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2013年11月7日木曜日

流れを見つめて

 自分の周りを、流れている何かがある。それは時間だったり、空気や想いだったり、理想や妄想、運命や運勢、人間関係や、過去の記憶だったりする。
 言葉にするのが難しいのだが、自分の周りには何らかの「流れ」があって、その流れの中で生きている、私にはそんなイメージがある。いわゆる「気」と呼ばれるものに、いくぶん近いかもしれない。

 たとえば私が言葉を探すとき、流れの中を必死でもがくイメージが浮かぶ。手をジタバタさせるうち、何かが引っかかる。もしくは流れに身をゆだね、祈るような気持ちで言葉が流れてくるのを待ち構える。
 生きた時間が長くなるほど、流れは一定の方向性を見せる。自分がこれまで選んできた選択、望んできたもの、出会ってきた人。それらが流れを形作る。それなりにスムーズに走る流れから、飛び出したり逆らったりするのは、年を経るごとに困難になる。

 若いうちは、傷ついたり辛い思いをするほど、自分が成長しているような気がした。自分を取り巻く流れに逆らって、身を切られながら前に進むのが、人生の醍醐味なのだと思っていた。
 それがそのうち、そうも言っていられなくなる。傷つくたびに、これまでの人生を否定されているようで辛くなる。傷の治りが遅すぎて、下手すると膿み広がってしまう。
 自分の人生の流れに存在しない物事にいきなり飛びつくのは、要らぬ傷を負うリスクが高い。もちろん「そういう生き方こそ自分らしい」と感じる人もいるだろう。その人にとって、それは「流れ」の一環なのだ。そういう人は悩まない。無理をしているのでなければ。
 不安を感じるのは至極当然なことだ。年を重ねれば守るものも増える。傷のダメージが、以前とは違うのだ。だからといって、守りの生き方しかできないわけではない。流れを変える方法はもちろんある。

 「流れ」は、あくまでも自分だけのものだ。自分で感じることしか「流れ」を知る方法はない。だから注意深く観察する。理屈だけではなく感覚で感じ取る。流れの音に、じっと耳を傾ける。
 そうしてほんの少し、波紋を起こすのだ。流れを揺らし、空気を動かす。流れを辿って少しずつ、立ち位置をずらしていけば、見える景色も変わる。無理はしない。流れは自分の生き様そのものであり、自分を守る砦でもあるのだから。

 ここぞとばかりに無理をする、迷いなく飛び出せる、そんなタイミングも時に訪れる。そんなときは躊躇せず飛ぶ。はっきり言って失敗はある。自分の「流れ」を見誤ることは往々にしてあるからだ。痛い目を見つつ、流れを見つめて、流れに寄り添う。流れを感じて、少しずつ、小さな波紋を積み重ねる。
 行き詰まりを感じたら、波紋を起こしてみるのもいい。自分を取り巻く「流れ」を、ほんの少し揺らすのだ。自然な変化は、強く美しい。私たちはいつでもいくつでも、静かに美しく変わっていける。

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