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2013年11月27日水曜日

ふるさとが刻むもの

 私の祖母は富山県に住んでいる。結婚前、初めて相方を連れて訪れた時のこと。親族が談笑する最中、ふと見ると相方が顔面蒼白になっている。どうしたの、と尋ねると、「言葉が全然わからない……」。

 祖母の富山弁がサッパリ理解できないだけでなく、私が普通に会話に参加しているのを見て、まるで自分だけが取り残されたようで本当に怖かったという。とはいえ、私も話せるわけではない。理解できるのは幼い頃から耳にしている祖母の言葉だけだ。
 「そんながやちゃ」「あんた、きのどくな」「なん、つかえんちゃ」……。富山弁は京都方面の流れを汲んで、語感が柔らかい。耳に優しい言葉である。私自身は愛知県の三河地方の出身だ。「じゃんだらりん」で知られる三河弁は、検索窓に入力すると「汚い」が候補に出てくる言葉である。
 その「汚い」三河弁を、我が子が普通に喋り出す。富山から嫁いだ母は、本音では嫌だったらしい。でも子どもにとっては故郷の言葉なのだから仕方ない。

 私は布団を「はぐる」と言う。鍋のフタも「はぐる」だ。これは三河弁ではない。どこから来たのか、と思っていたら、祖母が使っていた。
 壁に貼ったカレンダーが「かたがってる(傾いてる)ね」と言ったら相手に通じなかった。後で母に「『かたがってる』って方言らしいよ」と言ったら、「え!? 標準語では何て言うの!?」と驚いていた。
 富山に住んだこともないのに、私の中にはまるで血筋のように、富山弁のかけらが残っている。面白いものだなあ、と思う。

 たまに帰ると、地元で耳にする三河弁が妙にわざとらしく聞こえることがある。もう地元を離れて長い私にとって、気づくと接する機会のない、遠い言葉になってしまったのだ。「やだげえ」「ほだらあ」などと喋っていた自分も遠い過去のように感じる。
 それでも地元の友人に会えば、自然と輪の中に戻っていくのだろう。刻み込まれたものが、呼び覚まされる。懐かしくて新鮮な、不思議な感覚。

 長野県出身の相方は、服のボタンを「かう」と言う。私は最初「カウ? 牛(cow)?」というほど違和感があったが、今はすっかり慣れてしまった。
 長野の言葉で好きなのは「いじれる」。子どもが泣いているときなどに、「子がいじれとる」のように使う。とてもニュアンスが伝わる気がして、息子が赤ん坊の頃は自分でもしょっちゅう使っていた
 東京育ちの息子は時折「ひ」が「し」に聞こえる。園には祖父母と同居の子も多いせいだろうか。親や友人、自分に連なる人たちの言葉が重なって、彼の中に刻まれていく。思いもよらない方言が、息子の口から出る日が来るかも、と思うと少し楽しい。

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