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2014年9月21日日曜日

欲しかったもの

 私は何が欲しかったのだろう。「そんな箱買うて、どうすんがけ?」と、富山に住む祖母は言った。少なくとも「箱」が欲しかったわけではない、と思う。
 休日の芝公園は人も少なで、こんな都心を歩くのは久しぶりだなあ、と思いながらビル群を見上げる。隙間から覗く青い空。幅広の歩道を嬉しそうに駈けながら、「こうえんいくの?」と尋ねる息子。

 いや芝公園というのは地名でいわゆるオフィス街のひとつで、確かに公園もあるけど今日はそこへ行くわけじゃなくて近くの会社に大事なご用事があって、とブツブツ理屈を頭に浮かべながらも、口では「違うから。」とだけ面倒そうに言い捨てる私。
 スーツ姿の相方の後ろを、滅多に履かないパンプスの踵を鳴らして歩く。いつもより背が高い母と手をつないで、見慣れない風景に明るくはしゃぐ息子は、もしかすると大きな選択を前にした両親の緊張を、それとなく感じ取っているのかもしれない。

 とある知人の男性は、50歳を目前にした今も六畳一間のアパート暮らし。収入は十分あるが、独身で特に必要もないからと、引っ越す予定はないらしい。
 そんな彼の仕事のひとつは、借金で困った人の相談に乗ること。彼によれば、相談者で多いのは公務員、医師、そして主婦。医師や公務員は社会的信用が高いため、多額の借金が可能だという事情がある。どんどん借りてしまい首が回らなくなる理屈だ。
 借金の原因は、ギャンブルか女。まず例外はないと彼は言う。主婦の場合は「生活費に困って……」と切り出すのが常だが、生活費だけで首が回らなくなる事態には、まずならない。突けば必ず出てくるという。ギャンブルにホスト、エステにブランド品。

 小さなアパートで慎ましく暮らす彼には理解できない。収入の枠内で買い物すれば、借金をする必要はないのだ。なぜ、それができないのか。
 何であんな奴らの面倒を見ないといけないのか。酒の席でこぼす彼に、臨床心理士だという別の男性の言葉を思い出した。買い物依存症のカウンセリングは共感が難しい、共感はカウンセリングの基本だが、自分はそんなことはしないから分からない、と。
 そうだろうか。私たちは欲望の泥沼から、かろうじて理性で逃れているだけではないのか。溺れてしまった人の弱さが、私には人ごととは思えない。むしろアパートを離れようとしない知人の方が理解不能(笑)だけどまあ、人の事情はそれぞれだしね。

 私は何が欲しかったのだろう。陽当たりか眺望か、素敵なオープンキッチンか食器乾燥機か。ピカピカの内装に最新設備、資産か夢か、見栄か安心か。
 そのうちのいくつも備えていない扉の前に、私は立っている。「この家を売ることを、子どもたちは最初は反対したんです」。そう呟く老紳士に、年月というものの重みを感じて胸が詰まる。欲しかったものが、ここにあるのかは分からない。ただ「開けてみよう」と思える扉に出会えたことが嬉しい。

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