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2014年3月31日月曜日

記憶の写真

 小学五年生のとき、クラスに地元テレビ局の撮影クルーがやってきた。ローカル番組などで見かける「今日は○○小学校何年何組のみんなです!」「わー!」みたいなアレである。
 父の日が近かったため、テーマは「お父さんを偉いと思うのはどんなとき?」。みんな元気に答えるのだが、なぜか手を挙げるのは男子ばかり。するとマイクを向けていたディレクターの男性が言った。「このままじゃ、このクラスは男の子しかいないと思われちゃうよ。テレビってそういうものなんだ」。
 仕方なく女子も手を挙げ、私も知恵を絞って答えた。「給料袋を持って帰るときです」。放映を観た母は困惑して言った。「ウチ銀行振込だけど……」。

 このときの映像は残っているんだろうか。残っていないと信じたい(祈)。当時でさえ死ぬほど恥ずかしかったのだ。ディレクター氏には悪いが、再び観たいとは思わない。記憶にあるだけで十分である。
 息子の人生初の映像は、生後二ヶ月、アーウーと声を発し始めた頃のもの。最近は出産もビデオ撮影、どころか胎内にいるときの3D動画(?)まで残したりするから、些かのんびりし過ぎかもしれない。
 だいたい私は面倒くさがりというか根気がないというか、「成長の記録を残すこと」に相当な精力を傾けておられる親御さんも多いことを思えば情けない。遠方の祖父母が欲しがるから、という動機がなければ、写真も動画も、もっと少なかっただろう。
 我が家は二人揃って写真が苦手というか、「写真を撮るという行為」が苦手なのだ。おそらく分かってくださる方も、いらっしゃるのではないかと思う。

 学生時代、一緒に旅行した友人は、どこへ行っても「自分を入れた」写真を撮りまくった。「どうしてそんなに撮るの?」と尋ねたら、「だって忘れちゃうじゃない。自分がちゃんとそこに行ったっていう記録だよ」と言われた。なるほど、と少し思った。
 かつて新婚旅行でパラオに行った。その場の空気を存分に呼吸して、心から楽しみたいと思う瞬間に、カメラを取り出す行為が無粋に思えてしまうときがある。結果、残った写真は多くはない。
 今の私は、少し後悔している。どんな記憶も、いつか薄れてしまうのだ。強迫観念のように写真を残し続けた友人の思いも、少しわかる気がした。写真が紐解く記憶。写真に預託される記憶。

 今は、なるべく写真を残すようにしている。人はそんなに多く記憶できない。「代わりによろしくね」とばかりにカシャリ。つい忘れることも多いけど。
 生後間もない頃、息子の「とある写真」をとても撮りたかったのだが、相方に「それだけは頼むから勘弁してやってくれ」と猛烈な勢いで阻止されて諦めた。まあ、これも「記憶にあるだけで十分」な部類かも。ちっちゃくて可愛かったんだけどなあ……。

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