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2014年4月25日金曜日

ピ〜〜ス!!

 園での子どもたちの様子を写したフォトスナップ。みんな元気にピースサインを決めている。「どこで覚えたのか知らないけどねー」。お友だちのママさんはそう言ったが、息子の場合「どこで覚えたか」は、明確に判明している。
 イトコのお姉ちゃん。ぴっちぴちの女子高生だ。息子に向かって「キャー!! カワイイ!!」を連発し、ピースサインを取らせて自分のスマホで撮影しまくっていた。言われるままに指の形を作り、ニンマリ笑顔で照れくさそうに写真に納まる息子。
 よかったね、女子高生にちやほやされて。これが人生のハイライトじゃないといいけど(遠い目)。

 おそらくこのときに、写真=ピース、と彼の中にインプットされたに違いない。園では他のお友だちも、同じようにピースをしている。カメラを向けられたら、みんなで一斉にピース! 誰もが心底、楽しそうな笑顔。楽しい瞬間。
 20代の頃から、幼稚園等で歌われる「子どもの歌」を作ってきたけど、自分が子を持って、改めて思ったことがある。子どもたちにとって、園とはどういう場所なのか。いろいろ答えはあるけれど、何よりも「お友だち」のいる場所なのだ。

 何の根拠も必然性もない、たまたま「同じクラスになっただけ」の人間関係。その「かけがえのなさ」を、息子も味わいはじめている。
 楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、不満なこと。暑さ寒さ、暗さ明るさ、天候や季節の変遷。
 みんなで食べるお弁当、ママの迎えが遅い心細さ。遠足で見た大きな海。バスで舐めた飴の幸せな甘さ。
 感じるときは、一人じゃない。いつもそばに「お友だち」がいる。心情を共にして、記憶を共にして、人と共に在ることの素晴らしさを感じてほしいと願う、人付き合いのあまり上手ではない母である。

 お友だちと変顔ポーズ、照れた表情で女の子とツーショット。園からもらったスナップには、母の知らない息子がいて、お友だちと過ごす幸せそうな息子がいて、安心する反面、少し寂しい気分になる。
 母の腕の中が世界のすべてだったのに、今や母の知らない人が息子を知っていて、いや、むしろ息子のおかげで母の世界が広がって、自分には絶対に無理だと思っていた園ママ生活もまあ、ぼちぼちこなし、気づけば想像もしなかった未来に立っている。

 まだ住人のいない室内を、ひたすら写真に撮る私。構図を決めてモニターを見ると、息子がピースで映り込んでいる。そういう写真じゃないから。ほら邪魔だから。そう言っても、息子はやめようとしない。
 ケタケタ笑いながら、気づけば映り込む小さな影。一体、どんな思い出になるのやら。心身共にハードな毎日に根を上げつつ、必死で未来を探す春である。

2014年4月15日火曜日

小さな女の子は誰?

 私の両親の家には以前から、子どもたち(私と兄弟)の写真が何枚も飾られていた。それ自体は不自然ではない、むしろよくある光景なのだが、あるとき、私は不思議なことに気づいた。
 写真の中の私たちが、帰省するたびに若くなっていくのである。社会人になってからの家族旅行、大学の卒業式、成人式。高校生、小学生、幼稚園。まだ若い母に抱かれた、首も座らない頃の写真。

 現実の私たちは、すでに若いとはいえない年齢にさしかかっているのに。どうしてなんだろう。見るたびに、何ともいえない気持ちになる。
 父母は私が結婚してからも、実家に雛人形を飾っていた。双方の家にとって初孫だった私は、立派な段飾りの雛人形を持っている。毎年、箱から出して陰干しをし、壊れたパーツを手で直して、しかも飾った後は写真に撮ってメールで送ってくるのだ。
 私は正直、困惑した。親にしてみれば「飾らないと痛むし」くらいの気持ちだったのかもしれないが、どうにも反応に困るのだ。「あ、そう」とか「よくやるねえ」くらいしか言いようがない。
 冷たいと思われるかもしれないが、例えば男性の方にはぜひ、いい年齢になったのに毎年、庭に自分のために大きな鯉のぼりを立てる親御さんの姿を想像いただければと思う。……反応に困るでしょう?

 数年前のある朝、祖母から突然、電話がかかってきた。夢を見たという。祖母には少し変わったところがあって、私が小学生のときにも「○○ちゃん(私)が誘拐される夢を見た」と電話してきたことがある。そのとき私は、ランドセルを背負って家を出るところだった。もちろん誘拐はされなかった。
 「(夢の中で)小さな女の子が泣いていた」。祖母は言った。だから心配して、電話したのだという。「私が知ってる女の子は、あんたしかおらんから」。
 そのとき私はすでに、小さな女の子どころか「おばちゃん」でもおかしくない年齢だった。なんだかひどく申し訳ない気持ちになったのを覚えている。

 「子ども」であり「娘」「孫」であることに、私は少し、疲れていたのだと思う。現実とのギャップに、若干ストレスを感じていたのだとも思う。
 昔とは違い、結婚しても「娘」であることには、あまり変わりがない。とにかくガラリと劇的に変わるのは、娘が「母」になってからである。

 実家は現在、孫である息子の写真で埋め尽くされている。ここ数年、雛人形の写真は送られてこない。祖母は毎日、枕元に置いた曾孫の写真に話しかけ、デイサービスの職員さんに「可愛い曾孫さんですねえ」と言ってもらっては喜んでいるという。
 祖母はもう「小さな女の子」の夢は、きっと見ないだろう。それでいい、と心から思う。

2014年4月11日金曜日

答えはいらない

 のれんに腕押し、ぬかに釘。私と息子の会話は、時々そんな調子になる。のらりくらり。身をかわすというより、受け止めていなす、という感じだ。
 ある日の会話。「ジャムおじさんは男の子で、バタコさんは女の子?」「まあ、そうかな」「じゃあ、ジャムおじさんがパパで、バタコさんはママだね!」
 ……そうなんだろうか。ジャムおじさんはアンパンマンの生みの親だから「パパ」はわかるとしても、バタコさんは「ママ」なのか? ……違う気がする。

 そこで「いや違うから」とか「そんなわけないじゃん」と冷たく言い放って終了、でもいいんだけど(そういういときもあるけど)、「そうなのかなあ」とか「まあ、そうかもねえ」とか、どうにでもとれそうな言葉を吐くことが、私は多い。
 否定するとしても「うーん、違う気がするよママは」なんて、ソフトな表現になる。息子は「ふーん、そう?」とか「でも、やっぱり○○なんじゃない?」なんてブツブツ言っている。
 「それは○○だよ」と教え諭す場面もなくはないけど、気ままに会話のゆる〜いキャッチボールに身を委ねる春の午後。親が教えられることなんて多くはない。まあ自分で考えなよ、なんて思いながら。

 息子を見ていて、怖いな、と思うことが度々ある。経験の絶対量が少ないから、まだ自分の価値観と呼べるものを持っていない。親の言葉、親の価値観を、流れ落ちる水を受け止めるがごとく、まっすぐに吸収してしまう。それはもう怖いほど素直に。
 「ほら、綺麗な桜だね」と親に言われて初めて、桜は綺麗なものだとインプットする。次に桜を見たら、大喜びで「桜、きれいだね」と親に話しかける。こうした経験の積み重ねから「綺麗」とはどういう言葉なのかを学んでいく。マイナスイメージの言葉も同様だ。「これ、気持ち悪いね」と言えば、息子は「気持ち悪いもの」とインプットしていくだろう。
 親の言う悪口から、子どもは悪口の言い方を学ぶだろう。親が差別的な言動をすれば、差別的な価値観を吸収するに違いない。そう考えると本当に怖い。

 最近、お気に入りのMV。曲の最後、それまで一緒に踊っていたダンサーたちをスタジオに残し、歌い手だけがドアを開けてスタジオを後にする。息子が不思議そうに言う。「おともだち(ダンサーたち)がいるのに、どうして一人で帰っちゃうの?」。
 知らんがな(困)。そういう演出だから、とか、それがカッコいいと監督さんが判断したから、あたりがオトナ的な答えなのだが四歳児には通じない。
 「お友だちと遊ぶの疲れたから、一人になりたかったんだよ」「このあと用事があったんじゃない?」……その場しのぎで何とか答えてきたのだが、そろそろネタも尽きてきた。なんかないですかねえ。いやあ、幼児との会話は奥が深い……。

2014年4月8日火曜日

sora ~another term~

大きくなったら 空を飛べると
君はずっと信じてる
青く煌めく情熱

苦しい日々は明日への糧
だから何も怖くはない
傷口にすら芽吹く花

輝く太陽が君を縛る
常識の編み目を引きちぎれ

sora sora
約束は要らない
ふと佇んだ君の前で
風が何もかも奪うだろう
sora sora
孤独を食む強さ
一人で泣けるだけの勇気
誰かを愛せるだけの弱さ


2014年4月2日水曜日

オトコの宿命

 息子を自転車に乗せ、区の一時保育施設へ。「アレルギーは」「生活リズムは」「好きな遊びは」。そんな書類も、慣れてくるとパッと書けるようになる。ただし今日は登録だけ。預けるのはまだ先だ。
 区の制度は利用に至るまでの手順が複雑で、心理的なハードルも高い。ただ「そうもいってられない」場面もあるわけで(切実)、明るく広々とした保育室を見渡しながら「さすが区……」と嘆息する私。

 懸案は、外ヅラはいいが人見知りの強い最近の息子である。春休みのせいか甘えん坊モードで、何気ない場面で突然「ママ〜!!」と泣き出すこともある。初めての場所で、ちゃんと待っていられるだろうか。登録書類を書きながら、一抹の不安がよぎる。
 「こんにちは」。若い保育士の女性に挨拶されて、返事もせずに恥ずかしそうに下を向く息子。最近はいつもこんな調子で困ってしまう。
 当日の持ち物や注意事項等の説明を聞いた後、息子に一応、確認を取る。「ここでママが帰ってくるまで待てる?」。息子は少し考えるフリをしてから言った。「……それはちょっと難しいかな」。
 日々、小生意気な口調を身につけてゆく四歳児。ああ面倒くさい(本音)。何とか承諾の言質を取ろうと母も必死だ。「あ、持ち物に『おやつ』があるよ。ここでおやつ食べて、お姉さんと遊んだら?」。

 「おやつ?」。息子の目の色が変わったのを、さすがに保育士さんは見逃さなかった。「一緒におやつ食べて遊ぼっか。何が好き?」「……トーマス」「わかった。待ってるからね」「……うん」。
 その場ではおとなしかった息子。しかし「若くて」「優しそうな」保育士の「お姉さん」にこう言われて、すっかりメロメロになってしまったらしく。
 家に帰ってからもう、うるさいのなんの。「ぼくこんど、お姉さんとおやつ食べるの?」「お姉さんと、預かりの部屋でいっしょに遊ぶの?」「それって、あした?」……えーい明日じゃないっ(呆)。
 ついには「お姉さんに、てがみかく」と何やら書きはじめる。「これは、お姉さんと、ぼくの顔なの。あ、リンゴもかこうっと」……好きにして。「おてがみ、かばんに入れといて」……へいへい。男の子ってみんな、こうなんでしょうか。DNAに組み込まれているんでしょうか。「若い」「お姉さん」に弱い遺伝子が。母にはもうわかりませぬ(よよ)。

 時おりお世話になるシッターさんは、子育てを終えた年齢の方で、上品で優しく息子も懐いているのだが、彼女に「手紙を書く」などと言い出したことは一度もない。同世代の女の子にも、反応は普通だ。
 ところが「若い」「お姉さん」(だいたいハタチ前後くらい)になると、明らかに態度が変わるのだ。緩んだ表情、ニヤケた目元。ほんのり染まる頬。
 色気と食い気を満たす、一時保育は男児のパラダイス!? 簡単に籠絡される息子の将来が心配……。

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