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2014年12月22日月曜日

ありがとう白髪

 「皆さんも白髪が混じる年齢になったのですから、親としての自覚をしっかり持って……」。
 私が小学校へ入ったとき、先生が居並ぶ母たちを見渡して言ったという。保護者の年齢と外見をイジるという、現代の感覚ではちょっと危ない訓示だが、まあウン十年前の話である。

 ところで母は、アラサーの頃には結構な「白髪混じり」だった。まだ若かったし、定期的に染めていたので老けて見えることもなく、娘として特に気にしたことはなかったが、自分も思春期を迎える頃になると、さすがに自覚が芽生えてくる。「もしかして私も、母のように早々と白髪になるのでは……」。
 予感は的中した。が、私はあまり気にしなかった。要は染めてしまえばいいのだ。おかげで髪の色はよく変えた。赤く染めていたこともある。染めてしまえば白髪は目に入らない。現実から目を背けたまま、年月は確実に過ぎ、白髪は静かに増えていく。

 思いがけず子どもを授かり、人生の航路が大きく変わった。子育てというこの上ない幸福に恵まれた反面、睡眠時間は激減し体力的にも厳しく、自分の時間もない日々にストレスが増えたのは事実だ。
 特に最近は立ち退き騒動で(涙)美容院へ行く時間も精神的余裕もなく、ある日、鏡を覗くと中にいたのは自分でも驚くほど、見事な銀髪の中年女性。

 いやビックリした。みるみる髪が白くなって、周囲はもっとビックリしたに違いないのに、誰も何も言わないのが逆に怖い。チョー怖い。
 そして今、私の髪は黒い。それまで白髪+色落ちした茶髪、という状態だったためか、染めたら反動で妙に黒々と見える。これはこれで老けて見える気が(涙)。チューネン女心は複雑で厄介だ。

 昔、赤ちゃんを連れて遊びにきた友人が、「じゃあね」と帰っていく後ろ姿に白髪が目立っていた。お洒落だった彼女の、そんな姿がショックだった。
 でも今は、人生の労苦を背負い、年相応に老いていけるのは幸せなことかもしれないと思う。あのときの彼女は幸せだった。それは間違いないのだから。
 もちろん「労苦」は子育てに限らない。宿命的に老いる肉体を抱え、それでも前を向いて生きること自体が労苦だし、換言すれば人生の醍醐味だ。頑張って生きている証だと思うと、白髪も愛おしい。ありがとう白髪。じゃあ何故染める(……許して)。
 ところで還暦を過ぎた私の母は、いよいよ髪が薄くなってきた。母方の祖母も、外出時はウィッグのお世話になっている。来るべき未来に向けて、今から心の準備をせねばと密かに誓う私である。要は、かぶっちゃえばいいんだよね(←懲りてない)。そして七十代にしてフッサフサな父の髪が、息子に遺伝するか否かは神のみぞ知るところである。

2014年12月10日水曜日

冬のミステリー

 江戸時代からあると言われても疑わない巨大な針葉樹の脇に、赤茶色の三角屋根。電線を軽やかに渡る影は、ネコ!? いや、違う。まさかイタチ!?
 窓に映る景色は、イギリスかどこかの田舎のよう。見知らぬ町へ迷い込んだような気分になってくる。

 しかし残念ながら(?)ここはニッポン、大都会TOKYO。目下、しがない仮住まいの身である。息子の幼稚園へ通える範囲で、という条件で紹介されたというだけの理由で、私たちはここへ越してきた。鬱蒼とした木々が残る古い住宅街。高台なのにどこか湿り気を帯びた、不思議な空気が流れている。
 仮住まいとはいえ生活がある。電気水道ガスにインターネット、郵便局へ転送届を出してアマゾンの届け先住所を変更して……、でも、あくまで一時の仮住まいだから、転居ハガキを出すほどでもない。
 そんな、宙ぶらりん状態で迎える年の瀬。一気に厳しさを増した木枯らしが身に沁みる。ま、慣れてるけどね。ずっと、そんな人生だったし(涙)。

 なのでこの一見、都会とは思えぬ窓外の風景は、思わぬ収穫だった。豊かな緑に映えるシャビーな一軒家。しかしメルヘン気分はあっさり打ち砕かれる。玄関周りには、バリケードのようなゴミ袋の山。そう、ここはいわゆるゴミ屋敷(?)らしいのだ。
 人の気配はほとんどしない。が、時々、夜になると窓に明かりが灯る。住人はいるようだ。ぶっちゃけ今の時代、珍しくもない話ではある。世の中にはいろんな家があって、いろんな事情がある。天井までゴミが積まれた空家、放置され荒れ果てた大豪邸。
 最初は驚いたけど、すぐ慣れてしまった。常識外の存在に違和感を持たないのは、こちらも仮住まいという非日常を生きる身だからかもしれない。

 ある日の朝、息子を園へ送るため外へ出ると、件の家の前に水道屋さんの車が止まっていた。作業服姿の男性が二人、玄関前の通路を行き来している様子を目の端に捉えつつ、自転車で走り去る私たち。
 ある日の午後、今度はパトカーがやってきた。中から数人の警官が出てきたかと思うと、ゴミ袋のバリケードを越えて一斉に突入! おお!!
 しかし気づけば、周囲には静寂が戻っていた。一体、彼らは何を見たのか。何が起きたのか、なぜ警官が来たのかは結局、分からずじまいだった。そして夜には何事もなかったように、窓に明かりが灯る。
 相方は先日、バリケードを超えて家へ入っていく女性の姿を見たという。前の通路を掃き掃除する男性には何度か挨拶をしたが、聞こえていないかのように見向きもしない。
 古い住宅街は人の想いが強すぎて、いろんなものが見えてしまう。分からないものは分からないままで、とどめておくのも悪くないと思うのも、仮住まいのせいなんだろうか。

2014年11月28日金曜日

ベビーカーの痛み

 人気の家具雑貨店を発車した無料バスの車内に、若い女性の呟きが響いた。「こんなに混んでるのに、ベビーカー畳まないなんて信じられない」……。

 ベビーカーの持ち主にも、その声は届いたはずだ。バスはそれなりに混んでいた。窮屈なほどではないと私は感じたけど、人によって違うのだろう。
 私の位置からベビーカーは見えなかった。子どもの声はしなかったから、中で静かにしていたか、寝ていたのだろう。ベビーカーを畳むには、子どもを下ろさねばならない。ベビーカーのおかげで静かだった子どもは、驚いて泣き出すかもしれない。
 揺れるバスの車内で、ベビーカーと子どもを抱えて立つという行為は危険極まりない。公の場では現状が、むしろベストな選択肢かもしれないのだ。
 一瞬でそこまで想像して、胸が痛くなった。傍らでは我が家の四歳児が、母と手摺を握りしめている。

 たった四年前と比べても、あらゆる場面から余裕が失われているように感じる。私がベビーカーを押していた頃、冒頭のような言葉を浴びせられたことは、幸いにしてなかった。たまたま、運が良かっただけかもしれないけれど。見知らぬおばあ……御婦人に延々、笑顔で話しかけられたことはあるけど。
 バリアフリー化が進んだ都心に慣れていると、郊外へ出て慌てることはある。都下の小さな駅で、改札を出るには長い階段を渡るしかなく、ベビーカーを抱え上げて必死で上り下りしたこともある。
 まあ、そんなのは大したことではない。子育てのよくあるワンシーンだ。駅の入口からホームまで動線が確保された都心が恵まれているのだろう。

 息子が二歳になったとき、私はベビーカーの使用をやめた。理由は、私自身が面倒で、嫌になったからである。世間様のことはあまり関係がない。
 ベビーカーは重い。荷物を載せればさらに重い。重いベビーカーを押して歩くのは重労働だ。アレは、決して楽ではないのだ。少なくとも私は、息子を歩かせて荷物は自分で持った方が、はるかに楽だった。
 もう一つ理由というか、公園遊びの苦手な息子を、少しでも運動させようという思惑もあった。息子は、よく歩いた。坂道の多いこの街を、自転車の後部座席に慣れた今よりも歩いていたような気がする。
 「好きで乗せてるわけじゃない」。こう話すママさんは結構いる。歩いてくれた方が楽に決まってる。でもベビーカーなら静かだし寝てくれるし、迷子にならず危険も少ない。幼子が二人以上いれば尚更だ。祈るような気持ちでベビーカーを押す母もいる。

 息子がまだ赤ん坊の頃、抱っこヒモでこの家具店を訪れた。久しぶりの遠出。無料バスの座席に、身を小さくして座った。子連れに優しい店内の洒落たレストランで、北欧テイストの可愛いベビーチェアに息子を乗せ、束の間の休息に幸せな気分になった。
 今日もきっといるはずの、あのときの私と同様のママさんが、楽しい気分で帰路につけますように。

2014年11月23日日曜日

流れゆく日々

 六本木のファミレスで偶然、隣り合わせた家族。外国人のパパと日本人のママ、幼稚園くらいの娘さん。パパの母親らしき女性も同席している。
 母親には自国の言語で、店員には日本語で話しかけるパパ。妻であるママとの会話も日本語だ。狭い店内で、パパの流暢な日本語が耳に流れ込んでくる。

 「Look at this!」。カメラを手にしたパパが娘に向かって叫んだ。娘に話しかけるときは英語なのだ。自国語と日本語と英語、三種類の言語を相手によって自在に切り替えるパパ。思わず聞き入ってしまう。
 娘にだけ英語なのは、教育上の理由だろうか。うーんインターナショナル、と唐揚げ定食を食べつつ妄想する私。娘さんはどうやら日本語がメインのようで、やはり言葉は母の影響が大なのかもしれない。

 最近、言葉遣いが妙に乱暴になってきた息子。と言うと、「えっ(あのおとなしい)○○くんが!?」と身近な方々は驚かれるのだが、それは息子の上っ面の良さに騙されているだけである。
 「おい!」「やめろよ!」「なんだよ!」といった、いわゆる「乱暴な」表現に加えて、最近は自分のことを「オレ」と言い始めた。まあ、ぶっちゃけ友人やテレビの影響で「そんな言葉を使ってみたいお年頃」なだけで、たいしたことはないと思うのだが、相方には気に入らないらしく、「オレじゃなくて『ぼく』でしょ」とせっせと訂正を入れる。
 「そのほうが、子どもらしくていい」と語る相方を見て、昔「中学生らしい行動を」と口うるさい担任教師に「中学生らしいって何!?」と反発したことを思い出した。とはいえ丸顔童顔色白の息子に「オレ」が似合わないのは確かで、「ぼくねえ」と可愛く言った方が世間受けは良いのになあ、なんて思う母はすっかり汚れきった大人らしい。少し寂しい。

 富山に住む祖母とスカイプで会話。息子の話はあまり通じていない(笑)が、曾孫の顔を見るだけで祖母は満足げ。ちなみに相方は初めて富山へ行ったとき、富山弁が全く理解できず、難なく会話する私に恐怖すら覚えたという。ただし私が分かるのは、子どもの頃から耳にしている祖母の富山弁だけだ。
 昼間から長蛇の列の表参道「Flying Tiger」で、何故かカッティングボードを買う。五百円。特に個性のない実用的なデザイン。お洒落な北欧雑貨がいっぱいなのにすいません、と何故か卑屈になる私。
 駅ナカのショップで可愛いケーキを見かける。今度、息子と一緒に来て買ってあげよう。喜ぶ息子の顔を思い浮かべ、幸せな気分で地下鉄に乗った。
 いろんなことがとどまることなく過ぎてゆく。何もかもが早すぎて、ついていくのに精一杯だ。六本木も表参道も、滅多に行く場所ではない。お洒落な駅ナカのケーキは、地元駅前のたい焼きに化けるだろう。喜ぶ顔はたぶん一緒だけどね。

2014年11月5日水曜日

子どもってヤツは

 秋のイベントに合わせて上京した両親と、レストランで会食。子どももいるので個室をとって、美味しいお食事を、お腹一杯いただく。父などは酒のせいもあり、真っ赤な顔で早々にひっくり返っている。
 最初は息子のぶんを小皿に取り分けていたが、そのうちお互いに面倒になり、息子も嬉々として自分で箸を伸ばしはじめた。ヤバイ。こうなると「食べ過ぎコース」一直線である。ダイエット中の方もご注意を。自分の食べた量が把握しきれなくなるのだ。小皿マジ大事。いや、そういう話じゃなくて。

 親の「まだ食べるの……?」という怪訝な視線にもめげずパクついて、さすがに満腹になった息子。先に寝転がっていたジジの隣に横になるも、すぐに飽きたらしく、スックと立ち上がると「ジャンプジャンプ!」と叫びながら上下に飛び跳ね出した。
 ア然とする家族の前で「ほら、じゅうにかいもジャンプできたよ!」。顔を上気させ、そのまま「ようかい体操第一」へとなだれ込む息子。「よーでるよーでる……♪」。ハイテンションで踊り出す息子。呆然と見守る、食べ過ぎで動けない大人たち。

 まったく、子どもってヤツは。お腹がパンパンではち切れそう(!)なのに、何だその動きのキレは。大人にはまず無理である。見てるだけで吐きそう(げろげろ)。
 子どもの頃、大人が「腰が痛い」と言う意味が分からなかった。打ったわけでも怪我をしたわけでもないのに、どうして「腰が痛い」んだろう。「腰が痛い」って、いったいどんな感覚なんだろう……?
 子どもには分からないことが世の中には沢山ある。お酒やコーヒー、刺激物の味。肩を叩いたら、どうして「気持ちいい」んだろう。疲れたら眠ればいいのに、病気なら休めばいいのに、そうしないで文句だけブツブツ。へんなの、大人って。
 もちろん、今の私には「腰が痛い」の意味がよく分かる。大人の切なさを、息子も知る日が必ず来る。それまで元気に跳んでいてくれと願う母である。

 夫婦で六年間暮らし、息子が誕生し幼少時を過ごした思い出の家を離れることになった。荷物を積んだトラックが出発し、最後に身の回りの手荷物と、息子を自転車に乗せる。この建物は、すでに取り壊しの日付まで決まっている。さすがに胸が詰まる私。
 「さ、おうちさんに最後のお別れして」。そう言った私の声は、少し涙まじりだったかもしれない。これまでの日々が走馬灯のように脳裏をよぎる。自転車の後部座席から、息子の元気な声が聞こえた。「うん。おうちさん、バイバーイ!!」
 「ねえ、新しいおうち行ったらブロック遊んでもいい?」。……明るい。まったく、子どもってヤツは。大人が感傷に浸っているときも、常に未来しか見ていないらしい。さすがである。いや見習わねば。

2014年10月22日水曜日

ダンシャリの空に

 世俗に疎いところがある私だが、少し前に「断捨離(ダンシャリ)」という言葉が流行ったのは覚えている。モノを捨て、執着から解き放たれて軽やかに生きる。捨てることは良いことであり、モノを抱え込んだ人生はカッコ悪い、そんなカンジ。

 さて現在、私はモノの山に埋もれて、これを書いている。足の踏み場もない室内を、息子は意気揚々と往来し、見慣れぬモノを拾っては目を輝かせる。
「ママ、これ、ぼくにちょうだい。……やったあ!!」
 手にした古い携帯電話を充電してやると、さっそく散乱した室内をカメラでパシャリ。引っ越し前の混沌も、息子には心躍る非日常なのだ。羨ましい。モノが多すぎて引っ越せる気がしない……(涙)。

 引っ越しを機にモノを捨て、身も心も軽やかに新生活を始めたい。そんな野望を抱いていた私だが、しかし今、その考えの甘さを痛感している。
 ただでさえ大変な荷造りに「捨てるか否か取捨選択する」というステップが加わるのは、思った以上に消耗するし時間もかかるのだ。引っ越し前のダンシャリは、試験前の一夜漬けに似ている。どちらも、普段からやってこそ価値があるのだと今さら気づく。
 私の荷物には、本と雑誌が多い。二十年近く前の雑誌を大量に、捨てられずに今も抱え込んでいる。

 モノを捨てる基準のひとつに「また手に入るものは捨てる」というのがある。抱え込むコストを思えば、必要なときにまた買えばいい。現代的で合理的。しかしその手でいくと、古い雑誌は捨てられなくなってしまうのだ。手放せば、まず手に入らない。
 転居時くらいしか開くことのない(!)古雑誌たち。頁を繰れば、途端に時代の空気が立ちのぼる。私はかつて、大の雑誌好きだった。世に出ても、やがて読み捨てられていく、その距離感が好きだった。
 登場する有名人が皆、若い。古い写真、古い流行、古い価値観。逆に新鮮で、つい読みふける。捨てる気になれず、再び(たぶん次の引っ越しまで)長い眠りにつく雑誌たち。……捨てていいって(涙)。

 それでも結構な数の本や雑誌を処分する。後ろ髪を引かれつつもエイヤ、と未練を断つ。この感覚、これが断捨離なのか。昔の自分を引きずってないで、未来を見ないとね。今後は子どものモノも増えるし。
 数年ぶりに充電した古い携帯電話には、なぜか10年前の父を撮った動画が残っていた。わ、若い。髪も黒い!と、息子と二人で盛り上がる。
 引っ越しは新生活への助走でもある。大変だけど良かったじゃん、とお思いの方々に、今回は「最初の引っ越し」であることを、私はお伝えせねばならない。そう、移るのは新居ではなく「仮住まい」なのだ。……ふぅ(ため息)。その話は、また今度。

2014年10月12日日曜日

父母たちの運動会

 秋晴れの運動会。相方が親子競技の待ち時間に、ある園児のパパさんのつぶやきを聞きかじってきた。「ここの運動会はいいですねえ。のんびりしてて」。
 そのパパさんの上のお子さんは、かつて別の園に通っていた。その園では運動会における親子競技の勝敗が、園児の成績(!)に加味されるのだという。
「だから、どの親も目が血走ってましたよ。いやあ、ここはのんびりしてていいですねえ」……。

 その「のんびりした」園に通う、性格的にものんびりした息子。今年も徒競走では最後尾をトットコ。しかし転ぶことなく、リレーでも何とか抜かれることなく無難にこなし、ホッと胸を撫で下ろす母。
 しかし園の運動会は忙しい。子も大変だが親も出番が多いのだ。親子競技、親子ダンス、保護者による学年対抗綱引きにリレー。狭い園庭ではなく広いグラウンドを借りているため、観覧席から入場門へ、次は退場門へと、あちこち走り回る羽目になる。
 今年は係として役目があった私は親子ダンスの集合に遅れてしまい、駆けつけたときには息子は半泣きであった。いや悪かったって。しかし曲が始まれば親の手を引いてニコニコ。かわゆいなあと思いつつ、観覧席でカメラを構えているジジババに顔が見えるよう、必死で息子を誘導する私。ああ忙しい。

 保護者競技は強制参加ではないのだが(私は全部パス)、積極的に参加したがる保護者も少なくない。見ていると「自分もやりたくなる」んだろうか。ちなみに在園児の兄弟姉妹の参加競技もある。家族全員で運動会を楽しみ尽くす! といったところか。
 ジャージに身を包み、準備運動に余念がない「やる気満々」な保護者もいる。普段は楚々としたママさんが、スタイリッシュなスポーツウェア姿で現れて「私、陸上部だったんです」……人のいろんな側面が見られるのも、イベントの楽しさかもしれない。
 綱引きはチームワークが肝心だ。なので入園間もない年少チームはどうしても不利になる。一方、年中・年長の保護者チームは和気あいあいで気合いも十分。リーダー格のパパさんの音頭で見事、優勝をもぎ取る我らが年中チーム。子どもたちも大喜びだ。

 保護者リレーで明らかにスポーツ自慢の見事な走りを見せる父母たちに、迂闊に出なくてよかったとホッとする私と相方。来年は息子も年長だ。運動会の華・組立体操、そして親子競技では騎馬戦がある。今から怯える相方。ま、頑張ってね(←他人事)。
 今年も全園児参加のリレーでは、会場中が大盛り上がり。子も親も参加して努力して応援して、そして味わう達成感に挫折感。 知人のママさんは我が子の小学校最後の運動会で、感動と寂しさのあまり号泣したそうだ。わかる気がする。運動会は奥が深い。自分が子どもの頃は思ってもみなかったけど。

2014年10月5日日曜日

ばぁばのキモチ

 息子の送り迎えで園へ行くと、可愛いチビちゃんたちに会える。ママに連れられた、在園児の弟、妹たちだ。ちょこまか歩き回り、またはベビーカーでニッコリ。抱っこ紐でスヤスヤねんねの赤ちゃんも。
 ある朝、顔見知りの妹ちゃんに遭遇した。まだ一歳。園門の柵を揺らして遊んでいる。顔を近づけて「おはよう♪」と話しかけると、つぶらな瞳でこちらを見つめ、小さなお口をもにょもにょもにょ。「キャー!! おくちがうごいたぁ(はぁと)」。苦笑するママさんを尻目に、ひとり萌えまくる私。

 いや可愛いわあ(ウットリ)。昔、ウチの母が「人が作った食事は何でもおいしい(=自分で作らなくていいから)」と言っていたが、自分で育てなくていい赤ちゃん(!)は、何と可愛いのだろう。って、あたしゃ「ばぁば」か(笑)。
 彼女のことは生後間もない頃から知っている。最初は抱っこヒモの中で寝ているだけだったのに、あっとゆう間にヨチヨチ歩くようになった。いや「あっとゆう間」というのはウソである。ちゃんと一年近い月日が流れているはずだ。え、マジで(涙)!!
 それにしても、どうしてこんなにヨソのチビちゃんたちが可愛いのだろう。私、そんなに子ども好きだっけ!? 自分でも少し不思議な気分。

 ある日、息子が唐突に尋ねた。「ママがおばあちゃんになったら、ぼくのおばあちゃんになるの?」。
 ……えー、何から説明すれば良いのやら(困)、ひとまず「ママ(の見た目)がおばあちゃんになっても、ママはずっと君のママだよ」と言い聞かせる。
 君に将来、子どもができたら、その子のおばあちゃんになるけどね、と言うと、「ぼくは男だから、子どもができるのは、およめさんだよ」。いつのまにか、そんな断片的な知識は耳に入っているらしい。
 君が結婚して、お嫁さんが赤ちゃんを産んだら、ママはその子のおばあちゃん。でも、君のママはずっとママ。大人になって結婚して、お嫁さんの子のパパになって、年を取っておじいさんになっても、君のママはずっとママ。ママはたったひとりだよ。

 出産直後のハードすぎる日々を乗り切った力の源は、「何かホルモンでも出てるんじゃ……」と思うほどに沸き上がる、我が子の可愛さだった。最近、周囲の子が異様に可愛く見えるのは、当方の年齢からして「そろそろ産まないと終わりだよ〜?」と、体内ホルモンや太古の記憶やご先祖さまの守護霊(!)が、耳元で囁いているせいなのだろうか。
 えー、その件については諸事情により困難なため、「ばぁば」として次世代へ託そうかと(ぺこり)。「ママとぼくは、ずっといっしょ〜♪」と妙な節で歌う息子の背中に、「ずっとじゃないけどね」と小声でつぶやく母。いや、ばぁばを夢見てる場合じゃないんだけど。人生の流れ的に(切実)。

2014年9月27日土曜日

さよなら、空

 寝転がって見上げた窓から覗くのは、青い空だけ。都会では貴重な眺望と、家中を吹き抜ける風に惹かれて、私たちはここへ越してきた。六年前のことだ。
 古いマンション。玄関横には作り付けの牛乳瓶受け、共用のバルコニーには洗濯用の洗い場と物干し台。建てられた当時、昭和四十年代の生活が垣間見えた。朝、住民たちがバルコニーに集まって、井戸端会議をしながら洗濯物を干す、そんな生活。

 室内は幾度もリフォームが施され、それなりに快適だ。洗濯機置き場もちゃんと室内にある。ただ古いだけに、配管がすぐ詰まるのには閉口した。
 最上階の東南角部屋。日差しはたっぷりと差し込むが、夏はまるで保温ポット、冬は窓からの冷気が凄まじい。風呂もトイレも昭和風のタイル張りで古臭く、畳は赤茶け、床はフローリングを模したビニール。それでも、私たちはこの家が好きだった。

 富士山も東京タワーもスカイツリーも、夏には花火も見える。陸橋を走る新幹線も空を行く飛行機も。
 眺望が良いというのは、空が広いということでもある。この家で、私はたくさんの空の写真を撮った。街を覆うように降り注ぐ雪、嵐の日に空を駈け巡る稲妻。日食に月食、大空にかかる二重の虹。

 こんな暮らしをしてきた私たちにとって、眺望は大事な条件の一つだった。窓の外を見た瞬間に候補から消えた家は山のようにあった。
 もちろん中には眺望の良い家もある。今の家のように古い建物は立地が良く、周囲に高層物がなければ狙い目だ。単純に階数が上がれば眺望も良くなる。予算に合う物件も、ないわけではない。
 ある家は抜群の眺望を有し、古くて駅から遠いために価格もリーズナブルだった。この眺望でこの価格の物件はそう出ない、との言葉に心が動いた。しかし結論を言えば、私たちはその家を選ばなかった。

 本当に欲しいのは、眺望なのだろうか。駅から遠いその土地は、都内でも車しか使わない人々が住む高級住宅地。周囲の家並に、私は居心地の悪さを感じた。静かすぎる住環境が、逆に何だか怖かった。
 家で籠ってひたすら仕事していた頃は、明るさや眺望が何より大事だった。しかし今の私の生活に、そんな余裕はない。眺望は良いほうがいいけど、富士山や東京タワーが見える生活はもう味わったし。別に見えなくても、人生にたぶん支障はないし。

 泣き止まぬ子を抱えながら途方に暮れて見た朝焼け。次の新幹線が通るまではとあやし続けた日々。この家の思い出を、私は一生忘れることはない。
 私も四歳で、それまで住んでいた社宅から引っ越した。狭い社宅での生活を、わずかだが覚えている。この眺望が少しでも、息子の記憶に残るだろうか。そんなことを思いながら、愛した空に別れを告げる。

2014年9月21日日曜日

欲しかったもの

 私は何が欲しかったのだろう。「そんな箱買うて、どうすんがけ?」と、富山に住む祖母は言った。少なくとも「箱」が欲しかったわけではない、と思う。
 休日の芝公園は人も少なで、こんな都心を歩くのは久しぶりだなあ、と思いながらビル群を見上げる。隙間から覗く青い空。幅広の歩道を嬉しそうに駈けながら、「こうえんいくの?」と尋ねる息子。

 いや芝公園というのは地名でいわゆるオフィス街のひとつで、確かに公園もあるけど今日はそこへ行くわけじゃなくて近くの会社に大事なご用事があって、とブツブツ理屈を頭に浮かべながらも、口では「違うから。」とだけ面倒そうに言い捨てる私。
 スーツ姿の相方の後ろを、滅多に履かないパンプスの踵を鳴らして歩く。いつもより背が高い母と手をつないで、見慣れない風景に明るくはしゃぐ息子は、もしかすると大きな選択を前にした両親の緊張を、それとなく感じ取っているのかもしれない。

 とある知人の男性は、50歳を目前にした今も六畳一間のアパート暮らし。収入は十分あるが、独身で特に必要もないからと、引っ越す予定はないらしい。
 そんな彼の仕事のひとつは、借金で困った人の相談に乗ること。彼によれば、相談者で多いのは公務員、医師、そして主婦。医師や公務員は社会的信用が高いため、多額の借金が可能だという事情がある。どんどん借りてしまい首が回らなくなる理屈だ。
 借金の原因は、ギャンブルか女。まず例外はないと彼は言う。主婦の場合は「生活費に困って……」と切り出すのが常だが、生活費だけで首が回らなくなる事態には、まずならない。突けば必ず出てくるという。ギャンブルにホスト、エステにブランド品。

 小さなアパートで慎ましく暮らす彼には理解できない。収入の枠内で買い物すれば、借金をする必要はないのだ。なぜ、それができないのか。
 何であんな奴らの面倒を見ないといけないのか。酒の席でこぼす彼に、臨床心理士だという別の男性の言葉を思い出した。買い物依存症のカウンセリングは共感が難しい、共感はカウンセリングの基本だが、自分はそんなことはしないから分からない、と。
 そうだろうか。私たちは欲望の泥沼から、かろうじて理性で逃れているだけではないのか。溺れてしまった人の弱さが、私には人ごととは思えない。むしろアパートを離れようとしない知人の方が理解不能(笑)だけどまあ、人の事情はそれぞれだしね。

 私は何が欲しかったのだろう。陽当たりか眺望か、素敵なオープンキッチンか食器乾燥機か。ピカピカの内装に最新設備、資産か夢か、見栄か安心か。
 そのうちのいくつも備えていない扉の前に、私は立っている。「この家を売ることを、子どもたちは最初は反対したんです」。そう呟く老紳士に、年月というものの重みを感じて胸が詰まる。欲しかったものが、ここにあるのかは分からない。ただ「開けてみよう」と思える扉に出会えたことが嬉しい。

2014年9月13日土曜日

野球とサッカー

 「大きくなったら、サッカーのせんしゅになるんだ」。園庭で息子が、知人のママさんに宣言している。「だったら、いっぱい練習しないとね」。真摯に応えてくれた彼女に感謝しつつ、私は口を開いた。「たぶんサッカー、ロクに観たことないと思う……」。

 なぜ、観たこともないサッカーの、選手になるなどと言うのか。理由は簡単で、息子が好きなアニメキャラクターのセリフに出てくるからである。
 大きくなったらなりたいもの、好きなスポーツ。こうした質問の回答は、子どもを取り巻く環境に大きく左右される。息子が「やきゅうのせんしゅになる」と言わないのは、彼の視界に野球が入ってこないからであり、今どきのアニメに「将来の夢は野球選手!」と語るキャラが出てこないからであって、本当にサッカーが好きなのかはわからない。

 長嶋世代にあたる私の父は、しかし野球ではなくサッカーに夢中な青春時代を過ごした。「サッカーのせいで志望大学に落ちた」というのが口癖だった。
 子どもの頃、父に連れられて何度かサッカーの試合を見たが、だだっ広いグラウンドの遠方で人が動くだけで、ひたすら退屈だった記憶しかない。
 その昔、運動の得意なクラスの人気者が選ぶのは野球であり、バレー、バスケであって、サッカーではなかった。どちらかというと地味なスポーツだった時代を、ご記憶の方もいらっしゃることと思う。

 Jリーグが開幕した当時、私は茨城県に住む大学生だった。大学生の定番バイトといえば家庭教師や塾講師。そこで出会う小中学生の子どもたちは、誰もが地元のチーム、鹿島アントラーズに夢中だった。
 当時の鹿島にはジーコやアルシンドがいて、日本代表にはカズに中山にラモスがいて、気づけばサッカーは、とびきり華やかなスポーツになっていた。
 この時代の日本選手は、敢えてサッカーを選んだ人たちだ。公園で遊ぶ幼児の親にまで「サッカークラブに入りませんか」と勧誘が来る昨今とは事情が違う。あらゆる意味で「筋金入り」なのも頷ける。

 我が子には見向きもされなかったが、孫の時代はサッカーブームだ。息子の足下にせっせとボールを転がす父を見て、いつかエスコートキッズにでも応募したら喜ぶかしらん、などと妄想する私。
 先日、実家のテレビで、たまたま野球中継を見た息子。東京へ戻ると細長い箱を見つけて振り回しはじめた。「それ、なに?」「球を、こうやって、ここに当てるの」「野球?」「そう。やきゅう」。
 「野球」という単語を、おそらく人生で初めて舌に乗せた息子を見て、彼の世界がまたひとつ広がったことを喜ぶ、かつてハンドボール部だった母である。ウチの高校ではサッカーより人気あったんだけどなあ……誰も信じちゃくれんだろうなあ……。

2014年9月6日土曜日

なぜ忘れる

 新学期を前に家族会議。秋は行事が多く、スムーズに乗り切るためにはスケジュール調整が必須だ。
 「○○日は、仕事とか入れないで」。そう言われて首をひねる私。「その日、何かあったっけ!?」。相方は困惑顔で言った。「……あなたの誕生日」。

 前年に引き続き、またやってしまったママでございます。いやあ、本気で忘れてた。もうね、覚えてらんないの、自分の誕生日。どうしてかしら。脳みそのシワが足りないのかしら。もう増えんよ(涙)。
 芸能人のようにケーキが出てきてスティービーワンダーが鳴り響くわけではないが(いや、それは勘弁してほしいが)、誕生日を覚えていてくれる人がいるのは幸せなことである。ところで大人になった皆さんにとって、自分の誕生日を覚えていてくれるのは、どんな人だろうか。
 家族を除くと、幼なじみや学生時代の友人、若い頃に苦楽を共にした仲間、そんなところではないだろうか。そう考えると、けっこう貴重だ。

 今や「Happy Birthday!!」の言葉をせっせと届けてくれるのは、行きつけの店や顧客カードに記入したことのある企業が中心だ。おトクなクーポンでも頂けるのならまだしも、「お誕生日の皆様へ特別に!」と称して結構な金額の品を紹介するだけの、「(誕生日は)単なる宣伝の口実かい!」と叫びたくなるケースも多い。まあ、その通りだろうけど。
 馴染みの薄い人から誕生日を祝われると、どこか身構えてしまう。そもそも誕生日は個人情報、そう明かすものでもない。ソーシャルなイベントとしての誕生日は、大人になるとグッと難易度が上がる。

 たとえ営利目的の「バースデー(宣伝)カード」でも、本当はちょっと嬉しい。この世に生まれたこと、この世に存在していること。誕生日が言祝ぐのは、努力の成果や何らかの達成ではない、自分の存在そのものだ。だから嬉しいのかな、なんて思う。
 理由も意味も必要ない。そこにいるだけで、あなたは祝福されている。人生の初期にまずはしっかりと、そのことを伝えてあげなければ、と思う。

 一般には女性の方が、記念日にこだわる傾向がある気がするのだが、我が家は男女(?)逆転している部分があって、家事も料理も相方の方が上手だ。料理上手な妻を持った夫が自宅に人を呼んで自慢したくなる気持ちも、やる気はあるのに家事に手を出しにくい気持ちもよくわかる(すいません……)。
 先日、相方が申し訳なさそうに切り出した。「今日のために、いろいろと策は練ったんだけど……」。「え!? 今日、何かあったっけ!?」。キョトンとする私に、相方は「そんなことだろうと思ったよ」とでも言いたげな諦め顔で言った。「……結婚記念日」。

2014年8月30日土曜日

追憶

 過去の記憶がふと脳裏に浮かぶことが増えたのは、人生も中盤に差し掛かったせいなのか。特に子を産んでからは、子どもの頃の両親の姿をよく思い出す。

 記憶の中の母は、少々ヒステリックだ。二十歳で見知らぬ土地に嫁ぎ、苦労も多かったのだろう。「気分が悪い」と言っては、よく寝込んでいた。
 幼稚園の頃は毎朝、廊下の拭き掃除をさせられた。学校でテストの成績が悪いと「お母さんはいつも百点だったのに」と叱られた。鉄棒の逆上がりができず、夕暮れの公園で泣きながら練習した記憶もある。
 ピアノに英語、習字に珠算にスイミング。立派に育てようと母なりに必死だったのだろう。いつもどこかで母の機嫌に怯えていた。そして反抗期が来る。
 成績は下がり、態度も悪くなった。母はますます寝込むようになったが、そんな姿すら苛立たしかった。荒んでいく私を見て、母はパートを辞めた。

 遠方の大学を高望みし、担任や父に猛反対される中、「本人の望み通りにさせてやりたい」と言ってくれたのは母だった。合格の電報が届いた瞬間、母はその場に泣き崩れた。
 「女の子は家にいるべき」と言いながらも学費を出してくれたのは父だ。卒業後も気ままに生きる私を、両親はただ見守っていてくれた。親世代とは価値観が違うから、どうしても反発はある。けれど一つだけ、間違いなく確信できる思いがある。
 両親は、私のことを愛している。私の幸せが、彼らの喜びなのだ。我が子にそう信じさせてくれるような親に、自分もなりたいとつくづく思う。きっとそれは、想像以上に難しいことなのだろうけど。

 こう育てたから、こう育つ。そんなに単純ではないだろう。時代も違う。何より「相手」が違う。それでも様々な局面で、過去の記憶が蘇る。その姿はお手本になることもあれば、反面教師のこともある。
 一人で生まれてくる人はいない。人間の赤子は他人の手なしでは生きられない。命がけで産み、世話してくれた人が、誰にも必ず存在する。
 愛した記憶、愛された記憶。それらは時に折れそうな心を支え、噴き出す苛立ちを鎮めてくれる。無邪気に笑う幼き日の写真に、愛されていたことを思い出すように。愛していた日々を思い出すように。

 人生相談で、倦怠期に悩む夫婦に「新婚の頃を思い出して」なんて回答があったりするし。まあ、そう簡単にはいかないから悩む気もするけど。
 好きなミュージシャンの映像を観ていたら、その横顔が元カレにソックリなことに突然気づいて、思いがけず取り乱したことがある。それまで一度も思ったことはなかったのに。記憶はときに思わぬタイミングで活性化して、ドラマティックな悪戯をしたりする。人間って面白いな、と思う。

2014年8月22日金曜日

見知らぬ故郷

 「出身地はどこですか?」と訊かれたとき、「名古屋です」と答えることが多い。厳密に言えば違うのだが、面倒なのでつい、こう答えてしまう。
 余談だが、東京で「じゃ、関西ですね」と返されて絶句したことがある。「名古屋って何県だっけ!?」というのもあった。まあ私も全国の都道府県名を白地図に記入する自信はないので人のことは言えない。

 ところで東京に来て相当経つが「私も名古屋です」という人にまだ会ったことがない。代わりに、転勤などで名古屋在住経験がある人には何人か会った。
 彼らは嬉しそうに「懐かしいなあ名古屋。いいところですよね」なんて言ってくれる。そして「ほら、どこそこの店が……」とローカルな思い出話をしてくれるのだが、いつもポカンとしてしまい申し訳ない気持ちになる私である。
 進学のため18歳で県外へ出た私にとって、名古屋は「休日に親が車で連れて行ってくれる場所」に過ぎなかった。通学や通勤の経験もない。分かるのは大きなデパートや地下街、ライブハウスやコンサートホールくらいで、「味噌煮込みうどん」も「ひつまぶし」も、初めて食べたのは東京へ来てからだ。
 地下鉄や駅の名前も分からないし、土地勘もない。もう「名古屋出身」を名乗るのは、やめた方がいいかもしれない……すいませんラクなのでつい……。

 「女の子は県外へ出ると、二度と戻って来れないよ。それでもいいの?」。高校三年生の三者面談で、担任にこう言われた。就職口がない、という意味だ。
 「どうして外へ出るの? 名古屋に何でもあるのに」。同級生にも散々言われた。保守的な土地柄で、大都市にも近い。私よりずっと成績のいい子が、地元の女子短大に合格して喜んでいる。外へ出たい一心だった当時の私には、とても不思議な光景だった。
 「地元を出る子と残る子は、ハナから決まっている」。こんなエッセイを読んだことがある。何だか、すごく分かる気がした。もちろん、進路は自由だ。大切なのは、望む道を進むことなのだから。

 帰省して家族で吉良(きら)へ。ホテルの土産物コーナーにある「西尾名産」の文字に、どうにも違和感が残る。そういえば実家から一色(いっしき)の鰻が届いたときも「西尾」の文字に戸惑ったっけ。
 三河湾沿いの観光地である吉良も、鰻の名産地である一色も、少し前の大合併で西尾市に編入されたと分かっていても、いや一色は一色であって西尾じゃないでしょ、なんて感覚が抜けないのは、むしろ県外へ出た人間だからかも、なんて思ったり。
 今では日本ガイシホールと聞いても「それ、どこ!?」。いろんな名前が変わりすぎて、思い出も分断されて、もう何が何やら、中日ファンの相方は、私がナゴヤドームではなく「ナゴヤ球場」で中日戦を見たことがあると言うと羨ましがる。少し嬉しい。

2014年8月16日土曜日

LOOK @ ME !!

 仕事先で会った先輩ママさんと「夏休みは大変だよねえ」とグチり合う。子どもには「休み」でも、母にとっては一日中子どもと過ごさねばならず、むしろ仕事が増える。ちっとも「休み」ではないのだ。
 「ホント、仕事が息抜きだよ」。ため息をつく先輩ママ。仕事が楽だという意味ではない。仕事すら息抜きに思えてしまうほど、子とベッタリの一ヶ月半はキツい、という意味である。

 そういえば夫の定年退職後、家で夫の世話をし続けるのが苦痛なあまり、パートに出る女性が少なくないと聞いたことがある。今どきの女性は、うっとおしい「濡れ落ち葉」の相手などしないらしい。もしくはジョギングなど比較的「お金のかからない趣味」を(一人で)始めたりとか。
 マジっすか。子育ての果てにはそんな日々が。……それはともかく夏休み。夫は放っておいても何とかなるが(たぶん)、子どもはそうはいかない。
 朝昼晩と食べさせて、運動もさせねばならない。小学生になればプールだの何だので外へ出てくれるのだろうが、ママと家にいる幼児は、それこそ「濡れ落ち葉」のごとく、大喜びで始終まとわりつく。

 「ねえママ、見て!」「これ、スゴイでしょ!」。最初のうちこそ可愛いが、ひっきりなしにやられると、さすがに辛いものがある。台所にいようが洗濯物を干していようがトイレへ駆け込もうとしていようが、「ママ見て!」攻撃は容赦なく繰り出される。
 ○を描いては「見て!」、積み木を積んでは「ほら見て!!」。久しぶりに見ると、手先の上達ぶりや発想の豊かさ等、確かに驚きはある。あるのだが「わあスゴイ!」と新鮮な気持ちで言えるのは最初だけで、次第に対応が大人げなくなってくる。「分かったから」「あとでね」。可哀想だと思いつつ、でもママにも生活がある。トイレにも行きたいし。

 遊んでいても、道を歩いていても、子どもはどこかで常にママを意識している。「ママばかり見てないで、前を見なさい」と、何度注意したことだろう。
 ママに見ていてほしい、ママに見せたい。ママの次には「パパにも見せようっと」。とにかく彼は、自分を見ていてほしいのだ。親に出来ることなんて「見てること」くらいじゃないか、と自戒する私。

 あるとき、後ろから「見て!」と声をかけられて、手を休めたくなかった私はとっさに「お尻で見てるよ」と答え、後ろ向きのままでお尻を振ってみせた。
 これが息子に大ウケだったので、最近は「見て!」と言われると、時折お尻を振って済ませる私である。その後「足の裏で見てる」バージョンも登場(←寝転がっているときに便利)。もうお尻と足の裏に、目玉マークでも貼ってやろうかと思う今日この頃である。いや暑いですね……。

2014年8月8日金曜日

遊びにきてね

 幼い頃に幼稚園で、帰宅後におともだちと遊ぶ約束をした。待ち合わせの場所と時間も決めて、さっそく迎えにきた母親に告げる。ところが母は「子ども同士の約束」と、まともに取り合ってくれない。
 でも、確かに約束したのだ。その時間にはおともだちが、約束の場所で待っている。約束を破るわけにはいかない。私の懇願に根負けして、母は約束の時間に待ち合わせ場所まで連れて行ってくれた。しかし待てど暮らせど、おともだちは来なかった。

 あのとき、誰も来ない道を眺めていた絶望感を、今でも思い出すことがある。人付き合いがあまり得意なほうではない私の、あれが原点かもしれない。もちろん、所詮「子ども同士の約束」、おともだちを責めるわけにもいかないけれど。
 だから園で、息子のクラスメートの男の子が「ねえ、○○くん(息子)のおうち、遊びにいっていい?」と話しかけてきたとき、とっさに「うん、いいよ。おいでよ」と愛想良く答えてしまったのだ。そして、それを傍らで聞いていた息子がすっかりその気になり、「ねえ、○△くん(クラスメート)いつ遊びにくるの?」と毎日しつこく訊いてくるようになったとき、「所詮、子どもの言うことだから」とスルーすることが、私には出来なかったのである。

 ところで子どもは、おともだち同士で「遊びにいく(来る)」という行為に随分と憧れがあるらしい。
 同じクラスの女の子に突然「今日、うちに遊びにきていいよ」と誘われたこともあるし(横ではママが「いや片付いてないから……」と焦っていた)、息子が友人を執拗に誘うのを目撃したこともある。「ぼくんち遊びにおいでよ。おもちゃもいっぱいあるよ」……どんな勧誘だ(笑)。いや君、そんなに多いほうじゃないと思うよ、たぶん。カンだけど。
 園ママ仲間と会話の流れで「いつでも遊びにきてね」なんて話はしても、「じゃあ何日に」と具体化することは、なかなかないのが実情だ。誰しもみんな忙しい。つい、余計な気を使ってしまう。

 そのせいか、こんなわけでよかったら遊びにこない? と声をかけた、例のクラスメートの男の子のママさんは、大量のお菓子を手に大喜びで遊びに来てくれた。もう一人おともだちが加わって、男の子三人、家じゅう仲良く駆け回り、気が向いたらお菓子をほおばって、また遊んで、という夢のような(笑)時間を過ごした後、元気に帰っていった。
 私はと言えば、数日前から準備に励んだおかげで家の中も片付いて(笑)、おともだちとはしゃぐ息子の楽しげな顔も見れて、思い切って声かけてよかったなあ、と安堵しきりである。また誰か遊びにこないかなあ、なんて考えてる自分に結構ビックリ。できれば今のうちにお願いしたいですが。ええ、散らかる前に(涙)。

2014年8月2日土曜日

苦痛の基準

 妊娠がわかったのは、二〇〇九年の六月だった。この年の七、八月、私は悪阻(つわり)でぶっ倒れていた記憶しかない。

 朝、「行ってきます」と家を出た相方は、帰宅後には朝と同じ姿勢のまま「ぶっ倒れて」いる妻の姿を毎日、見る羽目になった。
 全身の血管を、血の代わりにキモチ悪い何かがドロドロと駆け巡っている、そんな感覚。口を開けば「うげえ……」という呻き声しか出てこない。
 外出もできず、ロクにモノも食べられず、一人きりで部屋の中、身動きできず呻いていた夏。海も山も花火も夏祭りも、遠い世界の出来事だった。大好きな夏が、この年だけモノクロームのようだった。

 しかし「つわりは大変でしたか?」と訊かれたら、私は「いいえ」と答えなくてはならない。何故か。端的に言えば「もっと大変な人がいる」からである。
 ケトン値が高かったわけでも入院したわけでもない。世の中にはハードなつわりに苦しみながら、フルタイムで働いたり上の子の育児に追われる妊婦さんも少なくない。ノンキに「ぶっ倒れて」いられるのは、ある意味で恵まれているとも言えるのだ。
 ある育児漫画で、つわりで入院した作者が「私なんて軽い方」と書いていて驚いたことがある。終日吐きまくって長期入院して絶対安静、くらいまで行かないと「つわりが大変」などと軽々しく口にできない空気がニンプ界にはあるらしい。ああ恐ろしい。

 別の育児漫画で、出産が五時間ほどだった作者が「安産ですね」と言われるのが複雑、と告白していた。彼女曰く「短くても、痛いものは痛い」。安産ですね、という言葉に「楽なお産でしたね」という響きを感じるらしい。なるほど、と考え込む私。
 私は出産まで二十時間以上かかった。出血多量で貧血がひどく、血圧が急降下するという恐ろしい体験もした。それでも産後は回復し、子どもも元気に生まれた。ありがたき「安産」であった。
 安産か否か、というのは結果論でしかない。母は誰しも命をかけて出産に臨む。楽なお産など、ひとつもない。そういう理解でいいのだと思う。

 以前、アメリカの若きセレブ女性が軽犯罪で刑務所に入った折、パニック発作を起こしたというニュースがあった。著名人の彼女は特別扱いで部屋も広かったから、むしろ同情よりバッシングが起こった。
 しかし贅沢に育った彼女にはその部屋は狭く、発作を起こすほどの恐怖だったのだ。もし、大自然を住処として育った人間がどこかに閉じ込められたら、それが東京ドームだとしてもパニックになるだろう。
 苦痛は個人的な感情で、その基準は個人の中にしかない。つわりはやっぱり辛かったなあと、あのときと同じ部屋で迎える新たな夏に思う私である。

2014年7月26日土曜日

絶望玉

いつの間にか
胸の奥に
居座っている絶望玉

完全なる形
その球形
隙ひとつ見当たらない

いつの間にか
胸の奥に
突き刺さっている絶望玉

円く重い
その玉は
重しとなって
君を縛る

どこへ進んでいるつもりなのか
何を欲しているのか
ただ ひたすらに膨れ上がる

いつの間にか
細胞の隅々に
巣食っている絶望玉

黒光りする
その欠片
ときに七色の輝きさえ放つ

いつの間にか
血管を縦横無尽に
かけめぐる絶望玉

疾走感に身を委ね
安らぎに酔いしれる
いびつな希望など
存在していないかのように

いつの間にか
君自身を
染め上げる絶望玉

絶望という美しき完全体の中で

君はただの人間になる


2014年7月19日土曜日

個性という贅沢

 近所に小さな自動車修理工場がある。工場と言っても住宅街のど真ん中、小さなビルの一階が作業場になっているような、都会によくある町工場だ。
 いつも修理中の車が数台、置かれているのだが、その車がとにかく凄い。昔の外国映画に出てくるような、デザイン性の高い車ばかりなのだ。特に車に興味のない私ですら、つい目を引かれてしまう。

 つい昨日も、ごく普通のTシャツ姿の従業員らしき男性が、派手なオープンカーを操っていたが、レアな外国車の修理工として、その世界では知られた存在だったりするんだろうか。いや知らないけど。
 格好いいなあ、と思いながら、ふと周囲を見る。集合住宅の前にある駐車場に、ズラリと車が並んでいる。メーカーも車種も違うのに、どれも似ていて無個性で、何だかとても退屈に思えてしまう。

 大量生産の時代に生まれ、その恩恵も受けてきた世代として、量産品を否定するなんて不可能だ。おかげで多くの人々が、車のある生活を手にできたし、流行のファッションを低価格で楽しめるし、家電製品を活用して家事を楽に済ませることができる。
 ただし量産品は大量生産だからこそ安いわけで、そこから外れると途端に価値は跳ね上がる。食材や衣服から車、家に至るまで、量産品で満足せず個性的であろうとすれば、お金がかかるのが現実だ。もちろん、個性はお金の問題だけではないけれど。

 人と違うものを持ちたい。それは、ほとんど本能のようなものだと思う。なぜなら「私」は「あなた」とは違うのだから。別の個であるのだから。
 人と違うものが欲しい。その当たり前の感情が、この大量生産の社会では、とてつもなく分不相応な贅沢のように見えることがある。オシャレな家電や有機野菜は高いし、修理工場に並んだ個性的な外国車も、目が飛び出るような値段だろう。車好きが個性を求めるには、相当の財力が必要だ。
 いや、庶民なのに稼ぎを趣味につぎ込んじゃう人、私は好きだけど。夫には欲しくないけど(笑)。

 私は趣味で服を作るが、作れば安く済むわけではない。ユニ○ロで買うほうが、たぶん安い。けれどユニ○ロでいいのなら、わざわざ作ることはしない。
 手間隙かけて多少ながら費用もかけて作るのは、作る行為の楽しさに加えて、やっぱり少しでも自分らしいと思える服が着たい、子どもにも着せたい、そんな思いがあるのだろうな、と思う。

 困難も多いかもしれない。けど、しなやかに個性の枝を伸ばして、自分らしく生きてほしい。小さな工場の前を通るたび、そんなことを思う母である。
 先日、ある女性が雑誌で自身のこだわりを語っていた。お洒落な家に暮らす彼女はプラスチックや工業品が大嫌い、洗濯機を置きたくないばかりに桶と洗濯板(!)を使っているという。そんな根性はからきしない私は所詮、軟弱な現代人。せいぜい身の程にあった個性を求めていきたいと思う次第である。

2014年7月11日金曜日

君に届く声の主

 以前「はざまの世界で」という話を書いたが、幼い子どもは現実とファンタジーの境界を生きている。というか、ファンタジーを現実世界にだだ漏らして生きている、というほうが近いかもしれない。
 先日、園から帰宅した息子が開口一番に口にした台詞はこれだった。「あのね、ぼく今日、夢でね、妖怪ウォッチのメダルが届くんだよ!!」

 ……そ、そうか。妖怪ウォッチ人気だもんね、という話ではなくて(すいません)、いや一体、世のお母さま方はこんなとき、どう反応するのだろう。
 でもまあ「夢で」届くのだから、現実の住人である親が関与する余地は特にない。「そうか、楽しみだねえ」とでも言っておけばいいのである。
 ちなみに数時間後には、「夢でトッキュージャーのお菓子が届く」に変わっていた。理由は不明である。たぶん、お腹が空いたんだと思う。

 これが実際に「妖怪ウォッチのメダル」や「トッキュージャーのお菓子」を要求されたら厄介だが、いや近い将来そうなるのは目に見えているが(涙)、少なくとも我が家の四歳児の場合、特にそういうわけではないところが興味深い。
 子どもにとって「夢」は、ほとんど現実と見紛うほど重要な世界だ。夢は楽しい。欲しいものは手に入り、パパもママも好きなだけ一緒に遊んでくれる。
 現実のパパやママは怒ることもあるし、大好きなお菓子もなかなか買ってもらえない。でも、夢ならそんなことはない。今夜も夢を楽しみに、眠りにつく息子。本当にそんな「夢」を、睡眠中に見ているかは分からないけど。

 家じゅう散らかし放題にして遊んだ日の夜、「お片付けしなさい」と言うと泣き出した。「できない」というのである。母親業も慣れてくると、ここでブチキレて「とっととやれー!!」と叫んでも良い結果は生まない、ということが、さすがに分かってくる。
 私は、息子が最近お気に入りの犬のぬいぐるみを、部屋が見渡せる位置に置いた。「ほらワンちゃんが『○○くん、お片付け頑張れ』って応援してるよ」。もう四歳半だし、こんな手は効かないかも。不安げな母の前で、しぶしぶ片付けを始める息子。
 しばらくすると息子は、片付けながらニコニコ顔で言い始めた。「ワンちゃんが『がんばれ』って言ったよ!」「あ、また言ったよ!」。母には聞こえない声に励まされ、ついに片付けが終了。「一人でできたね、すごーい」と(ここぞとばかり)褒められて、達成感に誇らしげな息子。
 近い将来ほぼ確実に、その声は聞こえなくなる。それでも人は何らかの形で、自分を鼓舞していかねばならない。ファンタジーに助けられて生きているのだなあ、と思ったりする。子どもも、大人も。

2014年7月5日土曜日

共感のベクトル

 機械式の自転車置き場で難儀していると、大学生くらいの若い男の子がサッと近寄ってきて手伝ってくれた。「すいません」という私に、伏し目がちの会釈だけを爽やかに残して去ってゆく彼。
 感じのいい子だなあ、モテるだろうなあ。そんな思いに続いて咄嗟に脳裏に浮かんだのは、「ウチの子も、あんなふうになるといいなあ……」。

 ああ、私も「お母ちゃん」になったのだと、しみじみ思った瞬間だった。若い素敵な男性を見ても、「キャー!! お近づきになりたい♪」とかじゃないのね。オンナよりも母なのね。まあ、そうじゃないとね。いやあ、健全で良かったよ(笑)。
 前回のロンドンオリンピックで体操競技の内村くんを見て、その成長ぶりに私は腰を抜かさんばかりに驚いた。競技のことではない。そんなことは語れない。彼のインタビュー時の態度、そして何より、お母さまへの態度のことである。
 北京のときは、どこか幼さが残っていたように思う。まだ十代だったから当然ではあるのだが、主食はチョコレートだと言ってみたり、あの少々賑やかな(笑)お母さまに対しても、照れ隠しかぶっきらぼうな態度が目立っていた。息子への愛を全身で熱烈アピールする(?)お母さまとは対照的だった。

 それが、ロンドンでは一変していたのだ。大人びたのは見た目だけではなかった。ありきたりの質問にも丁寧にそつなく答える。相変わらず応援席で熱心に声援を送るお母さまへの感想を聞かれて、はにかみながら「嬉しいです」と感謝の言葉を口にする。
 ……せ、成長したねえ(しみじみ)。お母さまはさぞかし嬉しかったに違いない。カメラの前でお礼まで言われて。よかったですねえ、うんうん、と、お母さまに勝手に共感しまくる私。
 このときも思ったものだった。ああ、私も二十代の男性の、お母さまに共感するようになったのかと。何というか、やっぱり複雑である。年齢というよりは、息子を持ったせいだと思うけど。

 時折、芸能人の年の差婚が話題になる。例えばアラフォーの女性と二十代の男性。以前なら「そんなに年下の人と恋愛なんてスゴーイ」と、どちらかというと女性の側に感情移入していたが、今は違う。
 男性のお母さまは、一体どう思われているのだろう。もし息子が将来、二十近くも年上の女性を連れてきたら。もちろん、大事なのは本人の幸せだ。そんなことは分かってる。けど、それは建前だ。
 ああ想像したくない(←気が早すぎ)。若い役者さんやミュージシャンを見て「キャーすてき♪」と思っても、件の「母親行き」共感ベクトルが感情の邪魔をする最近の私である。ああ、大ファンの有名人との結婚を純粋に夢見ていた頃が懐かしい。特に戻りたくはないけど。

2014年6月27日金曜日

coming soon

ねえ ぼく ねむいんだけど
あのね
もうすぐ ゆめがはじまりそう

くまさんと かえるさんと わんちゃんは
さきにいって まってるの
パパもね あとからくるの
ママもくる?
きてもいいよ

みんなで いっしょにあそぶゆめなの
あのね おふねにのるの
すっごくゆれるおふねなの
でも ぼくねえ
ちっともこわくないんだよ
すごいでしょ

それから
おそとで ごはんたべるの
ぼくね
サンドイッチと オレンジジュースあじのみず
それでいいよ
だって ぼく
だいすきなんだもん

うん そうだね
さっき かえりのでんしゃで
ちょっとだけ ゆめ みたね
よこくへん?
うん そう それそれ
ねえママ よこくへんってなに?

あ だめだ
もう はじまりそう
ねえ パパはあとからくる?
ぼく パパといっしょにサッカーしたい
うん そう ゆめのなかで
ママも きていいからね
ぼく さきにいって まってるからね

じゃあ あとでね
うん おやすみなさい


2014年6月19日木曜日

いつもと違う日

 雨の詞を書いたことがある。可愛らしい傘を手に、子どもたちが踊る。雨の日は、お外へ出ようよ。いつもと違う景色、ワクワクするね。そんな詞だ。
 この頃は、まだ子どもがいなかった。母となった今、息子や他の子たちの様子を見ていると、やはり子どもは雨が好きなのだなあ、と感じる。

 ところで、雨が好きな大人は多くはない、と思う。「雨を眺めるのが好き(自分は濡れない場所で)」な人はいても、少なくとも「どしゃぶりの中、全身びしょ濡れで幼稚園児を送迎する」ことが「好き」な人は、たぶんいない。いたら代わって(涙)。
 まったく、こんなことにも人間は慣れるらしい。雨の中、濡れっぱなしで(子は雨カッパ)自転車を漕いでいると、道行く人からの「大変ねえ」という同情に満ちた視線を時折いただく。が、当の本人は「もうカッパとか面倒だし、濡れたら着替えればいいし」という境地にいるので、お気遣いは不要である。まあ目障りかもしれませんが。

 大人にとっては退屈な日常の延長でしかない雨が、まだ四年しか生きていない息子には、心躍る非日常になる。長靴に傘に雨カッパ。どれも、雨の日だけの特別な装いだ。「きょう、カッパ着る?」「傘さす?」そう尋ねる息子の顔が、期待に輝いている。
 雨足が強い日は、さすがに自転車を諦めて、傘を並べて家を出る。自分の傘を傘立てから取り出すところから、自分でやらなければ気が済まない。玄関を出て、得意気に傘を開く。少し力が要るので、時々手間取る。手伝おうとすると烈火の如く怒る。

 傘をさしたら、いざ雨の中へ。傘に当たる雨の音。視界は狭いし、両手で傘を持つからママと手もつなげなくて、本当は少し怖い。ドキドキしながら歩く。
 ほら、水たまり! 長靴でピシャッとしたいな、とママをちらり。ママは「しょうがないなあ」っていう顔で見てる。ピシャピシャ。楽しい!
 あ、アジサイ! ぼくは青いのが好き。ママはピンク? ぼく幼稚園でアジサイの絵を描いたよ。花の色はピンクにしたの。ママが好きなピンクだよ!

 「♪おーたまじゃくし、足が出て手が出て……」大声で歌いながら歩く息子の脇を、駅へと急ぐ人たちが追い越してゆく。彼らに混じる、小さな傘。「あ!」。おともだちを見つけた息子が叫ぶ。
 息子より体の大きな彼は、大きな傘を片手でヒョイ。その向こうには顔なじみの女の子。傘は持っているのに、むしろ濡れるのが楽しくて雨に身をさらす彼女を、ママがハラハラ見守っている。
 誰かが捕まえたおたまじゃくしはカエルになって逃げちゃったけど、まだまだ雨の日は続く。入園前に買った傘も去年買った長靴も、もう小さいみたい。新しい雨具を買わなくちゃね。君も、ママも。

2014年6月13日金曜日

男前で行こう

 男前、という言葉を聞くと、私は人気漫画『有閑倶楽部』に出てくる一節を思い出す。警視総監である倶楽部メンバーの父親が、暴漢に顔を殴られる。痛々しく腫れ上がった頬を見た、やはり別のメンバーの父親(二人は旧知の仲)が、こんなふうに言うのだ。「あれまあ、どうしただ。男前になって」。

 男前という、字面だけ見れば今でいうイケメンに近い言葉を、顔を腫らした男性に対して使う。暴漢に襲われるという惨事に遭った男性への気遣いと労いが、そこには含まれている。向こう傷を讃える昔ながらの価値観もあるかもしれない。
 子どもの頃に読んで以来、この言葉の使い方にすっかりシビれてしまった私は、自分でも使ってみたいと機会を伺ってきたが、なかなか顔を腫らした男性に遭遇できず、会っても「男前になりましたねえ」などと言えるものではない。やはりあの台詞は、時宗さんと悠理の父ちゃんの仲あってのものなのだ。

 男前という言葉には精神性が含まれる。そこが「とにかく顔はイケてる(中身はともかく)」という意味合いの強い「イケメン」とは異なる。
 芸人の松本人志さんが著書『遺書』(1994 )の中で、お笑いに殉じる姿勢を貫く芸人さんを「オットコ前」と賞賛したことは、当時かなり話題になったのでご記憶の方も多いだろう。ここで讃えられているのも、まさに精神そのものといえる。
 イケメンなどという言葉を使わない世代の方は、単に美男子という意味でも「男前」を使う。けれどそこには「男の本質は顔に出る」という価値観が、やはり横たわっているように感じる。女もだけど。女は化けるから(笑)。

 スーパーに日参するママさんにとって、最も馴染みのある「男前」は、たぶん「豆腐」。あの力強い(?)パッケージは目を引きますからね。「男前アイロン」というのもあるらしい。もちろんハイパワー高スチームが売りだ。
 「男前ブラック」という名前がつけられた布地で、息子用のポロシャツを作る。「ぼくのふく作るの?」「おとこまえなふく?」。そう。男前な服を着て、男前になってね。どちらかといえば丸顔童顔(いや四歳児ですが)の息子に、淡い願いを託す母。

 歩道でいきなり駆け出してつまずいてズデンと転んで、オデコに立派な擦り傷を作った息子。子どもの擦り傷は勲章だ。「男前になったねえ」。かねてから念願の台詞を、ついに口にする私。
 見れば園のお友だちにも「男前」な子がチラホラ。「顔から転ぶ前に、なぜ手をつかない(怒)」という母ちゃんたちの嘆きが聞こえてきそうだが、守りに長けるより前のめりに生きてほしい、そう願ってしまう母である。超のつく慎重派だけどね(涙)。

2014年6月6日金曜日

街を歩けば

 名前を聞けば誰もが「まあ、オシャレねえ」と言いたくなるような街で、小学校の運動会に遭遇した。
 雑誌やテレビでおなじみの、素敵なショップやカフェが立ち並ぶ表通り。その一歩裏へと入るだけで、あまりにも「普通の暮らし」が存在していることに、迂闊にも驚いてしまう、そんな休日。

 どんな街にも普通の住民がいて、普通に当たり前の暮らしがある。理屈では分かっているのに、先入観とは恐ろしい。そこは区立小学校で、体操着姿で駆け回る子どもたちも、校内にレジャーシートを敷いて弁当を食べる保護者の方々もその服装も、この国のどこにでもいる普通の家族と何ら変わりはない。
 かろうじて、電柱に記された地名表示の華やかさが、ここが憧れの街であることを思い出させてくれる。坪単価の猛烈に高いエリアで普通に暮らす人々。先祖代々の地元の方? まあ、高額納税者が何のてらいもなく「しま○ら」を着るのがこの国だけど。
 隣には、やはり区立の保育園。鬱蒼とした緑に包まれた広い敷地に、思わずため息。緑の多さは、都会地ではむしろ贅沢さの基準になる。
 周囲には築三十年は超えていそうな、年季の入ったマンションが目につく。どれも外壁は美しく塗り直され、ヴィンテージな雰囲気を醸し出している。おそらく古くても価格は高いだろう。

 以前、アメリカ出身の方に聞いた話。「金持ちと庶民が隣同士で、お祭りがあれば一緒にはしゃぐ。それが日本のいいところだと思う。アメリカでは金持ちと庶民の居住地はキッパリ分かれる」。イギリスでも、どのストリートに住んでいるかで、経済的に属する層が明確に区分されると聞いたことがある。
 日本にも高級住宅地はあるけど、確かにそこまで厳密ではないかも。むしろ、普通の住宅地に突然、想像を絶する豪邸が出現したりする。地主さん? いろいろ無責任に想像しながらの街歩きは楽しい。
 先祖代々の土地だから。たまたま昔から住んでいたから。いろんな理由で、人はそこに住まう。変わるのは街であって人ではないのだな、なんて思う。

 子育てを終えた両親が、老後の快適さを考えてマンション購入を検討したとき、富山に住む祖母が言ったという。「そんな箱買うて、どうすんがけ?」。
 さすが、県民一人当たりの畳数が日本一多い土地柄である。祖母の家は決して豪邸ではないが広大だ。廊下でキャッチボールができる(←本当)。息子がドタバタ走り回っても、近所迷惑を気にする必要はない。代わりにコンビニへ行くにも車が必要だけど。
 ここで生まれ育った祖母は、それでも何の不便も感じていない。その娘である母は、この雪深い土地を離れて遠方へ嫁いだ。そのまた娘である私は、さらに首都へ出た。そこで、首都であろうがなかろうが「東京が地元であり故郷」という人たちと交わり、街というものについてしみじみ考えている。
 息子は東京生まれだが、どこで育つかはまだ未定だ。好きな場所で好きなように生きてくれればいい、と思う。自分もそうだったように。

2014年5月30日金曜日

目には見えない

 子どもの頃、近所の教会へよく遊びに行った。クリスチャンだったわけではない。たまたま、近隣の子らの遊び場になっていたのだ。
 ちなみに私は仏教系の幼稚園に通っていた。園で経文を読んだ帰りに、教会へ行って賛美歌を歌うのだ。何とも日本的な(笑)幼少期であった。

 教会では聖書を一節読むと、挿絵のカードが1枚もらえた。私が嬉しそうにカードを集めているのを見て、母がかぎ針でカードケースを編んでくれた。裁縫が不得手な母が作ったそれは、少し歪んでいて、色も冴えない暗いオレンジ色だった。しかし、そんなことは大した問題ではないのだ。母が「自分のために」作ってくれたのだから。
 それが嬉しくて、ケースにカードを収めるとき、いつも少し幸せな気分になったのを覚えている。読んだ聖書の内容は忘れてしまったけれど。
 手作りが母の愛、なんていう一面的な表現は好きじゃないけど、母が自分のために手間をかけてくれた、それは確かに小さな子どもにとって、甘くて幸せな記憶なのだな、と思う。たとえ口では「そんなダサいの、やだ」なんて言ったとしても。

 息子が「一緒に遊ぼう」としつこく誘う。仕方なく息子の横でレゴブロックを弄っていると、不格好で不思議な物体ができあがる。己の才能のなさが情けない限りだが、しかし息子は大喜びだ。
 「ママ、今日もブロック遊びしよ」。不器用な私は正直、気が重いのだが、嬉々としてブロックに向かう(私より遥かに上手だ)息子を見ていると、遊びの内容ではなく「母が自分を見て、場を共有してくれる」ことが大事なのだな、と気づく。
 個々の出来事が、どれほど記憶として残るかは分からない。けれど「母が、自分のために」という幸福感は、きっと心に層のように積み重なっていく。なるべくならしっかり刻んであげたい、と思う。

 母がいない台所。休日で下着姿の父がフライパンを操る。「お父さんも、下宿していた頃はね」。得意げに喋る父を見守る子どもたち。皿の上の目玉焼きには、何と黄身が二つ。母ではあり得ない贅沢だ。
 目玉焼きは端が焦げていたけど、添えられたキャベツはパサパサだったけど、そんなことは大したことではないのだ。父が自分たちのために料理をする、そのスペシャル感に胸躍らせる子どもたち。
 母は父について「(育児を)何もやってくれない」とよくこぼしていた。しかし私の胸には、子どものために労をとる父の姿がいくつも残っている。父は、そして母も、確かに自分たちを愛している。そう思えるのは、何と幸せなことだろう。
 目には見えない「愛というもの」は、モノや記憶にまつわって、静かに佇んでいる。時おりふと立ち現れて、私たちに今を生きる勇気を与えてくれる。

2014年5月23日金曜日

愛はいつまで

 母というのは、いつまで子に愛してもらえるのだろう。そんなことを漠然と考えてみる。
 ここでの愛とは、幼子特有の、母への盲目的な愛だ。ベッタリと甘えてくる我が子の重みは、母が味わえる無上の幸せのひとつ。ここまで愛され必要とされる体験は、他ではそうできるものではない。

 子が母を愛し求めるのは、ぶっちゃけ生きるために必要だから。そうしないと死んでしまうから。発達心理学などではそう説明される。
 虐待を受けた子すら、加害者である母を庇うという。母は子にとって、なくてはならない精神的な砦だ。母を否定すれば、自分をも否定しなくてはならなくなる。自分を否定しては、人は生きていけない。
 となると、子が母を愛するにあたって、母個人の人格はあまり関係がない。もしかすると生みの親である必要すらないのかもしれない。自分にとって唯一無二の、この世界への道先案内人であり命綱である「母」を、子は必死で求め、しがみつく。
 幼子にとって、母に否定されることは、世界の終わりにも等しい壮絶な恐怖だ。全身全霊で、文字通り命をかけて、子は母を愛している(はず)。ただ、表出の仕方は子の性格によっても違うだろうけど。クールなタイプの子もいるしね。

 母も当然、子を愛している。出産直後は「何かホルモンが出てる」くらいの勢いでメロメロになり、その勢いを頼りにハードな初期育児を乗り切るわけだが、まるで恋愛初期のような愛情は時とともに落ち着いて、穏やかなものへと変わっていく。
 代わりに顔をもたげるのが、親としての責任感だ。まっとうに育てなければ、きちんと躾けなければ。危ないことをしないように、怪我や病気をしないように、人様に迷惑をかけないように……。

 子に愛されることに、母はいつしか慣れてしまう。何を言おうがどう振る舞おうが、子の愛は揺るがない。だからこそ、ときに厳しく叱ることもできる。
 しかし母も人間だ。常に「必要なだけ叱る」なんて芸当はできないし、感情をぶつけてしまうこともある。愛されることに慣れきって、大事なものを見失う母も中にはいるだろう。子は戸惑い、翻弄され、それでも彼らは、愛することしかできない。

 「ぼく、ママのこと、だいきらい」。大きな目に不満を宿し、「納得いかない」と言いたげな表情でこちらを睨み据えながら、使い慣れない強い言葉を必死で舌に乗せる息子。
 「ママ、わらってる?」とは言っても「ママ、怒ってる?」とは決して言わなかった(肯定されては世界が終わってしまう、恐ろしい質問だ)息子の、これも成長なのかもしれないと思いながら、いつか来る「愛を失う日」に怯える母である。

2014年5月15日木曜日

せっかち母さん

 どちらかといえば、せっかちなほうだ。何事も、できれば手早く済ませたい。歩く速度も速いし、食べるのも早い。レストランでメニューを決めるときも、迷わずパパッと決めてしまう。
 こんな人間が親になると、どうなるか。子どもに「……早くしなさい!」を連呼する、ウザい母になるのですね。ああ、ウザい自分がウザい……。

 こんな親の元に、見るからにノンビリ屋な息子が生まれてくるのだから不思議だ。「○○くん、おっとりしてるよねえ」。お友だちのママさんにすら、しみじみ言われる息子。ボンヤリしているせいなのか、園でも他の子と、よくぶつかって転ぶらしい。
 だ、大丈夫なのか。生き馬の目を抜く世の中、それで渡っていけるのか。「せっかちな」母はハラハラしてしまうが、本人は至ってマイペースだ。
 着替えも食事も、ゆっくりのんびり。「どっちにする?」と尋ねれば、「どーれーに、しーようかなー♪」……イライライラ(←母の心の声)。トイレへ行ったはずが、ドアの前でパンツもはかずに「きょうのおやつ、せんべい?」……早くはきなさい(呆)。え、まだしてない!? 早よ行けや(怒)!!

 せっかちな人間は、曖昧な状態が苦手だ。曖昧さに耐えるには、力が要る。世の中は白黒つかないことだらけなのに。要は弱虫なのかも、なんて思う。
 ただし万事が早いかというと、そんなことはない。散らかった机の片付けは後回しだし、家事はやたらと時間がかかる。掃除を途中で放り出したまま、読みかけの本につい手を延ばす。気づけばお迎えの時間に(ギャー!!)。なんだ、そっくりじゃん(涙)。
 夕飯の準備が面倒で、ダラダラ引き延ばすうちに空が暗くなる。部屋中のカーテンを閉め、電気のスイッチを入れるのは息子だ。「ママ、ぼく、おなかすいた」。ようやく重い腰を上げる母。結果、夕食が遅くなり、「早く食べなさい!」と小言を食らう息子。ああ不憫。いやあの、反省してます……。

 仕事の〆切を「なるはや(なるべく早く)で!」と言う人(←多分せっかち)がいるが、そういう仕事は何故か後回しになる。何日までに、と指定されるほうが、すぐ取り組む気になる。せっかちはどうやら損らしい。できれば損はしたくないものである。
 せっかちな理由の一つに「考えるのが面倒」というのがある。私にとってせっかちは、要するに面倒くさがりの一形態なのだ。あと「とっとと済ませないと忘れそうで怖い」というのもある。
 園ママ飲み会のお誘いメールも速攻で返信していたら、すっかり酒好きのレッテルを貼られてしまった私。「また一番乗りだよ(よっぽど飲みたいんだね)♪」と含み笑いのママさんには悪いが、私はせっかちなだけである。せっかちで面倒くさがりで記憶力に自信がないだけ、なのだ。酒も好きだけど。

2014年5月7日水曜日

A子さんの選択

 A子さんの彼は、高給取りのエリートだった。勤務先は半官半民の大企業。穏やかで優しい性格で、周囲の誰からも好かれた。学生時代から付き合って数年、そろそろ結婚話が出る頃だった。
 「会社の女の子は退屈で」。彼は言った。「あなたみたいな変わった人といるほうが楽しいよ」。

 A子さんは、確かに少し「変わって」いたかもしれない。職業も少々変わっていたが、何より家事が苦手で、からきし結婚願望がなかった。世の男性の多くは、結婚すれば女性が家事全般を担ってくれるものだと、不思議なほど無邪気に信じている。
 その期待に応えられない自分は、結婚には向いていないだろう。A子さんは、そう思っていた。彼は「いいパパ」になりそうだったが、家事は女性がするものだと思っている、ごく普通の男性でもあった。
 悩んだ末、A子さんは彼と別れた。後に彼が「退屈な」会社の女の子と結婚したと聞いて、A子さんは心底ホッとした。やはり自分ではダメだったのだ。

 結婚相手を選ぶとき、あなたは何を重視するだろうか。会話の相性、金銭感覚、望んだ未来が描けるか否か。理想どおりの相手とタイミングよく出会えればいいが、なかなかそうはいかない。「いい人がいれば」と思っても、永遠に待ってはいられない。
 だからといって、妥協はできない。学校の友人を選ぶのとは訳が違う。人生を共にする、かけがえのないパートナー、将来生まれる(かもしれない)我が子の親となる相手を選ぶのだ。
 誰しも、これまでの人生で培ってきたすべてを投入し、第六感まで働かせて全身全霊で選ぶに違いない。たとえ、そんな意識はなかったとしても。

 A子さんが結婚したのは、前世は主婦かと思うほど(笑)家事が万能で、何より「家事は女性がするもの」という意識から全く自由な人だった。その人に出会わなければ、きっと結婚はしなかっただろうと、A子さんは今でも思っている。
 「東京でその程度なら、良い方だよ」。家探しの渦中、こんな台詞を何度か聞いた。確かに東京の住環境は悪い。開けた眺望、明るい陽当たり、ゆったりした間取り。庶民が手の届く予算で、それらを手に入れるのは至難の業だ。
 その程度の眺望、その程度の広さ。「東京で、その程度なら」。あなたはそんなふうに、大事な何かを選ぶだろうか。「男で、その程度なら」。そんなふうに結婚相手を選ぶだろうか。「家にいなくて寂しいけど、稼ぎはいいし」「浮気性だけど、好みのイケメンだし」「その程度なら、良い方だよ」。
 条件はどうあれ、一緒にいたいと心から思えたからこそ、結婚するのではないだろうか。東京云々ではなく、心から住みたいと思えることが、何より大事ではないかと思う。その家に似合う人が、きっといるのだから。そしてA子さんが誰かなどという野暮なことは、できれば忘れていただければと思う。

2014年4月25日金曜日

ピ〜〜ス!!

 園での子どもたちの様子を写したフォトスナップ。みんな元気にピースサインを決めている。「どこで覚えたのか知らないけどねー」。お友だちのママさんはそう言ったが、息子の場合「どこで覚えたか」は、明確に判明している。
 イトコのお姉ちゃん。ぴっちぴちの女子高生だ。息子に向かって「キャー!! カワイイ!!」を連発し、ピースサインを取らせて自分のスマホで撮影しまくっていた。言われるままに指の形を作り、ニンマリ笑顔で照れくさそうに写真に納まる息子。
 よかったね、女子高生にちやほやされて。これが人生のハイライトじゃないといいけど(遠い目)。

 おそらくこのときに、写真=ピース、と彼の中にインプットされたに違いない。園では他のお友だちも、同じようにピースをしている。カメラを向けられたら、みんなで一斉にピース! 誰もが心底、楽しそうな笑顔。楽しい瞬間。
 20代の頃から、幼稚園等で歌われる「子どもの歌」を作ってきたけど、自分が子を持って、改めて思ったことがある。子どもたちにとって、園とはどういう場所なのか。いろいろ答えはあるけれど、何よりも「お友だち」のいる場所なのだ。

 何の根拠も必然性もない、たまたま「同じクラスになっただけ」の人間関係。その「かけがえのなさ」を、息子も味わいはじめている。
 楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、不満なこと。暑さ寒さ、暗さ明るさ、天候や季節の変遷。
 みんなで食べるお弁当、ママの迎えが遅い心細さ。遠足で見た大きな海。バスで舐めた飴の幸せな甘さ。
 感じるときは、一人じゃない。いつもそばに「お友だち」がいる。心情を共にして、記憶を共にして、人と共に在ることの素晴らしさを感じてほしいと願う、人付き合いのあまり上手ではない母である。

 お友だちと変顔ポーズ、照れた表情で女の子とツーショット。園からもらったスナップには、母の知らない息子がいて、お友だちと過ごす幸せそうな息子がいて、安心する反面、少し寂しい気分になる。
 母の腕の中が世界のすべてだったのに、今や母の知らない人が息子を知っていて、いや、むしろ息子のおかげで母の世界が広がって、自分には絶対に無理だと思っていた園ママ生活もまあ、ぼちぼちこなし、気づけば想像もしなかった未来に立っている。

 まだ住人のいない室内を、ひたすら写真に撮る私。構図を決めてモニターを見ると、息子がピースで映り込んでいる。そういう写真じゃないから。ほら邪魔だから。そう言っても、息子はやめようとしない。
 ケタケタ笑いながら、気づけば映り込む小さな影。一体、どんな思い出になるのやら。心身共にハードな毎日に根を上げつつ、必死で未来を探す春である。

2014年4月15日火曜日

小さな女の子は誰?

 私の両親の家には以前から、子どもたち(私と兄弟)の写真が何枚も飾られていた。それ自体は不自然ではない、むしろよくある光景なのだが、あるとき、私は不思議なことに気づいた。
 写真の中の私たちが、帰省するたびに若くなっていくのである。社会人になってからの家族旅行、大学の卒業式、成人式。高校生、小学生、幼稚園。まだ若い母に抱かれた、首も座らない頃の写真。

 現実の私たちは、すでに若いとはいえない年齢にさしかかっているのに。どうしてなんだろう。見るたびに、何ともいえない気持ちになる。
 父母は私が結婚してからも、実家に雛人形を飾っていた。双方の家にとって初孫だった私は、立派な段飾りの雛人形を持っている。毎年、箱から出して陰干しをし、壊れたパーツを手で直して、しかも飾った後は写真に撮ってメールで送ってくるのだ。
 私は正直、困惑した。親にしてみれば「飾らないと痛むし」くらいの気持ちだったのかもしれないが、どうにも反応に困るのだ。「あ、そう」とか「よくやるねえ」くらいしか言いようがない。
 冷たいと思われるかもしれないが、例えば男性の方にはぜひ、いい年齢になったのに毎年、庭に自分のために大きな鯉のぼりを立てる親御さんの姿を想像いただければと思う。……反応に困るでしょう?

 数年前のある朝、祖母から突然、電話がかかってきた。夢を見たという。祖母には少し変わったところがあって、私が小学生のときにも「○○ちゃん(私)が誘拐される夢を見た」と電話してきたことがある。そのとき私は、ランドセルを背負って家を出るところだった。もちろん誘拐はされなかった。
 「(夢の中で)小さな女の子が泣いていた」。祖母は言った。だから心配して、電話したのだという。「私が知ってる女の子は、あんたしかおらんから」。
 そのとき私はすでに、小さな女の子どころか「おばちゃん」でもおかしくない年齢だった。なんだかひどく申し訳ない気持ちになったのを覚えている。

 「子ども」であり「娘」「孫」であることに、私は少し、疲れていたのだと思う。現実とのギャップに、若干ストレスを感じていたのだとも思う。
 昔とは違い、結婚しても「娘」であることには、あまり変わりがない。とにかくガラリと劇的に変わるのは、娘が「母」になってからである。

 実家は現在、孫である息子の写真で埋め尽くされている。ここ数年、雛人形の写真は送られてこない。祖母は毎日、枕元に置いた曾孫の写真に話しかけ、デイサービスの職員さんに「可愛い曾孫さんですねえ」と言ってもらっては喜んでいるという。
 祖母はもう「小さな女の子」の夢は、きっと見ないだろう。それでいい、と心から思う。

2014年4月11日金曜日

答えはいらない

 のれんに腕押し、ぬかに釘。私と息子の会話は、時々そんな調子になる。のらりくらり。身をかわすというより、受け止めていなす、という感じだ。
 ある日の会話。「ジャムおじさんは男の子で、バタコさんは女の子?」「まあ、そうかな」「じゃあ、ジャムおじさんがパパで、バタコさんはママだね!」
 ……そうなんだろうか。ジャムおじさんはアンパンマンの生みの親だから「パパ」はわかるとしても、バタコさんは「ママ」なのか? ……違う気がする。

 そこで「いや違うから」とか「そんなわけないじゃん」と冷たく言い放って終了、でもいいんだけど(そういういときもあるけど)、「そうなのかなあ」とか「まあ、そうかもねえ」とか、どうにでもとれそうな言葉を吐くことが、私は多い。
 否定するとしても「うーん、違う気がするよママは」なんて、ソフトな表現になる。息子は「ふーん、そう?」とか「でも、やっぱり○○なんじゃない?」なんてブツブツ言っている。
 「それは○○だよ」と教え諭す場面もなくはないけど、気ままに会話のゆる〜いキャッチボールに身を委ねる春の午後。親が教えられることなんて多くはない。まあ自分で考えなよ、なんて思いながら。

 息子を見ていて、怖いな、と思うことが度々ある。経験の絶対量が少ないから、まだ自分の価値観と呼べるものを持っていない。親の言葉、親の価値観を、流れ落ちる水を受け止めるがごとく、まっすぐに吸収してしまう。それはもう怖いほど素直に。
 「ほら、綺麗な桜だね」と親に言われて初めて、桜は綺麗なものだとインプットする。次に桜を見たら、大喜びで「桜、きれいだね」と親に話しかける。こうした経験の積み重ねから「綺麗」とはどういう言葉なのかを学んでいく。マイナスイメージの言葉も同様だ。「これ、気持ち悪いね」と言えば、息子は「気持ち悪いもの」とインプットしていくだろう。
 親の言う悪口から、子どもは悪口の言い方を学ぶだろう。親が差別的な言動をすれば、差別的な価値観を吸収するに違いない。そう考えると本当に怖い。

 最近、お気に入りのMV。曲の最後、それまで一緒に踊っていたダンサーたちをスタジオに残し、歌い手だけがドアを開けてスタジオを後にする。息子が不思議そうに言う。「おともだち(ダンサーたち)がいるのに、どうして一人で帰っちゃうの?」。
 知らんがな(困)。そういう演出だから、とか、それがカッコいいと監督さんが判断したから、あたりがオトナ的な答えなのだが四歳児には通じない。
 「お友だちと遊ぶの疲れたから、一人になりたかったんだよ」「このあと用事があったんじゃない?」……その場しのぎで何とか答えてきたのだが、そろそろネタも尽きてきた。なんかないですかねえ。いやあ、幼児との会話は奥が深い……。

2014年4月8日火曜日

sora ~another term~

大きくなったら 空を飛べると
君はずっと信じてる
青く煌めく情熱

苦しい日々は明日への糧
だから何も怖くはない
傷口にすら芽吹く花

輝く太陽が君を縛る
常識の編み目を引きちぎれ

sora sora
約束は要らない
ふと佇んだ君の前で
風が何もかも奪うだろう
sora sora
孤独を食む強さ
一人で泣けるだけの勇気
誰かを愛せるだけの弱さ


2014年4月2日水曜日

オトコの宿命

 息子を自転車に乗せ、区の一時保育施設へ。「アレルギーは」「生活リズムは」「好きな遊びは」。そんな書類も、慣れてくるとパッと書けるようになる。ただし今日は登録だけ。預けるのはまだ先だ。
 区の制度は利用に至るまでの手順が複雑で、心理的なハードルも高い。ただ「そうもいってられない」場面もあるわけで(切実)、明るく広々とした保育室を見渡しながら「さすが区……」と嘆息する私。

 懸案は、外ヅラはいいが人見知りの強い最近の息子である。春休みのせいか甘えん坊モードで、何気ない場面で突然「ママ〜!!」と泣き出すこともある。初めての場所で、ちゃんと待っていられるだろうか。登録書類を書きながら、一抹の不安がよぎる。
 「こんにちは」。若い保育士の女性に挨拶されて、返事もせずに恥ずかしそうに下を向く息子。最近はいつもこんな調子で困ってしまう。
 当日の持ち物や注意事項等の説明を聞いた後、息子に一応、確認を取る。「ここでママが帰ってくるまで待てる?」。息子は少し考えるフリをしてから言った。「……それはちょっと難しいかな」。
 日々、小生意気な口調を身につけてゆく四歳児。ああ面倒くさい(本音)。何とか承諾の言質を取ろうと母も必死だ。「あ、持ち物に『おやつ』があるよ。ここでおやつ食べて、お姉さんと遊んだら?」。

 「おやつ?」。息子の目の色が変わったのを、さすがに保育士さんは見逃さなかった。「一緒におやつ食べて遊ぼっか。何が好き?」「……トーマス」「わかった。待ってるからね」「……うん」。
 その場ではおとなしかった息子。しかし「若くて」「優しそうな」保育士の「お姉さん」にこう言われて、すっかりメロメロになってしまったらしく。
 家に帰ってからもう、うるさいのなんの。「ぼくこんど、お姉さんとおやつ食べるの?」「お姉さんと、預かりの部屋でいっしょに遊ぶの?」「それって、あした?」……えーい明日じゃないっ(呆)。
 ついには「お姉さんに、てがみかく」と何やら書きはじめる。「これは、お姉さんと、ぼくの顔なの。あ、リンゴもかこうっと」……好きにして。「おてがみ、かばんに入れといて」……へいへい。男の子ってみんな、こうなんでしょうか。DNAに組み込まれているんでしょうか。「若い」「お姉さん」に弱い遺伝子が。母にはもうわかりませぬ(よよ)。

 時おりお世話になるシッターさんは、子育てを終えた年齢の方で、上品で優しく息子も懐いているのだが、彼女に「手紙を書く」などと言い出したことは一度もない。同世代の女の子にも、反応は普通だ。
 ところが「若い」「お姉さん」(だいたいハタチ前後くらい)になると、明らかに態度が変わるのだ。緩んだ表情、ニヤケた目元。ほんのり染まる頬。
 色気と食い気を満たす、一時保育は男児のパラダイス!? 簡単に籠絡される息子の将来が心配……。

2014年3月31日月曜日

記憶の写真

 小学五年生のとき、クラスに地元テレビ局の撮影クルーがやってきた。ローカル番組などで見かける「今日は○○小学校何年何組のみんなです!」「わー!」みたいなアレである。
 父の日が近かったため、テーマは「お父さんを偉いと思うのはどんなとき?」。みんな元気に答えるのだが、なぜか手を挙げるのは男子ばかり。するとマイクを向けていたディレクターの男性が言った。「このままじゃ、このクラスは男の子しかいないと思われちゃうよ。テレビってそういうものなんだ」。
 仕方なく女子も手を挙げ、私も知恵を絞って答えた。「給料袋を持って帰るときです」。放映を観た母は困惑して言った。「ウチ銀行振込だけど……」。

 このときの映像は残っているんだろうか。残っていないと信じたい(祈)。当時でさえ死ぬほど恥ずかしかったのだ。ディレクター氏には悪いが、再び観たいとは思わない。記憶にあるだけで十分である。
 息子の人生初の映像は、生後二ヶ月、アーウーと声を発し始めた頃のもの。最近は出産もビデオ撮影、どころか胎内にいるときの3D動画(?)まで残したりするから、些かのんびりし過ぎかもしれない。
 だいたい私は面倒くさがりというか根気がないというか、「成長の記録を残すこと」に相当な精力を傾けておられる親御さんも多いことを思えば情けない。遠方の祖父母が欲しがるから、という動機がなければ、写真も動画も、もっと少なかっただろう。
 我が家は二人揃って写真が苦手というか、「写真を撮るという行為」が苦手なのだ。おそらく分かってくださる方も、いらっしゃるのではないかと思う。

 学生時代、一緒に旅行した友人は、どこへ行っても「自分を入れた」写真を撮りまくった。「どうしてそんなに撮るの?」と尋ねたら、「だって忘れちゃうじゃない。自分がちゃんとそこに行ったっていう記録だよ」と言われた。なるほど、と少し思った。
 かつて新婚旅行でパラオに行った。その場の空気を存分に呼吸して、心から楽しみたいと思う瞬間に、カメラを取り出す行為が無粋に思えてしまうときがある。結果、残った写真は多くはない。
 今の私は、少し後悔している。どんな記憶も、いつか薄れてしまうのだ。強迫観念のように写真を残し続けた友人の思いも、少しわかる気がした。写真が紐解く記憶。写真に預託される記憶。

 今は、なるべく写真を残すようにしている。人はそんなに多く記憶できない。「代わりによろしくね」とばかりにカシャリ。つい忘れることも多いけど。
 生後間もない頃、息子の「とある写真」をとても撮りたかったのだが、相方に「それだけは頼むから勘弁してやってくれ」と猛烈な勢いで阻止されて諦めた。まあ、これも「記憶にあるだけで十分」な部類かも。ちっちゃくて可愛かったんだけどなあ……。

2014年3月27日木曜日

自慢のハナシ

 「お子さんの『自慢できるところ』は何ですか」。ママ稼業をやっていると、そんな質問に出くわすことがある。ちょっとしたイベントや行事だったり、内輪の集まりだったり、まあいろいろあるわけです。
 別にお受験の面接ではないので、基本的にはカジュアルな答えでOK。度が過ぎる自慢は反感を買いそうだが、あまり卑下するのも考えもの。こういう「適度な社交」は何気に難しい。気にしすぎ?(笑)

 はて、愛しの息子の自慢といえば「頭が大きい」とか外ヅラだけはいいとかいろいろネタはあるのだが、ここは「何でも食べること」を挙げてみたい。
 実は息子は離乳食時代から、食事を残したことがない。これは、こそだて界では相当なレベルの自慢である。大抵「ええっ!?」と驚かれるし、「羨ましい……」と言われることも少なくない。食の細いお子さんに悩むママさんが多いのだなあ、と実感する。

 いちばん最初に重湯を含ませたときは、さすがにべーっと吐き出した。「やっぱり、うまくいかないものなのね」と思ったのは、このときだけだった。次の日から、食べる食べる。口を大きく開けて催促するようになるのに、そう時間はかからなかった。
 こぼした食べ物は、必死で拾って口に入れる。いつも真剣な表情で、笑顔も見せず一心不乱に食べる息子を見ながら「誰に似たんだろう……」と呟く私。
 私自身はちっとも食べない子どもで、口をこじ開けて押し込んでいたと母に聞いたことがある。相方は家の料理の味付けに文句を言う子どもだった。食への強い執着は、どうやらパパの血らしい。

 食べることは生きる基本だけに、感情と深く繋がっている。食べないと気に病むし、食べ物を粗末にされるとカッとなる。食の躾は厄介だ。うまくいかずに精神的に参ってしまうママさんもいる。
 食への執着は新生児の頃、母乳の出が今ひとつだったせい? なんて思ったこともあるが、たぶん関係ない。単に、そういう個性の子なのだろう。同じ状況下の子が全員、食に執着するとは考えにくいし。もし兄弟がいたら、その子は小食かもしれないし。
 成長したら偏食が出るかもしれない。自慢できるのも今のうち、かもしれない。好物のサンドイッチにかぶりつく息子を見ながら、そんなことを思う。

 夜中に咳が出て病院へ。「この年齢だと使える薬も少ないから」と仰る先生に、強い薬なのかと尋ねると「いや、苦くて子どもは飲みにくいから」。
 先生、大丈夫ですから。ウチの子、飲めますから。そう言って出してもらった漢方薬。「このおくすり、変わったあじがするねえ」と言いながら、ゴクゴク飲みましたとさ。いやはや、口に入れる物には節操のない息子。なのに体重はサッパリ増えず、顔にばかり肉がつき、ますます頭が大きくなる……(涙)。

2014年3月24日月曜日

買ってあげるよ

ママ この服ほしいの?
いいよ ぼくが買ってあげるよ
ああ こっちの服もいいんじゃない?
ママ この服かわいいね
ぼくが買ってあげたら
ママ この服きて
いっしょにおでかけしようね
ぼくが買ってあげた服でね

ママ コーヒーのみたいの?
そいじゃあさ
ぼくのコーヒー屋さんで買ったコーヒーが
いいんじゃない?
それ ぼくのコーヒー屋さんにあった
コーヒーだよね
ママ それにしなよ
おいしいよ

ぼくさ ママのスカートつくってあげるよ
スカートのつくりかた
ぼく知ってるからね
まずは せんをかく
アイロンをかける
ミシンをかける
テープをはる
ハサミでジョキジョキきる
あとは ぬうだけ
それでいいよ

ママ マンションほしいの?
ぼくが買ってあげるよ
そっちのマンションがいいの?
いいよいいよ それも ぼくが買ってあげるよ
でもね マンション買うには
お金がひつようなんだよね
ぼくねえ
ようちえんで お金いっぱい作ったから
だいじょうぶ
ぼくが買ってあげるからね
でも 1コだけだからね

ぼくが買ってあげたら
ママ よろこぶ?


2014年3月20日木曜日

歯医者のABC

 カリスマ歯科医がいるというA医院、若い先生が開いたオシャレなBクリニック、総合病院に併設のC歯科。近隣にある3つの選択肢からC歯科を選んだのは、ただ何となく程度の理由だった。息子が一歳半の頃だ。ただし治療を受けるのは私である。
 どこへ行くにも「子どもはどうすれば!?」という問題が付いて回る乳幼児期。予約の電話で一歳児連れであることを切り出すと、電話口の女性はあっさり言った。「それなら受付でお預かりしますよ」。

 受付で預かる!? 子どもを!? そんなことができるの? 半信半疑で病院へ。待合室に歯科衛生士さんが迎えに来る。「あ、お子さんですね」。彼女は受付の女性を呼ぶと、息子に向かって話しかけた。「お姉さんと、あっちで遊んで待ってよっか?」。
 息子は無言でうなずくと、「若くて」「きれいな」受付の「お姉さん」に手を引かれ、母親には目もくれず去って行った。「泣かなくて偉いですね」という衛生士さんの声に、いえ、ああいう奴だって知ってましたから、と心の中でつぶやく私(涙)。

 治療を終えて迎えに行くと、受付の椅子にちょこんと座り、おもちゃの電車を手に「もう来たの?」という顔の息子が待っていた。「とってもいい子でしたよお」という朗らかなお姉さんたちの声に、安堵しつつも妙な予感に襲われる私。
 その後も治療に通うたび、一目散に受付へ向かう息子。いつもの椅子によじ上り、すっかり我が物顔だ。そして最後の治療を終え、衛生士さんが受付に「今日で終わりです」と告げた瞬間、「えー!!」というお姉さんたちの声が響いた。「せっかく馴染んできたのに」「寂しいー」「またおいでね」……。それは病院としてどうなのか。いいけどさ。

 ここの先生は女医さんで、子育て中の身を何かと気遣ってくれる。「歯を磨くのも大変だよね」と言われると、不覚にもホロッとしそうになる。何となく選んだ病院だが、我ながらなかなかのカンである。
 検診で訪れた別の病院では、私がレントゲンを撮っている間、若い男性技師が息子の相手をしてくれた。診察の先生は気難しそうだったが、子連れでも特に何も言わず、気にするそぶりも見せなかった。
 母と子が社会の一員として、風景の中に自然に存在できる。丸ごと社会に受け入れられている、そう実感できるとき、じんわりと幸せな気分になる。

 長年通っている美容院。若い美容師のお兄さんが、いつも息子と一緒に遊んでくれる。豪快にお漏らしをしたこともあるが、嫌な顔ひとつされなかった。
 聞けば店には、別の美容院で「子ども/ベビーカーお断り」と言われて途方に暮れたママさんから、時おり電話がかかってくるという。そんな話を耳にするとき、しみじみと切ない気分になる。

2014年3月17日月曜日

任せてしまう人たち

 仕事で会った若い男性が、偶然にも近くに住んでいることが判明する。上のお子さんは春から幼稚園だとか。思わず「どちらの園ですか?」と尋ねる私。
 男性が挙げたのは、風情ある教会が併設された、界隈でも有数のセレブ幼稚園。「あの教会、素敵ですよね」と切り出したら、彼は困ったように言った。「僕、よく知らないんですよ。妻に任せてるんで」。

 そ、そうか。任せてるのか。何だか少し前に、似たような言葉を聞いた気がする。人気司会者が苦悶の表情で「子どものことは妻に任せきりで……」。あれ、違ったっけ。ま、いいや。
 もちろん「任せてる」からといって、その男性が子育てに無関心とは限らない。たまたま園選びに関しては「任せた」だけかもしれないし、これ以上、詮索されないよう「知らない」と予防線を張ったのかもしれない。単なる照れ隠しかもしれない。
 けれど、このイクメン礼賛の世の中で、今どきの若いパパが他人に向かって「妻に任せている」と断言する姿に、ふうむと考え込んでしまった私である。

 「任せられている」側の奥様が、それでよければいいわけで、他人が口を挟む筋合いではないだろう。夫は仕事、妻は家事と子育て。それで上手く回っているなら、何の問題もないように見える。
 彼の仕事は相当に多忙だ。奥様一人での、下の子を抱えての幼稚園探しは大変ではなかったか。悩みやグチは吐露できたんだろうか。平然と「任せるから」と言ってしまえる夫に。大きなお世話だけど。

 「任せる」という言葉には、どうしても無関心さが潜む気がして、私は寂しい気持ちになるのだが、むしろ「任せられる」ほうが楽で快適、そんなママさんもいるかもしれない。楽かどうかはともかく、かつての日本の平均的な姿ではあるだろう。私の育った家もそうだった。多忙な父、専業主婦の母。
 普段は影の薄い父も、休日は家族のために長時間、車を運転し、母が体調を崩せば焦げた目玉焼きを焼いてくれた。あの世代の男性にしては、父なりに子育てに関わっていたのだな、と思う娘である。母は絶対に同意しないだろうけど(笑)。

 好天の休日、公園で見かけたパパさんは、黒い中折れ帽に革のブーツがよく似合うダンディな出で立ちで、年の頃は四十代、黒の抱っこ紐で赤ん坊を胸に括り付け、春風の中で颯爽と立っていた。その姿があまりにも決まっていて、つい見とれてしまう。
 「むしろ若くない男のほうが、抵抗なく子育てに入っていけるような気がする」と相方は言う。人生時間の配分の割合が、年齢によって変わるのは当然だ。仕事に夢中な若い彼も、もしかすると休日は抱っこ紐で颯爽と歩き、奥様の話に耳を傾けているかもしれない。そうじゃないかもしれないけれど。

2014年3月12日水曜日

10秒間の沈黙

 傍に立っていた電信柱をとっさに見上げたのを、よく覚えている。万が一、倒れてくるとすればコレだ。私はベビーカーに覆い被さって、揺れに体を取られないように足を踏ん張りながら、青い空にそびえ立つグレーの細長い円柱を睨みつけていた。
 脳裏にあったのは、数ヶ月前に起きたニュージーランドの地震だった。テレビで繰り返し流れた、崩れ落ちたビルの残骸。周囲を見る限り、いつもの見慣れた景色だ。なら大丈夫。地震なら慣れている。

 そのとき私はベビーカーに一歳の息子を乗せて、近所のスーパーの前で信号待ちをしていた。急激な揺れに、スーパーの窓ガラスがビシビシッと軋む。従業員らしき男性が出てきて「これは大きいなあ」と言うのが聞こえた。人の気配に、妙に安堵する私。
 揺れは間もなく収まり、信号は何事もなかったように青に変わった。自動ドアを抜けて店に入ると、強烈な酒の匂いがした。入口の横にあるお酒コーナーの酒瓶が、すべて割れて床に散乱していた。

 店内はとてもマトモに買い物ができる状態ではなく、私と息子は早々に店を出た。まもなく店は臨時休業したと後で聞いた。
 ベビーカーを押して歩きだした私の携帯に、相方から着信が入る。「危ないから家には帰らない方がいい」と言われ、仕方がないのでスーパーの裏手にある小さな公園へ向かう。公園には先客がいた。金髪の外国人女性と、その息子さんらしき男の子。
 息子より少し年上だろうか。元気に走り回っている。女性は流暢な日本語を話したが、親子の会話は英語ではない。尋ねると、ロシア語だという。言われてみると「スパシーバ(ありがとう)」という言葉が聞き取れた。まあ、それしか知らないのだけど。
 ご主人はまた別の国の方だという。そんな一家が縁あって暮らす日本で、こんな体験をするとは思わなかったに違いない。あの日以来、親子には会っていない。日本を離れてしまったのかもしれない。

 家の中は物が散乱していたが、幸い家電や窓の破損はなかった。夜になると大家さんが、自動停止していたガスを開けてくれた。相方も勤め先から延々、歩いて帰ってきた。二人ともくたびれ果てていたが、事の真の重大さを知るのは、まだ何日も先のことだ。
 三年後の午後2時46分、私は周囲にいた人たちとともに黙祷した。たった10秒間の沈黙で、いろんなことを考えた。私たちが今こうしているのは、防災の備えがあったからでも、日頃の心がけのおかげでもない、ただの偶然でしかない。
 偶然という名の奇跡を積み重ねて、私たちは生きている。一秒後に無事な保証はどこにもない。命を粗末にしたり、誰かを傷つけたり、自分で自分を傷つけている暇はない。精一杯生きなければ。そんな思いをかみしめながら目を閉じる。

2014年3月10日月曜日

おうちが壊れる日

 「こんど、ぼくのおうちがこわれるときねえ」。「え?」。相手は一瞬、意味が分からないといった風情で聞き返した。無理もない。四歳児の言葉に筋が通っていなくても不思議はないけど、しかし息子の台詞には、何の嘘も誇張もないのだ。
 今度、僕のお家は壊れる。意味が分からなくて頭を抱えているのは私の方である。実はすんごい人生の岐路かも、というのが今回のお話だが、まあ皆さんには所詮、他人事なので気楽にどうぞ(涙)。

 賃貸暮らしの魅力は、何と言っても気楽なことだ。元が東京の人間ではないこともあって、これまで好きな街に住み、気が向けば引っ越して生きてきた。
 ただ、今の街にはもう十年以上、居着いている。肌が合うのだと思う。子どもも生まれ、地域とのつながりも増えた。余談だが私の両親は子育て終了後、別の街に移り住んだ。もう十数年がたち、自治会役員も経験したのに、地域とのつながりは薄いという。その街で子育てをしていないというだけで。
 そんなもんかねえ、と思う私。確かに、子どもが産まれ、地元の園へ入った途端、顔見知りのご近所さんが爆発的に増えた。人とのつながりの中で生きているのだなあ、と思えることは、浮き草暮らしだった私には、なかなか新鮮で楽しい。

 そんなお気楽な日々が、ついに終わる日が来る。「マンション取り壊しだって」。相方は顔面蒼白だったが、私は体の奥でズドン、と肝が据わる音がした。「おうち、こわすの?」という息子の間の抜けた台詞を、微笑ましく感じる余裕があるほどに。
 こんなことが、これまでにも何度かあった。妊娠が判明したときもそうだった。急な賃上げで半ば追い出されるように引っ越したこともある。気楽な生活にはつきもののリスクだ。ジタバタしても始まらない。可能な限り最善の策を練らなければ。
 いつか来るはずの日が、今来ただけだ。いつまでもお気楽ではいられない。社会の中で子どもを育てる以上、求められる責任や果たすべき義務がある。以前はそれらが自由の侵害のように感じたけど、今は「よっしゃ!」という感じだ。

 まあ、できれば安定した環境で育ててあげたいし。幸い今の街は気に入っているし、おともだちもいるし、何より「取り壊すから半年後に引っ越してくれ」とか言われるのはもう最後にしたいし(本音)。
 こうして、新たな可能性を探って混沌期に突入した我が家。どうなるんでしょう。私は半年後、住む家があるんでしょうか。わかりません(マジで!)。
 まあ、息子を路頭に迷わせるわけにはいかないので、母ちゃん頑張るよ。おうちがこわれる前に何とかしないとね。だから人通りの多い往来で「ちゅうこマンションかう?」とか叫ぶのやめてね(恥)。

2014年3月7日金曜日

暇な人、忙しい人

 世の中には、本当に忙しい人というのがいる。予定は分刻みでぎっしり。自分の忙しさを自分で制御できない人もいる。他人が決めたスケジュールを分刻みでこなす。凡人には気が遠くなりそうな生活だ。
 これまで仕事で、そういう人に何人も会った。企業の社長、大学教授、芸能人。ほんの数十分の時間を割いてもらうことが、とても貴重で大変な人たち。

 ところで一般に、主婦は暇だと思われている。フルタイムのワーママならともかく、専業主婦とは暇なものだと思っている人は少なくない。
 ある知人のママさんは、何か頼み事をすると「いいよ。どうせ暇だし」と答える。仕事はしておらず、子どもは女の子が一人。娘さんと一緒に毎日、公園へ出かける生活だ。我が子とゆったり過ごす日々。うらやましいと思う人も多いだろう。
 しかし私は、彼女が「暇」だとは決して思わない。「どうせ暇だし」というのは、彼女のフレンドリーな性格が言わせた気遣いの言葉だと私は受け取っている。彼女は決して暇ではない。というより、世の中に「暇な人」なんていないと思うんだけど。

 なぜなら時間の感覚は本来、主観的なものだから。どんな多忙なアイドルも隠れて恋する時間はあるし、いくら暇でも意に添わないことに割く時間は一秒だって惜しい。
 そんなことを差し引いても、やはり主婦やママは忙しいのだと、当事者になってみてつくづく思う私である。家事は日々絶えず発生し、子どもは常に世話を必要とする。日々のスケジュールに「子どもの予定」がバンバン入ってくるのも特徴だ。園や学校の行事にPTA、子どもの習い事、子どもの通院。
 私など一人でもバタバタなのに、子どもが三人、四人といるママさんなぞ目の回る忙しさに違いない。余談だが、子どもが三人以上いるママさんが周囲に意外と多いことに驚く。子どもの減少というのは兄弟姉妹が減っている以上に、一人も産まない人が増えているのだなあ、と実感する。

 とある記事に、生後二ヶ月の子を持つ母親の肩書きに「無職」とあった。無職という言葉には、単なる事実を超えた非難のニュアンスがある。二ヶ月の赤子がいて、どうやって働けというのか。これほど多忙な無職もなかなかいまい。
 ここ最近、忙しくて文字通り息つく暇もない日が続いた。昔は仕事がどんなに忙しくても「寝ないでやればいいだけ」と思っていた。今はもう、そうはいかない。体力がついてこないのだ。
 「子育ては大変だ。若かったから出来たんだな」という義父の述懐をうなだれて聞く、もう若くない二人(涙)。「大丈夫! そこは親年齢だから」と言ってくれた知人もいた。親年齢なら、まだ四歳。ピチピチだ。さあ頑張ろう(棒)。

2014年3月4日火曜日

sora

大きくなったら 空を飛べると
君は固く信じてる
羽の在処も知らずに

無垢な瞳に映る鳥は
作り物だといつか知るだろう
決して抜けない虹の羽

朝焼けの空は 君の時間
迷わずに強く大地を蹴って

sora sora
命綱はないよ
飛行機でも気球でもない
君だけのやりかたで構わない
sora sora
約束したんだ
この空の上でいつか会えるさ
ほら見えてきた 小さな翼

大きくなったら 空を飛べると
君は今も信じてる
老いた翼を広げて

夢をいくつか見間違えて
こぼれる砂を拾い続けて
埃にまみれ 足を取られ

迫る夕闇 もがく影
暴れだす狂気を飼いならせ

sora sora
助けを呼ぶ声は
その目に青が映る限り
飲み込んでしまえ力の限り
sora sora
命綱は切れた
本当の自由まであと少し
飛び立つその日まであと少し

大きくなったら 空を飛べると
君は何故か信じてる
同じ空を見上げている


2014年3月3日月曜日

ママと化粧と人生と

 園へ送り迎えをするようになって驚いたことの一つが、他のママさんたちが皆、きちんと化粧をしていることだった。ちなみに私はドすっぴんである。
 毎日のお迎えというのは日常のルーティンであり、私にとっては近所への買い物同様、わざわざ化粧をする場面ではないのだが、世間では少数派なんだろうか。ちょっとショック。いや、いいんですけど。

 身近なママたちに、先の疑問をそれとなく投げかけてみる。やはり皆さん当然のように「化粧はする」との答え。私がすっぴんだというと逆に驚かれる。
 幼稚園だから専業ママも多いが「朝、化粧をして一日過ごすから、園の送迎時もそのまま」。園バス利用で自宅の目の前にバスが停まるママさんすら「公道に出るから塗る」。そ、そういうもんですか。
 冬場、マスクで顔半分が隠れるときも「目から上だけでもする」。それ、絶対にマスク取れないじゃん! つうか、そこまでする理由がわからないよ、と呆然とする私に、逆に呆然とするママさんたち。
 理由があるというよりは、それが当然というか習慣になっていて、服を着るように化粧をする、そんな感覚らしい。「身だしなみだから」というママさんもいた。なるほど、と唸ってしまう私。

 もちろん私も、常にすっぴんなわけではない。仕事で人に会うとき、大きな町へ出かけるとき、園の行事のときなどには化粧をする。私にとって化粧は日常の身だしなみというより、ハレの場の装いなのだろうと思う。だから家から徒歩圏内の園やスーパーへ行くときに、わざわざ装うことはしない。
 OL経験が少ないせいかとも思ったけど、単に性分のような気もする。パパに「化粧はしてほしい」と言われる、というママさんもいた。ウチの相方は「すっぴんでいいよ」というタイプだ。そんなことも影響するのかもしれない。

 しかしママたちの話をよく聞いてみると、「最低限、眉だけは描く」とか「肌は塗るけど口紅は塗らない」とか、人によって「身だしなみの基準」が違うことがわかって興味深い。私も園ママ生活が始まって、化粧する機会はずいぶん増えた。思いがけない変化だけど、それもまた楽しい。
 こんな私だが、実は昔は大のコスメ好きだった。育毛剤はむしろ二十代の男性に売れると聞いたことがあるが、若い頃ほど未来への不安から投資しがちな気がする。今のほうが安価な化粧品で満足できるのは、昔のような闇雲な不安が減った反面、コスメに抱く夢も薄れたのかもしれない。そう思うと少し切ない。
 子育てに夢中な年月ぶん、ママも年を重ねていく。ピカピカの子どもの肌がうらやましいのは、化粧派もすっぴん派も同じだ。隣に同じように皮膚のたるんできたパパがいるのが、せめてもの救いである。

2014年2月28日金曜日

大きくなったら

 「子どもの頃、大きくなったら何になりたかったですか?」
 そんな質問を受けたのは久しぶりで、少しドギマギする。ただし考える時間はあまりなく、しかも大勢の子どもたちの前で、とっさに口から出たのはこんな答えだった。「英語の先生になりたかったけど、大学で遊びすぎて挫折しました(笑)」。

 この回答、嘘は一切ついていないが、総合すると嘘である。子どもの頃、通っていた英語教室の若い女の先生に憧れて、自分もなりたいと思っていたのは本当だ。大学で教職を断念したのも本当である。
 ただし「英語の先生」は、幼い女の子がケーキ屋さんに憧れるようなもので、大学のときは既に頭になかった。そもそも英文科じゃないし。
 というわけで、とっさに出た嘘をついてしまったが、でも嘘は言ってないし(ややこしい)、軽く笑いも取れたしで、何とか場を切り抜けてホッとした私である。後での息子からの「ママ、えいごのせんせいになりたかったの?」攻撃には閉口したけど。

 四歳になった息子の将来の夢は、ドクターイエローの運転士。大勢の前で絵まで描いて発表して、堂々たる公の夢(?)になった。
 ドクターイエロー。この「乗り物」の一般的な知名度はどのくらいなんだろう。ちなみに私は、息子の絵本で初めてその姿を見るまで全く知らなかった。正式には新幹線電気軌道総合試験車、というらしい。
 線路のゆがみや架線の状態を計測する、特殊な新幹線。「ドクター」の愛称はそのためだ。見慣れた新幹線の、ただ色だけが黄色い姿は、結構インパクトがある。本数が少なく滅多に見られないことから「幸せの黄色い新幹線」として人気があるという。
 試験用だから一般客が乗ることはできない。でも走行するからには運転士はいるだろう。通常の新幹線と同じ? いずれにせよ、要はJRまたは関連会社の社員、ということになるのだろうけど。四歳児の微笑ましい夢から、そんな生々しい現実に思いを馳せる自分もどうかと思うけど(笑)。

 男の子の夢として、乗り物の運転士は永遠の定番だ。大きなものを自分の力でコントロールする感覚に憧れるんだろうか。それともスピード? 男の子だったことのない私には、どうもピンとこない。
 滅多に見られない幸運のシンボル。しかし今の時代、その気になればダイヤを調べるのは難しくないらしい。情報交換の掲示板やツイッターもあるし、本気で狙えば高確率で見られるそうな。そうしようとは思わないけれど。
 子どもの夢は、抽象であり象徴でもあるような気がする。滅多に出会えない幸運を、自分の力で運ぶ人。なかなか素敵な夢じゃないかと、黄色いクレヨンで塗りたくられた絵を眺めながら思う。

2014年2月26日水曜日

涙をふいて

 園生活にもずいぶん慣れ、最近は預かり保育やシッターさんにお世話になることも増えた息子だが、誰に預けてもほぼ百%、返ってくる言葉がある。「おとなしくて、本当にいい子ねえ」。

 褒め言葉なのだが、私は毎回、複雑な気分になる。息子は何というか、とても「外ヅラ」のいい子どもだ。大人受けがいい。誰に似たんだろう。
 おっとりした性格。話しかけられれば、はにかんだ笑みで応える。電車では静かに座り、飲食店でも行儀よく食べる。公の場所で騒ぐことは滅多にない。「うらやましい」という声が聞こえてきそう。確かに、連れ歩くのが比較的、楽な子ではあると思う。
 電車で騒ぐ他の子に眉をひそめた女性が、息子を見て言う。「ぼく、ちゃんと座ってて偉いわねえ」。両手を膝に置き、嬉しそうにニマーッと笑う息子。

 どうすれば大人に褒められるのか、わかって行動している。「いい子ぶっている」。少なくとも親の目には、そんなふうに見えることがある。
 だとすれば、私にも覚えがある。私は、大人に嫌われるのを極度に恐れる子どもだった。よその大人の前では、嫌いな食べ物も好きなフリして食べた。いい子ね、と言われることが心の支えだった。
 そうか、私に似たのか。そんなことはしなくていい、子どもらしくいてほしいのに。「いい子ね」と言われるたび、そんな思いが胸をよぎる。

 「偉いねえ」「すごいね、よくできたね」「わあ、お兄ちゃんだねえ」。褒め言葉は息子の栄養だ。その言葉をもらうために、幼い彼は少なからず自分を抑えている。どこかで我慢をしている。ある程度は成長に必要な過程かもしれないけど、度が過ぎれば大きな心の負担になる。
 子どもの世界では「いい子」は決して歓迎されない。いい子ぶった「子どもらしくない子ども」を好まない大人も少なからずいる。友だちと大声ではしゃぎ、周囲を顧みずワガママを言う「子どもらしい子ども」のほうが、この世は生きやすいんじゃないか。そんな気がして、何だか心苦しい私である。

 お迎え時。どの子もママを見て笑顔で飛び出してくるのに、息子だけが大号泣。「安心するんでしょうね」。先生は言った。慣れない集団生活で、うまく自己主張できない場面も多いのかもしれない。
 「明るくてまっすぐで、何でも素直に取り組みます」「お友だちが落としたクレヨンを拾ってくれます」。先生の言葉から、色んな息子の姿が見えてくる。ママ友さんたちには「癒し系男子」というあだ名も頂いた。家では大声で歌って踊って走り回り、我が強くて見栄っ張り。「おとなしくていい子」なんて、そんな単純じゃないよ、とでも言いたげに。
 どんな子が出てくるんだろう、と思い巡らせた十月十日。やっと会えたのは、少し恐がりだけど好奇心旺盛で、ご飯と遊びと褒められることが大好きな、優しい男の子。さあ、涙をふいて。この先どんな君に出会えるのか、ママは楽しみで仕方ないんだから。

2014年2月24日月曜日

Keep

君はいつも君らしく君のままでいるなんて偉いね
夢はいつも夢らしく夢のままでいてはくれないね

打ち込んだ文字は一瞬でDelete
手の込んだメニューも一瞬でEat
メロウなドラマにのめり込んでCry
割り込んだコールに一瞬でHigh

変わりゆく 世界 景色 君のその姿さえも
けれど変わらない この鼓動
何と名付けたらいい?

ただ keep 君は keep 君を保ち続けて
風を keep 波を keep きしむ窓を押さえて
声を keep 腕を keep 美しいものたち
描いたのは奇跡

君はいつも君らしく君のままでいることに不安で
夢はときに夢らしく夢のままではかなく揺らいで

道は途中で消えるのがRule
みっともないまま走るのもCool
乗りこなすならとびきりのWave
どれを捨てどれを拾ってMove

変わりゆく 季節 常識 君のその名前さえも
けれど変わらない この痛み
何と名付けたらいい?

ただ keep 君は keep 君を保ち続けて
今を keep 夜を keep ただ動き続けて
闇を keep 熱を keep 感じているのなら
奇跡はそこにある

君はいつも君らしく君のままでいるなんて凄いね
夢はいつも夢らしく夢のまま君を輝かせるんだね


2014年2月20日木曜日

熱を出した日

 38度の熱が出た。自分が熱を出したのは久しぶりだ。朦朧と横になり、憑かれたようにスマホを繰る。こんな日々が前にもあったなあ、と思い出す。
 出産直後の産院。ベッドに横たわったまま、やはり憑かれたように携帯電話のキーを押していた。理由は簡単。ほかに何もできないからである。

 予定日より早い出産で、満を持して入院とはいかなかったこと、そして産院が携帯電話の持込可(マナーモード、通話は指定場所のみ)だったこともあり、バタバタと産んで赤子とともに入院室に入った私の手元には、ただ携帯電話だけがあった。
 日に何度も「あれ持ってきて、これ持ってきて」と家族にメール。足りないベビーグッズはモバイルのECサイトで注文。体を起こすのはまだ辛く、寝ているしかない退屈な時間はひたすらサイトチェック。一日中、小さな四角い画面を凝視していた。
 通信費が最大で20万円超(!)と表示されたこともある(支払いは定額のみ)。もはや立派な依存だ。ロクに動けず外へも出られない当時の私にとって、携帯電話の小さな画面はほぼ唯一の情報源であり、自分と外界とをつなぐ窓だった。多少の(?)依存も無理はないかな、という気はする。

 退院して家に戻っても、携帯電話を手放せない日は続いた。相変わらず起き上がるのは辛く、外出もできず、買い物も気晴らしも携帯電話が頼りだった。
 授乳しながらワンセグもよく観た。ワンセグは画面に文字が出るので音を消した状態でも楽しめて、寝ている赤子や家族を起こさずに済むのが利点だ。息子が生まれた年の大河ドラマが『龍馬伝』だったこと、そしてバンクーバーオリンピックの開催年であったことを、私はたぶん一生忘れない。
 真冬の深夜、乳を飲む息子を抱えて朦朧としながら、暗闇に光る小さな画面の中で跳ぶ真央ちゃんを観ていた。その華麗な姿も一生忘れないと思う。

 熱を出したからといって、寝ているわけにはいかないのがママ稼業らしい。今は授乳もないし、一人で遊んでいてくれるけど、やはり幼児では万が一を思うと、とても眠りに落ちるどころではない。このヒリヒリした感覚も出産直後の頃を思い起こさせる。
 家族が帰宅して、ようやく少しまどろむ。息子は「ママにおくすりつくってあげる!」と何やらゴソゴソ。「なんて優しい子!」と感激するところだが、私が寝ているのをいいことに髪の毛を引っ張ったり、枕元で飛び跳ねたり(……頭痛いんだってば)。体調の悪い人を気遣う、というメンタリティは、まだ未成熟らしい。ま、仕方ないか。四歳だしね。
 それでも「ママだいじょうぶ?」と頭をなでられると、じんわり幸せな気分になる。ここにいるのは喜びも辛さも我が事のように感じてゆく、立派な一人の「家族」なのだなあ、と思えて嬉しくなる。

2014年2月17日月曜日

お勉強は好きですか?

 こそだて家庭には日々、さまざまな広告が舞い込んでくる。英語教室、体操教室、水泳に音楽教室。そんな中で目にした、ある「教室」のリーフレットに、こんな宣伝文句が書いてあった。「○○(教室名)で、おべんきょうがだいすきな子どもに!」。

 勉強が嫌いよりは、そりゃ好きなほうがいい。でも「お勉強が大好きな子ども」……それってどんな子? どうにもイメージできず、しばし考え込む私。
 最近人気があるらしい、幼児向けの「知育教室」。独自の教材を使い、国語や算数を先取り学習。小学校へ上がったときの「これ知ってる!」「わかる!」という成功体験が自信になり、勉強が好きになる、と書かれている。なるほど、と思いつつ眺める私。

 私が感じた「お勉強が大好きな子ども」という言葉への違和感は、学校の勉強は基本的に与えられるもの、受け身のものだという点に起因する。
 学校における「お勉強が大好きな子ども」とは、換言すれば「人から与えられる教材を、素直に喜んで学習する子ども」。優等生ではあるだろうけど、親としてそうなってほしいかと問われると、私は答えに詰まる。友だちウケも微妙そうだし。

 ここ数年、私は放送大学の学籍(選科)を持っている。放送大学というと、あの退屈そうな(すいません)番組をイメージする方は多いと思うが、今は授業の視聴も小テストの提出も、専門書の貸出予約も論文検索も、全部ネットで済んでしまう。
 本気で学びたい人には便利だけど、一科目全15回の放送授業をこなすのは想像以上にハードだ。学びたいことがあった私は、文字通り「寸暇を惜しんで」勉強した。睡眠不足でフラフラで、それでも「知りたいことを知る」楽しさに夢中だった。
 面接授業に出れば、いろんな人に出会う。職業も年齢も見事にバラバラだ。大卒資格を目指す女性からは、子育ての苦労話を楽しく聞かせていただいた。逆に、上から目線で人を見下す嫌な人にも会った。人と出会う以上の学びはないなあ、とつくづく思う。

 「これは<あ>、これは<お>、これは<う>」。息子が何やら指差して喋っている。「ぼく、もう字がよめるよ」と言うのだが、全然合っていないどころか差しているのは字ですらない(笑)。まあ、字なんてそのうち読めるようになるし、と呑気に思う私。
 息子が勉強が特に好きじゃなくても、私は全く構わない。「嫌い」まで行ってしまうといろいろと面倒だけど(わはは)、まあ普通でいいかな、と思う。
 今の息子が感じている、新しいことを知る楽しさを、失わないでいてくれればいいと思う。できることなら、目的のために血を吐く思いで努力することの価値を、知る人間であってくれれば嬉しいと思う。

2014年2月14日金曜日

You can smile, you can cry.

この街は人が多すぎて
涙さえ気づかれることはない
I can smile I can cry

時は吹きすさぶ風のよう
笑顔は一瞬で遠ざかる
you can smile you can cry

人込みの中で私はただ涙を流す
誰かがふと目を止め目をそらして
すべてを過去へと押し流す
ありがとう I can smile.

あなたの愛した私はいない
私の愛したあなたもいない
I can smile I can cry

確かなものが探せないのなら
刹那を愛してゆくのだろう
you can smile you can cry

とどめられない とどまらなくていい
心から笑えるその日まで
喧噪の海に浮かぶ光が
ただ滲んで歪むのを見てた

人込みの中で私はただ涙を流す
私のようなあなた あなたのような私
小さな居場所をそっと守ってくれて
ありがとう I can cry.


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