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2015年1月28日水曜日

喜ぶ顔が見たい

 まだ息子が赤ん坊だった頃。天使のような笑顔を見せる息子を抱っこしながら「このまま二人でずっとイチャイチャしていられたら、どんなにいいだろう」と、よく思ったものだった。
 しかし現実には、そうはいかない。時間が来れば食事の準備、オムツも替えて風呂にも入れねばならない。仕方なく体を離すと「ギャー!!」。幸せな母子のラブラブタイムは、あっという間にジ・エンド。世話をしているのに泣かれる、この切なさ(涙)。

 君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなる、と歌ったのは中島みゆきだが、我が子の笑顔というのは時に、親に理性を見失わせるほどの威力がある。
 「甘いものはダメ!」とピシャリと言う普段の母の顔を忘れ、目の前のドーナツの可愛らしさに「ねえ、これ食べよっか」とつい口にする。「ホント!?」と、ここぞとばかりキラキラの笑顔を見せる子ども。
 「一緒にケーキ作ろうか」。食べることが大好きな我が子を喜ばせようと、ついこんなことを口走る。期待のあまり息子の目はランランだ。しかし卵は泡立たずスポンジは膨らまず、泣く泣く出来合いのスポンジ台を買いに店へ走る親(……バカ)。

 子どもの喜ぶ顔は、まるで甘いチョコレートのよう。この瞬間のために生きていると言っても過言でないほど、刹那に至上の幸せをもたらしてくれる。親だけではない。祖父母が、親戚が、赤の他人までもが、笑顔見たさにせっせと子どもに奉仕する。
 その思いが、エスカレートすることがある。君が笑ってくれるならと、時に暴走する親もいる。子どもの笑顔は人の心を強く掴むが故に、ある種の依存性、中毒性があるのかもしれない。
 子どもの笑顔は生きる張り合い、子の笑顔だけ見ていられたらどんなに幸せかと思うけど、他人や祖父母はそれでも済むけれど、親はそうはいかない。
 それはあまりに切ないから、時々、理性を緩めて子どもと一緒に甘い贅沢を味わう私。キラッキラの笑顔は、普段、頑張っているママへの小さなギフト。しっかり脳裏に焼き付けておこう、と思いながら。

 五歳になった息子とラブラブ密着しつつ「ねえ、ママもうご飯作りたくない」とグチる母。「やだ。ご飯作って」。自ら体を離す息子(涙)。
 引っ越してきたばかりで、まだ数回しか来店していない駅前のコンビニエンスストアにて。「ねえ、妖怪ウォッチ好き? これあげる」と、店員さんがシールを差し出た。「うわーっ」。素直に真っすぐ喜びを表現する息子。「すみません」と私が恐縮していると、店員さんは穏やかに言った。「いいんですよ。喜ぶ顔が見れたので、私も嬉しいです」。
 誰かを喜ばせたい、おそらく誰もが持っている小さな願いを、真っすぐな子どもの笑顔が叶えていく。そんな瞬間に立ち会えて、私も幸せな気分になる。

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