。しかもここは大都会TOKYO。何だか不思議な気分だ。

 私は就職で東京に来た。ある職場に、原宿の実家に暮らす女の子がいた。隣接地に所有するアパートは、1Kで七万円だという。彼女は言った。「七万も出して、あんな狭いところに住む人もいるのね」。悪気はなさそうだった。けれど「あんな狭いところ」を必死で目指す側にいた私には、胸が痛かった。
 「地方から出てくる人間のパワーには敵わない」。そんなふうに言った友人がいた。彼女も東京の、誰もが憧れる街の出身だった。知らない土地で生きていくのは、どんな土地でも大変だ。持たざる者が必死で手に入れようとする居場所を、最初から労せず持っている人たち。冷厳に横たわる差が生み出す力。

 東京で生まれ育った人には、東京は大切な自分の故郷だ。東京には東京の方言や風習があり、ドメスティックな日常がある。東京は、東京でしかない。そのことを最も知っているのは東京人だろう。
 「死にたいくらいに憧れた」とまで歌われた花の都・東京は、それを欲する人々に支えられた幻想にも見えてくる。幻想だからこそ、パワーは甚大になるのかもしれない。今も昔も多くの人が何かを求めて東京を目指す。もちろん私もその一人なのだけど。

 「仕事のために住んでるだけだよ。いつか田舎へ帰りたい」。時折、こんなふうに言う人に出会う。私は東京が好きだ。多様な人がいる故に他人に比較的寛容で、必要以上に干渉しない、それでいてフレンドリーな「地域」の残る東京が好きだ。だから住んでいる。幸せ者だな、と思う。
 私も相方も田舎で育った。都会での子育てに不安もあったけど、「地域」は思いのほか温かい。都会にだって自然はある。花も咲くし虫も這う。子どもの歩幅で道を歩けば、容易に見つけられるほどに。
 ここで育つ息子は、どこを目指すのだろう。しばらくはこの「ケツの座りの悪い都会」の隅で、見守っていようと思う。追い出されなければの話だけど。

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