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2014年1月28日火曜日

自分より大事!?

 「自分より大切な存在ができました」……。子どもが生まれた芸能人らのこんなコメントを、私はずっと「うっそお」と訝しんでいた。いや「ウソ」は言いすぎでも、まあ飾られた表向きの言葉だろうと。

 だって、そうではないか。人間である以上、自分の体で感じることができるのは、自分の体が受けた苦痛だけである。「自分がいちばん大切」なのは自分勝手でも利己主義でもなく、人として至極当然だ。
 だから「我が子は自分よりも大事」というのも、まあ、親としての喜びや愛情を表現する比喩のようなものだと思っていたのだ。「ああ、そういうことか!」と腑に落ちたのは、自分が子を持ってからである。どうやら単なるキレイ事ではないらしい、と。

 母親が誰より子の状態を感じ取っているように見えるのは、ひとえに経験の成せる技である。誰だって母子ほどの濃い密度で他人と接していれば、気持ちを察するくらいはできるようになるに違いない。
 何より母と子は、元は一体だったのだ。出産で二つ身に分かれて以降も、しばらくは添い寝や授乳で密着状態が続く。自分が寒ければ子が寒くないかと気を揉み、自分がどんなに眠くても子が泣けば跳ね起きる。まるで身も心も連動しているかのように。

 加えて、母としての使命感がのしかかる。死なせてはいけない。まだこの世に適応していない、捕食も移動も自力ではできない命を、この世で生きていけるまでにしなければならない。まるで野生動物の母のような本能を、確かに体のどこかで感じる。
 自分はいいのだ。自分はもう、この世に適応している。出産可能な程度には若く健康で体力もある。少しくらい寝なくても、命に別状はない。しかし新生児の泣き声には命がかかっている。
 新生児は生きるために泣く。自分と見紛うほどに近しい我が子が、命の限り泣いている。ほとんどの母親は、自分の睡眠より子の世話を優先するだろう。「自分(の満足)より子ども(の満足)が大切」だと思うだろう。それは「自分がいちばん大切」なのと同じくらい、人として至極当然なのだろうと思う。

 成長しても、何かと「自分はいいけど子どもは……」という場面に遭遇する。自分の食事はテキトーでも、子にはきちんと食べさせねばならない。子が健康で快適に過ごせていると思えて初めて、自分に目を向ける余裕ができる。
 「自分より大切」とはそういうことで、親になるとはきっとそういうことで、それは母の愛とか母性だけでなく意地とか見栄とか世間体とか、色々なものが混じった複雑な、人間らしい感情で、本当に子どもというのはいろんな感情を教えてくれるなあと、つくづく幸せな気持ちになる。

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