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2014年8月2日土曜日

苦痛の基準

 妊娠がわかったのは、二〇〇九年の六月だった。この年の七、八月、私は悪阻(つわり)でぶっ倒れていた記憶しかない。

 朝、「行ってきます」と家を出た相方は、帰宅後には朝と同じ姿勢のまま「ぶっ倒れて」いる妻の姿を毎日、見る羽目になった。
 全身の血管を、血の代わりにキモチ悪い何かがドロドロと駆け巡っている、そんな感覚。口を開けば「うげえ……」という呻き声しか出てこない。
 外出もできず、ロクにモノも食べられず、一人きりで部屋の中、身動きできず呻いていた夏。海も山も花火も夏祭りも、遠い世界の出来事だった。大好きな夏が、この年だけモノクロームのようだった。

 しかし「つわりは大変でしたか?」と訊かれたら、私は「いいえ」と答えなくてはならない。何故か。端的に言えば「もっと大変な人がいる」からである。
 ケトン値が高かったわけでも入院したわけでもない。世の中にはハードなつわりに苦しみながら、フルタイムで働いたり上の子の育児に追われる妊婦さんも少なくない。ノンキに「ぶっ倒れて」いられるのは、ある意味で恵まれているとも言えるのだ。
 ある育児漫画で、つわりで入院した作者が「私なんて軽い方」と書いていて驚いたことがある。終日吐きまくって長期入院して絶対安静、くらいまで行かないと「つわりが大変」などと軽々しく口にできない空気がニンプ界にはあるらしい。ああ恐ろしい。

 別の育児漫画で、出産が五時間ほどだった作者が「安産ですね」と言われるのが複雑、と告白していた。彼女曰く「短くても、痛いものは痛い」。安産ですね、という言葉に「楽なお産でしたね」という響きを感じるらしい。なるほど、と考え込む私。
 私は出産まで二十時間以上かかった。出血多量で貧血がひどく、血圧が急降下するという恐ろしい体験もした。それでも産後は回復し、子どもも元気に生まれた。ありがたき「安産」であった。
 安産か否か、というのは結果論でしかない。母は誰しも命をかけて出産に臨む。楽なお産など、ひとつもない。そういう理解でいいのだと思う。

 以前、アメリカの若きセレブ女性が軽犯罪で刑務所に入った折、パニック発作を起こしたというニュースがあった。著名人の彼女は特別扱いで部屋も広かったから、むしろ同情よりバッシングが起こった。
 しかし贅沢に育った彼女にはその部屋は狭く、発作を起こすほどの恐怖だったのだ。もし、大自然を住処として育った人間がどこかに閉じ込められたら、それが東京ドームだとしてもパニックになるだろう。
 苦痛は個人的な感情で、その基準は個人の中にしかない。つわりはやっぱり辛かったなあと、あのときと同じ部屋で迎える新たな夏に思う私である。

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