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2014年1月14日火曜日

理想と標準

 「理想の奥さんになれなかった」と言って離婚したタレントさんがいたが、私の知人にもこんな人がいた。彼女のダンナさんは市販の「ごま豆腐」が大好物で、彼女もよく買ってきては食卓に出していたが、あるとき彼女は私にこう呟いた。「買ったものを出すだけなんて、手抜きじゃないのかなあ……」。

 私は一瞬、本気で意味がわからなかった。ダンナさんの好物を買ってきて食卓に出す。妻の愛情でこそあれ、そのどこが「手抜き」なのか。
 しかし気持ちは分かる、という奥樣も多いのだろう。これは「市販品は手抜きか否か」という話ではない。なぜ彼女は、誰に指摘されたわけでもないのに(ダンナさんは喜んで食べている)、自分で自分を「手抜き」だと責めているのか、という話である。

 彼女を責めているのは言うまでもなく、彼女がこれまでの人生で築き上げた「理想の妻像」であろう。理想に縛られている人は、理想に支えられてもいる。だから理想を手放せない。心の拠り所になっているから、そこから外れると不安に苛まれてしまう。
 とはいえ友人の間で「家事をしない妻」として知られる私に偉そうなことは言えない。むしろお前は理想を持ちやがれ、と思われているかもしれない。
 いや子どもが生まれてからは頑張ってますよ。何せ世話しないと死んじゃうしケーサツにも捕まるし、あんまりグータラ母ちゃんじゃ子どもが可哀想だし。いや子どもってスゴイ。オチはそこかい(笑)。

 かように厄介な「理想」だが、出産後に私が苦しめられたのは「標準」だった。予定より数週間早く生まれた息子は、身長も体重も標準以下どころか、成長曲線下限のさらに下を這い回っていた。
 有り難くも健康に生まれたというのに、「標準」が不安だらけの新米母に襲いかかる。一向に体重が増えず、助産師さんと繰り返した合い言葉は「目指せ3キロ」。「標準」なら最初から3キロ超えてるのに、と思うと不憫だった。棒のような足を見て、プクプクした赤ちゃんと比べずにはいられなかった。
 首座りもお座りもハイハイも、運動発達はすべて「標準」の数ヶ月遅れ。「標準」ではもう立ってる月齢なのに、まだ立たない、まだ歩かない。乳児期はとにかく「標準」に振り回されっぱなしだった。

 歩けるようになり、ひと通りの運動発達が終わると、ウソのように楽になった。「標準」は相変わらず存在するのに。一旦その鎖から抜け出すと、苦しんでいた自分が滑稽にみえる。ヘンな話だ。
 だけど、懲りずにまた苦しむ日がきっとくる。意識せずにいられたらラクだけど、背伸びせず、人と比べず生きたいけれど、そんな人生を、たぶん真には望んでいないのだと思う。私も、息子にも。

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