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2014年4月15日火曜日

小さな女の子は誰?

 私の両親の家には以前から、子どもたち(私と兄弟)の写真が何枚も飾られていた。それ自体は不自然ではない、むしろよくある光景なのだが、あるとき、私は不思議なことに気づいた。
 写真の中の私たちが、帰省するたびに若くなっていくのである。社会人になってからの家族旅行、大学の卒業式、成人式。高校生、小学生、幼稚園。まだ若い母に抱かれた、首も座らない頃の写真。

 現実の私たちは、すでに若いとはいえない年齢にさしかかっているのに。どうしてなんだろう。見るたびに、何ともいえない気持ちになる。
 父母は私が結婚してからも、実家に雛人形を飾っていた。双方の家にとって初孫だった私は、立派な段飾りの雛人形を持っている。毎年、箱から出して陰干しをし、壊れたパーツを手で直して、しかも飾った後は写真に撮ってメールで送ってくるのだ。
 私は正直、困惑した。親にしてみれば「飾らないと痛むし」くらいの気持ちだったのかもしれないが、どうにも反応に困るのだ。「あ、そう」とか「よくやるねえ」くらいしか言いようがない。
 冷たいと思われるかもしれないが、例えば男性の方にはぜひ、いい年齢になったのに毎年、庭に自分のために大きな鯉のぼりを立てる親御さんの姿を想像いただければと思う。……反応に困るでしょう?

 数年前のある朝、祖母から突然、電話がかかってきた。夢を見たという。祖母には少し変わったところがあって、私が小学生のときにも「○○ちゃん(私)が誘拐される夢を見た」と電話してきたことがある。そのとき私は、ランドセルを背負って家を出るところだった。もちろん誘拐はされなかった。
 「(夢の中で)小さな女の子が泣いていた」。祖母は言った。だから心配して、電話したのだという。「私が知ってる女の子は、あんたしかおらんから」。
 そのとき私はすでに、小さな女の子どころか「おばちゃん」でもおかしくない年齢だった。なんだかひどく申し訳ない気持ちになったのを覚えている。

 「子ども」であり「娘」「孫」であることに、私は少し、疲れていたのだと思う。現実とのギャップに、若干ストレスを感じていたのだとも思う。
 昔とは違い、結婚しても「娘」であることには、あまり変わりがない。とにかくガラリと劇的に変わるのは、娘が「母」になってからである。

 実家は現在、孫である息子の写真で埋め尽くされている。ここ数年、雛人形の写真は送られてこない。祖母は毎日、枕元に置いた曾孫の写真に話しかけ、デイサービスの職員さんに「可愛い曾孫さんですねえ」と言ってもらっては喜んでいるという。
 祖母はもう「小さな女の子」の夢は、きっと見ないだろう。それでいい、と心から思う。

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