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2016年9月7日水曜日

いのちのふるさと

 夏休みにお世話になってから、まさか二週間も経たないうちに再訪することになるとは思わなかった。泣き崩れる私を、息子が不思議そうに眺めている。
 一報を受け深夜バスですっ飛んでいった相方が到着したときには、義母はすでに意識がなかったという。誰もがいつかは親を送る。けれど、こんな形で送ることになろうとは思わなかったに違いない。

 「我が家の男ども」。二人の男の子の母である義母は、よくそういう言い方をした。「まったく我が家の男どもはダメねえ。ねえ○○(私)さん」。
 その「我が家の男ども」三人(義父含む)が、憔悴した表情で顔を突き合わせている。いや現実には、残された家族には憔悴する暇もない。
 「敢えて考えないようにしてるみたい」。親族の誰かが言った。そうかもしれない。「服はどれ着たらええか……」。いつものようにトボケた口調の義父に、親族の一人が慌てて走り寄る。

 通夜の日の朝、ひとまず息子を学校へ行かせ、早退して現地へ向かうことになった。その旨を記した連絡帳をランドセルに入れ、「もう帰るの?」と友だちに聞かれたら「おばあちゃんが亡くなったから」って言うんだよ、と言い聞かせて送り出す。
 問題は息子の服装だ。さすがに幼稚園の制服は使えない。結局、サイズが大きくてまだ着られない頂き物のスーツのズボンだけを無理やり穿かせ、上は濃紺のシャツで何とか格好を付ける。
 息子は六歳にして、もう葬儀は四回目だ。前回はまだ三歳だったが、今回は小学生。しかも亡くなったのは、ほんの二週間前に大好きな煮豆をたくさん作ってくれた、優しいおばあちゃんだ。

 家族みんなで装束を着せ、お棺に遺品と花を入れて、フタに石で釘を打つ。促されて息子もトントン、と石を打つ。無言で横たわるおばあちゃんを前にした息子の表情からは、特に何も読み取れない。
 進行役の方々の、大仰なほどの声音。「どうしてみんな黒い服を着てるの?」三年前にはしなかった質問を、六歳になった息子は口にする。「悲しい気持ちを表すためだよ」。こんな答えで合ってるかしら、と少しどぎまぎしながら答える私。
 葬儀が始まる。お経にお坊様のお話。仏様の弟子、命のふるさと。そんな言葉が耳に残ったらしい。
 「いのちのふるさとって、どこ?」。息子の問いかけに、さすがに息を飲んだ。「……天国じゃない?」「ふうん」。息子は腑に落ちないのか、葬儀の後も、急いで帰京した新宿駅のエスカレーターでも、思い出したように口にした。「いのちのふるさとって、どこなの?」

 人のいのちはそこから来て、そこへ帰るんだと思うよ。生きてる人には場所は分からないんだよ。「ふうん」と呟いた後、息子は「ふるさとは、ジャジャジャポン……」と歌い出した。ああ、それでか。少し拍子抜けした後、妖怪ウォッチの世界も天国も、息子には地続きなのかもなあ、とぼんやり思う。

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