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2014年10月22日水曜日

ダンシャリの空に

 世俗に疎いところがある私だが、少し前に「断捨離(ダンシャリ)」という言葉が流行ったのは覚えている。モノを捨て、執着から解き放たれて軽やかに生きる。捨てることは良いことであり、モノを抱え込んだ人生はカッコ悪い、そんなカンジ。

 さて現在、私はモノの山に埋もれて、これを書いている。足の踏み場もない室内を、息子は意気揚々と往来し、見慣れぬモノを拾っては目を輝かせる。
「ママ、これ、ぼくにちょうだい。……やったあ!!」
 手にした古い携帯電話を充電してやると、さっそく散乱した室内をカメラでパシャリ。引っ越し前の混沌も、息子には心躍る非日常なのだ。羨ましい。モノが多すぎて引っ越せる気がしない……(涙)。

 引っ越しを機にモノを捨て、身も心も軽やかに新生活を始めたい。そんな野望を抱いていた私だが、しかし今、その考えの甘さを痛感している。
 ただでさえ大変な荷造りに「捨てるか否か取捨選択する」というステップが加わるのは、思った以上に消耗するし時間もかかるのだ。引っ越し前のダンシャリは、試験前の一夜漬けに似ている。どちらも、普段からやってこそ価値があるのだと今さら気づく。
 私の荷物には、本と雑誌が多い。二十年近く前の雑誌を大量に、捨てられずに今も抱え込んでいる。

 モノを捨てる基準のひとつに「また手に入るものは捨てる」というのがある。抱え込むコストを思えば、必要なときにまた買えばいい。現代的で合理的。しかしその手でいくと、古い雑誌は捨てられなくなってしまうのだ。手放せば、まず手に入らない。
 転居時くらいしか開くことのない(!)古雑誌たち。頁を繰れば、途端に時代の空気が立ちのぼる。私はかつて、大の雑誌好きだった。世に出ても、やがて読み捨てられていく、その距離感が好きだった。
 登場する有名人が皆、若い。古い写真、古い流行、古い価値観。逆に新鮮で、つい読みふける。捨てる気になれず、再び(たぶん次の引っ越しまで)長い眠りにつく雑誌たち。……捨てていいって(涙)。

 それでも結構な数の本や雑誌を処分する。後ろ髪を引かれつつもエイヤ、と未練を断つ。この感覚、これが断捨離なのか。昔の自分を引きずってないで、未来を見ないとね。今後は子どものモノも増えるし。
 数年ぶりに充電した古い携帯電話には、なぜか10年前の父を撮った動画が残っていた。わ、若い。髪も黒い!と、息子と二人で盛り上がる。
 引っ越しは新生活への助走でもある。大変だけど良かったじゃん、とお思いの方々に、今回は「最初の引っ越し」であることを、私はお伝えせねばならない。そう、移るのは新居ではなく「仮住まい」なのだ。……ふぅ(ため息)。その話は、また今度。

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