Now Loading...

2013年12月16日月曜日

寂しげな大人たち

 息子がまだ五、六ヶ月頃だったと思う。ベビーカーで歩いていると、白髪のご婦人に声をかけられた。
 「じーっと私を見ていたのよ」。彼女は嬉しそうに、ベビーカーの息子に顔を近づけて言った。「ありがとうね、こんなおばあちゃんのこと、見てくれて。こんな、おばあちゃんなのにねえ」。

 私は少し驚いて彼女を見た。豊かな白髪をきちんと整え、ラベンダー色のツーピースを着こなした、むしろ華やかな印象のご婦人だった。「こんなおばあちゃん」という、どこか自虐的な言い回しが、まったく似合わないほどの。
 彼女が穏やかな笑みを残して去ってしまった後も、私は複雑な気分が拭えなかった。人生を十分に楽しんでいそうな彼女ですら、あんな台詞を口にするようになるのが、年を重ねるということなのだろうか。

 これまで、数えきれないほどの「おばあちゃん」世代の方に声をかけられたが、「(息子が)私のほうを見ていたから」という理由を挙げる方が結構いた。乳児は、目についたものを凝視することがある。色や動きに気を惹かれることもあるが、偶然にしか見えないことも多かった。
 それでも、彼女たちは「私を選んで見てくれた!」と喜ぶ。人込みから突然、ひとりの女性が「私を見てたのよ!」と感激の面持ちで現れたこともあった。
 まだもの言わぬ乳児のこと、本当のところは分からないし、考えるのも野暮だろう。そういうことにしておけばいいのだな、と次第に学んでゆく。

 「かわいいわねえ」と話しかけた後で、ご自分の孫や曾孫のことを綿々と口にする方も多い。ただ単に、話がしたかったのだろうなと思う。まあ、これも社交だ。可能なかぎり笑顔を作る私。
 余裕のないときは、申し訳ないと思いつつ会釈で立ち去ることもある。子連れというだけで見知らぬ人の自分語りに付き合う暇はないやい、と思う反面、数十年後の自分の姿かもと思えて、少し胸が痛い。
 春に祖父を亡くして以来、祖母は何かと「寂しい」と口にするようになった。昼間は田舎の広い家で一人きり。寂しさを紛らわそうとデイサービスに通い始めた。都会で出会う祖母世代の女性たちは、驚くほど快活で華やかに見える。人が多すぎると、寂しさが見えにくくなる。 他人からも、自分からも。おそらく年齢に関係なく。

 クリスマスソングで賑わう繁華街で、ハイテンションで歌い踊る息子に近づいてきた女性。ひとしきりご自分の孫について語った後、息子を見て言った。「元気ねえ。もうすぐお兄ちゃんになるんだものね」。
 ……。確かにゆったりした服とマスクにペタンコ靴だけど(とほほ)。ま、いいけどさ。しばらくこの服、着るのやめよう、うん(←少し傷ついてる)。

    0 コメント :

    Blog