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2013年12月9日月曜日

努力の精度

 「あなたに足りないのは努力だけなの。努力なんて、いちばん簡単なことなんだよ」。20代の頃、友人に言われた言葉は、その呆れたような声のトーンまで、強く心に残っている。何より「努力は簡単」というフレーズが、当時の私には衝撃的だった。

 努力という言葉には、目的のために辛いことも我慢する、そんなニュアンスがある。何だか暗いし、愚直で不格好だ。できれば避けて通りたい。
 先日も、海外で成功を掴んだ日本人の方が、インタビューで「努力はしたことがない」と語っていた。好きなことをやってきただけ、というニュアンスだ。
 ただし、額面どおりには受け取れない。言葉を学び、勝負できる分野を見つけ、知恵を絞って腕を磨いたからこそ今がある。そんな自分を「努力」という冴えない言葉で語りたくないのだろうな、と思う。

 努力が得意だという人もいる。いわゆる成功体験を持つ人は、努力に強い。受験然り、ダイエット然り。彼らは「努力の道筋」を見いだすのが上手だ。
 的確な目標を掲げ、到達までの明確な道筋を引き、迷わず進む。努力で得たものを着実に身につける。だから彼らは、努力を信じることができる。
 一方で、時間と労力を浪費するだけの「下手な努力」もある。数年前、私はある志を抱き、寸暇を惜しんで努力した。今なら私にも言える。努力は辛くない。信じた道を突き進むのは甘美ですらある。
 本当に辛いのは、努力の道筋を見失ってからだ。どう努力したら良いのか分からない、または自分の努力が的外れだったと知る辛さ。暗闇の一歩先は崖であるかのような、あの絶望感。

 かつて「走った距離は裏切らない」と語ったアスリートの姿に、多くの人が感動した。しかしその後、彼女が怪我に苦しみ、思うような成果が出せずにいることを、私たちは知っている。
 もちろん、だからといって努力の価値は揺らがない。努力は万能ではない、それだけだ。私たちがいくら努力しても、彼女のようには走れない。
 努力は難しい。努力の道筋を見つけることは、もっと難しい。「努力は簡単」と言える人は、精度の高い努力ができる才能の持ち主だと思う。しかし冒頭の友人は、むしろ「努力ではどうにもならないものがある」と伝えたかったのだと、今になって思う。

 相変わらず大好きな「お兄ちゃん」のDVD を観ながら歌い踊る息子。新曲もすっかりお気に入りだ。周囲の大人から「将来はお兄ちゃんみたいになる?」なんて聞かれたりもする。
 エンターテイナーにはならなくていいけど、どんな道を選んでも、努力が信じられる人でいてほしい。努力ができるのは、とても幸せなことだと思うから。母ちゃんも頑張らないとね、うん。

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