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2014年3月12日水曜日

10秒間の沈黙

 傍に立っていた電信柱をとっさに見上げたのを、よく覚えている。万が一、倒れてくるとすればコレだ。私はベビーカーに覆い被さって、揺れに体を取られないように足を踏ん張りながら、青い空にそびえ立つグレーの細長い円柱を睨みつけていた。
 脳裏にあったのは、数ヶ月前に起きたニュージーランドの地震だった。テレビで繰り返し流れた、崩れ落ちたビルの残骸。周囲を見る限り、いつもの見慣れた景色だ。なら大丈夫。地震なら慣れている。

 そのとき私はベビーカーに一歳の息子を乗せて、近所のスーパーの前で信号待ちをしていた。急激な揺れに、スーパーの窓ガラスがビシビシッと軋む。従業員らしき男性が出てきて「これは大きいなあ」と言うのが聞こえた。人の気配に、妙に安堵する私。
 揺れは間もなく収まり、信号は何事もなかったように青に変わった。自動ドアを抜けて店に入ると、強烈な酒の匂いがした。入口の横にあるお酒コーナーの酒瓶が、すべて割れて床に散乱していた。

 店内はとてもマトモに買い物ができる状態ではなく、私と息子は早々に店を出た。まもなく店は臨時休業したと後で聞いた。
 ベビーカーを押して歩きだした私の携帯に、相方から着信が入る。「危ないから家には帰らない方がいい」と言われ、仕方がないのでスーパーの裏手にある小さな公園へ向かう。公園には先客がいた。金髪の外国人女性と、その息子さんらしき男の子。
 息子より少し年上だろうか。元気に走り回っている。女性は流暢な日本語を話したが、親子の会話は英語ではない。尋ねると、ロシア語だという。言われてみると「スパシーバ(ありがとう)」という言葉が聞き取れた。まあ、それしか知らないのだけど。
 ご主人はまた別の国の方だという。そんな一家が縁あって暮らす日本で、こんな体験をするとは思わなかったに違いない。あの日以来、親子には会っていない。日本を離れてしまったのかもしれない。

 家の中は物が散乱していたが、幸い家電や窓の破損はなかった。夜になると大家さんが、自動停止していたガスを開けてくれた。相方も勤め先から延々、歩いて帰ってきた。二人ともくたびれ果てていたが、事の真の重大さを知るのは、まだ何日も先のことだ。
 三年後の午後2時46分、私は周囲にいた人たちとともに黙祷した。たった10秒間の沈黙で、いろんなことを考えた。私たちが今こうしているのは、防災の備えがあったからでも、日頃の心がけのおかげでもない、ただの偶然でしかない。
 偶然という名の奇跡を積み重ねて、私たちは生きている。一秒後に無事な保証はどこにもない。命を粗末にしたり、誰かを傷つけたり、自分で自分を傷つけている暇はない。精一杯生きなければ。そんな思いをかみしめながら目を閉じる。

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