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2014年4月11日金曜日

答えはいらない

 のれんに腕押し、ぬかに釘。私と息子の会話は、時々そんな調子になる。のらりくらり。身をかわすというより、受け止めていなす、という感じだ。
 ある日の会話。「ジャムおじさんは男の子で、バタコさんは女の子?」「まあ、そうかな」「じゃあ、ジャムおじさんがパパで、バタコさんはママだね!」
 ……そうなんだろうか。ジャムおじさんはアンパンマンの生みの親だから「パパ」はわかるとしても、バタコさんは「ママ」なのか? ……違う気がする。

 そこで「いや違うから」とか「そんなわけないじゃん」と冷たく言い放って終了、でもいいんだけど(そういういときもあるけど)、「そうなのかなあ」とか「まあ、そうかもねえ」とか、どうにでもとれそうな言葉を吐くことが、私は多い。
 否定するとしても「うーん、違う気がするよママは」なんて、ソフトな表現になる。息子は「ふーん、そう?」とか「でも、やっぱり○○なんじゃない?」なんてブツブツ言っている。
 「それは○○だよ」と教え諭す場面もなくはないけど、気ままに会話のゆる〜いキャッチボールに身を委ねる春の午後。親が教えられることなんて多くはない。まあ自分で考えなよ、なんて思いながら。

 息子を見ていて、怖いな、と思うことが度々ある。経験の絶対量が少ないから、まだ自分の価値観と呼べるものを持っていない。親の言葉、親の価値観を、流れ落ちる水を受け止めるがごとく、まっすぐに吸収してしまう。それはもう怖いほど素直に。
 「ほら、綺麗な桜だね」と親に言われて初めて、桜は綺麗なものだとインプットする。次に桜を見たら、大喜びで「桜、きれいだね」と親に話しかける。こうした経験の積み重ねから「綺麗」とはどういう言葉なのかを学んでいく。マイナスイメージの言葉も同様だ。「これ、気持ち悪いね」と言えば、息子は「気持ち悪いもの」とインプットしていくだろう。
 親の言う悪口から、子どもは悪口の言い方を学ぶだろう。親が差別的な言動をすれば、差別的な価値観を吸収するに違いない。そう考えると本当に怖い。

 最近、お気に入りのMV。曲の最後、それまで一緒に踊っていたダンサーたちをスタジオに残し、歌い手だけがドアを開けてスタジオを後にする。息子が不思議そうに言う。「おともだち(ダンサーたち)がいるのに、どうして一人で帰っちゃうの?」。
 知らんがな(困)。そういう演出だから、とか、それがカッコいいと監督さんが判断したから、あたりがオトナ的な答えなのだが四歳児には通じない。
 「お友だちと遊ぶの疲れたから、一人になりたかったんだよ」「このあと用事があったんじゃない?」……その場しのぎで何とか答えてきたのだが、そろそろネタも尽きてきた。なんかないですかねえ。いやあ、幼児との会話は奥が深い……。

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