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2014年6月6日金曜日

街を歩けば

 名前を聞けば誰もが「まあ、オシャレねえ」と言いたくなるような街で、小学校の運動会に遭遇した。
 雑誌やテレビでおなじみの、素敵なショップやカフェが立ち並ぶ表通り。その一歩裏へと入るだけで、あまりにも「普通の暮らし」が存在していることに、迂闊にも驚いてしまう、そんな休日。

 どんな街にも普通の住民がいて、普通に当たり前の暮らしがある。理屈では分かっているのに、先入観とは恐ろしい。そこは区立小学校で、体操着姿で駆け回る子どもたちも、校内にレジャーシートを敷いて弁当を食べる保護者の方々もその服装も、この国のどこにでもいる普通の家族と何ら変わりはない。
 かろうじて、電柱に記された地名表示の華やかさが、ここが憧れの街であることを思い出させてくれる。坪単価の猛烈に高いエリアで普通に暮らす人々。先祖代々の地元の方? まあ、高額納税者が何のてらいもなく「しま○ら」を着るのがこの国だけど。
 隣には、やはり区立の保育園。鬱蒼とした緑に包まれた広い敷地に、思わずため息。緑の多さは、都会地ではむしろ贅沢さの基準になる。
 周囲には築三十年は超えていそうな、年季の入ったマンションが目につく。どれも外壁は美しく塗り直され、ヴィンテージな雰囲気を醸し出している。おそらく古くても価格は高いだろう。

 以前、アメリカ出身の方に聞いた話。「金持ちと庶民が隣同士で、お祭りがあれば一緒にはしゃぐ。それが日本のいいところだと思う。アメリカでは金持ちと庶民の居住地はキッパリ分かれる」。イギリスでも、どのストリートに住んでいるかで、経済的に属する層が明確に区分されると聞いたことがある。
 日本にも高級住宅地はあるけど、確かにそこまで厳密ではないかも。むしろ、普通の住宅地に突然、想像を絶する豪邸が出現したりする。地主さん? いろいろ無責任に想像しながらの街歩きは楽しい。
 先祖代々の土地だから。たまたま昔から住んでいたから。いろんな理由で、人はそこに住まう。変わるのは街であって人ではないのだな、なんて思う。

 子育てを終えた両親が、老後の快適さを考えてマンション購入を検討したとき、富山に住む祖母が言ったという。「そんな箱買うて、どうすんがけ?」。
 さすが、県民一人当たりの畳数が日本一多い土地柄である。祖母の家は決して豪邸ではないが広大だ。廊下でキャッチボールができる(←本当)。息子がドタバタ走り回っても、近所迷惑を気にする必要はない。代わりにコンビニへ行くにも車が必要だけど。
 ここで生まれ育った祖母は、それでも何の不便も感じていない。その娘である母は、この雪深い土地を離れて遠方へ嫁いだ。そのまた娘である私は、さらに首都へ出た。そこで、首都であろうがなかろうが「東京が地元であり故郷」という人たちと交わり、街というものについてしみじみ考えている。
 息子は東京生まれだが、どこで育つかはまだ未定だ。好きな場所で好きなように生きてくれればいい、と思う。自分もそうだったように。

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