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2014年5月23日金曜日

愛はいつまで

 母というのは、いつまで子に愛してもらえるのだろう。そんなことを漠然と考えてみる。
 ここでの愛とは、幼子特有の、母への盲目的な愛だ。ベッタリと甘えてくる我が子の重みは、母が味わえる無上の幸せのひとつ。ここまで愛され必要とされる体験は、他ではそうできるものではない。

 子が母を愛し求めるのは、ぶっちゃけ生きるために必要だから。そうしないと死んでしまうから。発達心理学などではそう説明される。
 虐待を受けた子すら、加害者である母を庇うという。母は子にとって、なくてはならない精神的な砦だ。母を否定すれば、自分をも否定しなくてはならなくなる。自分を否定しては、人は生きていけない。
 となると、子が母を愛するにあたって、母個人の人格はあまり関係がない。もしかすると生みの親である必要すらないのかもしれない。自分にとって唯一無二の、この世界への道先案内人であり命綱である「母」を、子は必死で求め、しがみつく。
 幼子にとって、母に否定されることは、世界の終わりにも等しい壮絶な恐怖だ。全身全霊で、文字通り命をかけて、子は母を愛している(はず)。ただ、表出の仕方は子の性格によっても違うだろうけど。クールなタイプの子もいるしね。

 母も当然、子を愛している。出産直後は「何かホルモンが出てる」くらいの勢いでメロメロになり、その勢いを頼りにハードな初期育児を乗り切るわけだが、まるで恋愛初期のような愛情は時とともに落ち着いて、穏やかなものへと変わっていく。
 代わりに顔をもたげるのが、親としての責任感だ。まっとうに育てなければ、きちんと躾けなければ。危ないことをしないように、怪我や病気をしないように、人様に迷惑をかけないように……。

 子に愛されることに、母はいつしか慣れてしまう。何を言おうがどう振る舞おうが、子の愛は揺るがない。だからこそ、ときに厳しく叱ることもできる。
 しかし母も人間だ。常に「必要なだけ叱る」なんて芸当はできないし、感情をぶつけてしまうこともある。愛されることに慣れきって、大事なものを見失う母も中にはいるだろう。子は戸惑い、翻弄され、それでも彼らは、愛することしかできない。

 「ぼく、ママのこと、だいきらい」。大きな目に不満を宿し、「納得いかない」と言いたげな表情でこちらを睨み据えながら、使い慣れない強い言葉を必死で舌に乗せる息子。
 「ママ、わらってる?」とは言っても「ママ、怒ってる?」とは決して言わなかった(肯定されては世界が終わってしまう、恐ろしい質問だ)息子の、これも成長なのかもしれないと思いながら、いつか来る「愛を失う日」に怯える母である。

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